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職人技と吟味

「ヘイ、じゃあまず最初にイサキの握りをどうぞ」


 そうこうしている内に最初のお寿司が握られてきた。

キメ細かい美しい白身と、そこに差し込んだ鮮やかなピンク色がこれまた綺麗なお寿司だ。

これこれ、こういう見た目も綺麗なのがお寿司の良いところだ。


「いただきます」


 マスターと声を揃えてひょいとひとつまみ。

特にこだわりはないのですが、なんとなくお寿司は箸でなく手で食べたいですよね。食べたいよね?


「んん〜〜!」


 新鮮なサクサクとした歯応えが楽しい白身だ。甘い脂の味がほのかに広がり、だがそれでいてくどくない。

お寿司を食べにきた、食べているという感覚に浸れる良いネタだ。美味しいですねイサキ。


「嬉しい反応をいただけて何よりでさぁ、そいじゃお次のイサキです」


 続けて握られたのもこれまたイサキのお寿司。同じお魚と言えど表面はしっとりとしていて、それでいてやや小ぶりにも見える。

こちらもちょいとつまんでみると、先ほどのイサキよりも身は柔らかくすべすべとしていた。


 口に放り込んで噛んでみると、触れた感触とは違ってしっかりとした歯ごたえがあり、じわっと脂の旨味が滲み出す。

しかもそれは噛めば噛むほどに濃くなって、口の中いっぱいに風味が広がった。


「すごい、さっきのと全然違うね」


 お口を手で覆いながら、目をまんまるに見開いたマスターが、もむもむと咀嚼を続けながら驚きの声をあげた。


「先ほどのは身の新鮮さを楽しんでいただけたと思いやすが、こいつは身の旨さを味わって欲しいもんで、ちょいと熟成させて昆布で〆ております。」


 同じ魚と言えどここまで明確に違うものなのか、調理の過程で姿や味わいが大きく変わるのを体感するのはありがたい機会ですね。


「昆布〆の用途はぁ〜、食感を良くして旨みを増すだけじゃなくってぇ、鮮度の保持の活用でもあるのよぉ、嫌な香りはしないでしょぉ?」

「おっと、お姉さんよしてくだせぇ。小細工した古いネタってバレちまうじゃないですかい」


 なんて大将は言っているが、その小細工こそが職人のワザマエというヤツだ。事実ここまで強烈に変化をつけるのだから感心である。


「なるほど、お寿司は鮮度だけじゃないんだな……、これが職人の技ってやつか」


 もくもくと味わいつくしながら珍しく真剣な眼差しでマスターはポツりと呟いた。


「江戸前鮨はぁ、冷凍技術がまだ発達してないころに流行っていたの、だから新鮮なネタじゃなくて熟成させたものが主流だったの〜」

「魚の良さを引き出す職人ワザ……、なるほど凄まじいですね」

「いやいや、寿司ってのは、結局どうあがいてもお魚さんが第一でさあ。お魚九割職人一割!だからこそ、その一割のためだけに張り切っちまうってだけなんです」


 嬉しそうな笑顔でそう言った大将の言葉を受け、なんとも言えない不思議な感覚に捉われた。

もはや謙遜ですら格好良く見える。まさかこれが恋……?


