刃の女性と治療
カララー、と休憩室の戸を開け、マスターが手をタオルで拭きながら戻ってきた。
「とりあえず命に別状はないな。だけど傷は塞いだものの体力の消耗が激しい。このまま少し寝かせておいた方がいいかな」
マスターはお医者さんではないし、診断に関しては彼女の独断と偏見と経験だ。
だがまあマスターがそう言うのならば、きっとそうなのだろう。
「さ、それじゃ大将。背中の傷を見せてくれ。服までは無理だが傷の手当てぐらいはやっちゃうぞ」
ちなみにだが、マスターはある程度の傷や毒であれば、薬や専門機器などを使わずとも癒し回復させる能力を持っている。
いつぞやの死ノ神程ではないですが、この力もあれと同じく、マスターの噂や伝承が広まったことで可能になった業の一つで、本人曰く僧侶という職についているのなら誰でもできるそうです。嘘ですね。
「……嬢ちゃん達、もしかして妖怪とかの類かい?」
マスターの得体の知れない治療を受けながら、大将は背中で静かに問いかけた。
「……まあ、そうだな。私達は異国の地から来た魔物と縁深い者共だ。それで大将、アンタは一体何者なんだ」
思いもよらぬ問いかけに戸惑いつつも、マスターは大将の質問に正直に答え、指先から暖かな光を放ちつつ質問を一つ返した。
「そうかい。あっしは、ただのしがない寿司職人でさあ。妖怪だろうとなんだろうと満足させてなんぼの商売人。それ以上でもそれ以下でもありやせん」
大将はあまり驚くといった様子もなく、顔を綻ばせて笑みを浮かべ、誰の顔を見るでもなく宙に向けて呟いた。
「……昔、あっしは一度鎌鼬に会ったことがあるんでさあ。その時や誰も信じてくれやしませんでしたが、あっしの目と記憶にはよく残ってる。ちょうどさっきの娘みたいな銀色の刃で――」
誰に聞かれたでもなく大将が昔話を語らい始めた瞬間、休憩室のドアがピシャリと鋭い音を立てて開いた。
そこにあったのは、立っているのも限界と言った足どりの、刃の女性の姿であった。
「バカ!お前寝てろ!」
マスターは振り返りざまに、珍しく怒りを込めて一喝する。だがそれでも女性は止まることなく、ふらふらと歩き始めた。
「……行かなきゃ。せっかく、……せっかく見つけたんだ……。……治療、感謝する」
ボソボソと小さな声を出して、戸へむかう彼女の手をつかみ引き止めようとしたが、触れただけで指を切り落とされてしまった。いたい。
「待ちなお嬢さん」
立ち上がりざまに大将が呼び止めると、女性の歩みはピタりと止まった。
「言うこと聞けねえってんなら止めやしねえよ。何か理由があるんだろう?だけどちょいと待ってくれや」
大将はそう言いながら刃の女性の元へと歩みより、
「御髪が乱れてますぜ」
と言って、どこからか取り出した砥石で彼女の頭を優しく撫でた。
その途端、刃の女性は糸が切れたかのようにふらりと倒れ、それをまた自分の傷など構わないといった具合に大将は受け止めた。
疲れが限界に達したのか、それとも強張っていた緊張がほぐれたからか、理由は定かでないが彼女はすぅすぅと小さな寝息を立てて眠っていた。
「なんだかわかんねぇけど、ほっとくわけにゃいかねえよな」
大将は濡れた布でぐるりと刃の女性の腕を巻いて、肩に担いで休憩室の布団に寝かせた。
マスターも怒りを込めつつ、「どうやっても8時間眠る呪い」という健康的な術をかけて、後に傷だらけになった大将の治療に当たっていた。
「悪ィな嬢ちゃん、ちょっと格好つけちまった」
大将は流血に顔を歪ませて、それでもなおヘラヘラ笑いながら謝った。
「いや大将、アンタは格好良いよ。わたしがまともな女子だったらきっと惚れちゃって、毎日通いつめるぐらいにはさ」
マスターも先ほど見せた怒りをどこかに引っ込めて、優しい声で囁いた。
「……ただ寿司食いにきただけのお客さんにお願いするってのも変な話だが」
息を一つフゥと吐き、そのまま言いづらそうに口を開こうとした所で、マスターはその口を人さし指で抑えた。
「もちろん、ダメだと言ってもこの件は解決するぞ。お寿司屋さんより、私の仕事だしな」
そう言って歯を見せて笑い、大将にも負けず劣らず格好つけてみた。
「……アンタも中々いい女だよ」
「ああ、よく言われる」
そんなわけで、寿司職人とエクソシストは奇妙な縁で意気投合し、そのままアタシ達も空き部屋で一夜を過ごすこととなった。
明日はお店は閉めて、まず刃の女性をどうにかするそうです。
突然飛ばされた見知らぬ街で、突如として降りかかったこの問題、さて一体誰がどうしてこうなったのか、きちんと説明をしてほしい。
ですが、こうなった以上がもう考えも仕方がない。
マスターに仕える者として、性懲りも無く尽力いたしましょう。
いただいた美味しいお寿司の恩もありますしね。
アタシは一応カシャニャンにおやすみのLINEを飛ばしてみたが、やはり既読すらつくことはなかった。