「さて、そいじゃお次はカツオをご用意いたしやす」


 大将が次のネタを握りはじめると、今まで我々の事をにこにこ見守っていた寿司くい姉が、突然エモノを見つけたネコ科の猛獣の如く目を光らせた。


「ああー、大将わたしも〜〜!」

「ヘイ、喜んで!」


 お寿司が大好きともっぱらの彼女が、子供のようにワクワクする様を見てその期待は大きく膨らんだ。


 カツオといえばお寿司の中でも比較的定番のネタだ。

旨味の濃い赤身のネタで、春先の初ガツオと秋の頃の戻りガツオが旬とされているが、最近は温暖化の影響もあって割と年中美味しいモノが出回っている。

漢字に堅と入るだけあってその身も皮も非常に堅く、ジョンさんに聞いた話では、鰹節なんてのはもっとも堅い食べ物としてギネスブックに記載されるほどだそうだ。

 そのためお寿司や刺身にする際も、身は表面をさっと焼くタタキが主流であり、斜めに薄く大きく切るのが一般的だ。

あと臭みがやや強いので、生姜やニンニクやネギタマネギなどの、香り高い薬味で打ち消して食べるのが広く愛されている。

 モノによって色味や風味が結構違うので、回転寿司等では日によっての当たりハズレが激しいのですが、今回は多分その心配もないでしょう。


「お待ちどうさまです」


そうして握られてきたカツオは、今まで語ってきたアタシの知ったかぶり解説を簡単に打ち破った。

 まず身が分厚い。焼き目や焦げ目はないので、いわゆるタタキではなく正真正銘の生ガツオだ。

それに特に何か薬味が添えられているわけでもなく、代わりにタレのようなものがサッと塗ってあるだけ。


 言っては何だがこんなもの大丈夫なのだろうか、先程も述べた通り、このままでは堅い身は噛み切れない上、噛むごとに口の中に生臭さが充満してとてもじゃないが飲み込めない。

そりゃ身が厚いほうが魚の旨味は増しますが、さすがにこれでは本末転倒、常識的に考えれば失敗作だ。


「うぅ〜〜ん!おぃひひひ〜〜ぃん!」


 だがもう既に隣でお寿司大好き寿司くい姉が腕をブンブン振って悶絶しているのだ。

若干の不安は残るものの、それを上回る大きな期待を舌に抱いて一口で放り込んだ。


サクッーー、


 サクッ⁉︎バカな! こんなに分厚い身が何故嚙み切れる⁉︎ アタシの歯は自慢じゃあないが歯槽膿漏の知覚過敏、熟れたトマトのようなグラグラの、ナマクラ刀を砂利道に投げ出したようなゴミだぞ⁉︎

だというのになんだこの、うま、美味い!


「おおおお、驚いたなこりゃ。なんだこれうっま」


マスターも目をチカチカさせながらその衝撃に撃たれている。

 身が厚い分、魚の旨味がダイレクトにとんでもなく強いのだ。それにこのタレがメチャクチャ美味い。

生臭さなんてものはまったく気にならず、咀嚼すれば身とシャリは口の中でほどけ、タレと絡まり合わさり旨味の爆弾となって弾け飛ぶ。

マンガ版だったらアタシの服が弾け飛んで今ごろ全裸になっていたことだろう。


「どういうこと、どういうことなんですかコレ、カツオの身ってもっと堅いはずじゃあ」

「まあ、それが一割の頑張りでさあ。ソイツは特製のタレに漬けてるんです」


 ヅケ、って言うアレか、マグロなんかでよく用いられる、ネタを長持ちさせつつ美味しくする江戸前鮨伝統の調理法。

みりんや醤油等を合わせたタレに、しばらく浸して味を馴染ませて、肉質をむちむちしたものに変異させるアレのことか。


「いやいや大将、いくらヅケとはいえこんなに分厚い身じゃ、味だって染みないし色々限度があるだろう!」


 そうだそうだ! マスターの言う通りだ!

肉質が柔らかくなった、という感覚とはまた別の、明らかに不自然なほど簡単に噛み切れるのだ。

その上、この分厚い身の中までしっかり味がついていて、さらに嫌な臭さは全く感じないのだ。

 どう考えもこんなの一割の頑張りなんてもんじゃあない。


「わからん!大将!任せておいてなんだが、カツオもう一貫だ!」

「あ、ズルいですよマスター!アタシも!」

「あらあら、じゃあお二人に便乗してわたしも〜」


 マスターは謎が解けなかったことが悔しいみたいでもう一個頼んだっぽいが、アタシは普通にもう一回食べたいだけである。

お姉さんに至っては正体知ってるはずなのにおかわりなので、やはりこのお寿司のクオリティは相当なものらしい。


「ヘイ、喜んで!こう反応いただけると嬉しいもんですね!んじゃ、今度は目でも味わってくださいよぉ!」


 そういって握られてきたカツオの握り。マスターと一緒に食べる前に観察してみる。

すると、先にマスターが声をあげて気がついた。


「よくみろワイト!この断面、切り込みが入ってないか?」


 切り込み?と思い分厚い身の横をみると、縦三本横三本の格子状の切れ込みがたしかに入っていた。

 なるほど、たしかにこれならどこをどう咀嚼しても、身は簡単にほぐれ弾けるのも納得だし、漬けダレも内部まで浸透するわけだ。

 しかし厚い身とはいえたかが数ミリ、そんな隙間にこれほどまでの包丁を入れ、さらに身を崩さず保つとは、もはや芸術の域の繊細な仕事である。


「あらあらうふふ、気づいちゃったぁ?そうなの〜、魚の生臭さは潰れた細胞から出る汁が原因なの〜。

でもぉ、大将さんの包丁技術はその細胞の合間をかい潜って断つ、まさに日本、いいえ世界一の技量なのよぉ〜」


 寿司食い姉は細めていた目を開いて、素敵な笑顔でそう言った。


「へへ、もったいないお言葉ですが、今は謙遜せずに自慢しちゃいやしょう。あっしは人呼んで『鎌鼬の柳葉』!包丁さばきなら誰にだって負けねえってんだ!」


 ビシッとポーズを決めて、それもまた一種のパフォーマンスのよう。

マスターとアタシはカツオを咀嚼したまま思わず拍手を打っていた。


 柳葉(やなぎば) 利造(としぞう)、話を聞くに彼は元々日本有数の超名店で働く凄腕の職人だったそうだ。

その包丁技術はまさしく世界一とも謳われるほどの腕前で、その正確さ、美しさ、流れるような手際の良さはまさに右に出る者なしだったという。

 独立を果たして(のち)は自分の肩書きにもなった『鎌鼬』が出ると噂になっていたこの街に店を構え、その実力と名を上げていった。

妖怪鎌鼬などなんぼのもんじゃい、鎌鼬ならここに居るぞと世に言わしめたのだ。

 しかしその妖怪の噂や悪名は、絶えずどこからか流れ、畏れをなした住民の多くはこの街を棄てていってしまったという。

 それでも、寿司くい姉のような一部の通は大将の包丁と寿司を求めてこの街に訪れるようで、そんなお客様を前に今日も自慢の包丁を振るうのだそうだ。


「じゃぁ、そんなところで次のネタもどんどん握っていっちゃいましょう、まずはスルメイカです」


 そんなこんなあって、次にやってきたのはスルメイカ。

貴族の娘の髪の如く、細く薄く切られた身は幾重にも重なりあい、表面に塗られた生姜醤油は琥珀色にキラキラと乱反射して、その美しさはまるで伝統工芸品のよう。


「スルメイカはぁ、真イカとも呼ばれててぇ〜、切れば切るほど甘みが増すのよぉ〜?イカの中では硬い方だから細くするのが主流なの〜」


 あ、真イカとスルメイカって同じだったんですね、知らなかった。

 イカは種類によって、もっちり甘み系と、こりこりさっぱり系がありますよね。

個人的に真イカはそのちょうど標準的なイメージ。

 切れば切るほど美味しくなるとは、まさしく包丁使いの大将にはうってつけではあるマイカ。


「ほいじゃいただきまーす」


 口に入れ、歯に触れるとイカの身はぷちぷちと弾け、独特の甘い風味と香りが口の中で絡み合う。

一噛み、二噛みするごとに、食感も味わいもまた違うものへと変化していき、なんともいえない快感が全身を撫で回す。

もし今アニメ版だったら、地上波放映ができないくらいの過激な快感を得た表現で、アタシの身体をブルーレイ版でのみイカが這い回っていたことだろう。


「続きましてアジの握りでございます」


 お次は青物、光り物のアジ。

光を受けて銀色に輝く皮目と、そこから覗く官能的なピンク色の対照がなんとも麗しい一品だ。

歴戦の勇士が身に纏った鎧の如き風格と、幼い少女が愛でる花のような可憐さを同時に備えている。


「青魚全般は水分が多くってぇ〜、切るときに身の細胞を潰すと味が格段に落ちちゃうのよぉ〜、綺麗に見せようと切りすぎて水っぽくなっちゃってるのも多いんじゃないかしら〜?」


 それを聞いて確信した。

これこそが本来のアジの味なのだと。

噛んだ瞬間の押し返すような弾力と新鮮な海の匂い、味わい深い脂の旨味が激流のごとく押し寄せて、口の中いっぱいに大海原が荒れ狂う。

これは海という一つのエネルギーをそのまま封じ込めた伝説のオーブなのだ、と祭壇に飾られていても遜色ない美しさとパワーを感じる一品だ。


「続きましてはサーモンでございます」


 サーモン! いいですねサーモン。

旨みが濃くてサラリとしてるから飽きもせず無限に食べれますよね。

マヨやチーズのようなアレンジも多いし、海外でも生食文化が増えてるし、お子様からお姉様、お爺ちゃんから元帥まで愛されるお寿司といえばサーモン!


「へえ、大将珍しいな。サーモンなんて回らない寿司屋じゃ邪道だろうに」


 え、嘘。そうなの、


「ハハッ、頑固者が多い業界だからそういう職人さんも居ますがね、需要があれば応えるのが商売人ってもんでさあ」

「サーモン、シャケは傷みやすくって寄生虫も多いから、本当は生食に向いてないのよねぇ〜、今の冷凍技術と配送輸入技術、それに寄生虫自体を発生させない養殖技術にぃ、様々重ねた品種改良と技術の賜物よねぇ〜?」

「そもそも、よく出回ってる寿司のサーモンは一般的なシャケと種類自体違うんでさあ。こいつエサで色つけて海で育てたニジマスですからね。サーモントラウトとも言いますが」

「そうそう〜、侵略的外来種にも指定されてるけどぉ、美味しくて繁殖させやすいんだから罪な子よねぇ〜」


 マ、マジでか……、知らんかった……。

じゃあお弁当とかおにぎりのシャケとは別の方なんですね。

いやたしかに他の魚じゃ見たことないオレンジ色だし、塩焼きのシャケと比べるとお寿司は色明るいよなあと思ったことはありますが、実際に違うと言われるとなんかショックがデカいですね。


「冷凍モンも悪かねえですが、今回は生サーモンをご用意いたしやした。その大トロ部分をさっと炙ってお出ししやす」

「炙り寿司!いーね!大好き!特に私はそのマシンを職人さんが持つっていうギャップに萌えるんだ!」

「いや変な趣味を露呈しないでください。ちょっと気持ちはわかりますけど」

「これも革新的技術よねぇ〜、フレンチでもラーメンのチャーシューでも、バーナーは料理に強い変化を手軽につけられるもの〜。工具を調理器具として使った人は天才かおバカさんよねぇ〜、大将〜わたしもそのサーモンちょーだ〜い」


 というわけで、やってきたのはトロサーモンの炙り寿司。

大根おろしとすだちのポン酢が添えられたそれは、じんわりと脂が溶けて表面を濡らし、バーナーによる焦げ目は、目と鼻に存在を訴え食欲を誘って刺激する。

  咀嚼をすればとろけるほどの旨味と共に、焦げ目の香ばしさが真っ先に顔を出し、続いてすだちおろしの清涼感ある爽やかな風味がやってくる。

喉元を通って飲み込む時には、既に強い脂の風味はどこかに消え、あれほど強烈な味わいだったのに満足するでもなく後を引く。

まさに刹那的な美味さの弾丸、否機関銃。

この最強の武器が世に出回れば、あらゆる戦況は瞬く間にひっくり返ることだろう。


「美味い!」

「お、柏手(かしわで)

「サーモンいいわよねぇ〜〜。伝統を守るのも立派だけど、可能性を解放させるのも等しく立派だわぁ」


  先人達の努力と熱意に感謝ですね。こりゃ美味いわ。


「……あら?残念〜。時間的に私はそろそろ失礼するわぁ〜」


 すると寿司くい姉は、腕時計をチラりと見ると残っていたお茶を飲んで席を立った。


「大将ごちそうさまぁ、二人もありがとぉ、楽しかったわぁ〜」

「私もたのしかったぞ!ありがとう!」

「色々勉強させていただきました。ありがとうございました」

「うふふふ。またどこかでお会いできたらいいですねぇ〜」


 ひらひらと手を振って、変わらずふわふわしたお姉さんは、ふわふわしたまま帰っていった。

 寿司食い姉が帰った後も、まだまだ大将の作る数々のお寿司達に魅了され圧倒されていくマスターとアタシ。


「お次はホタテです」


 贅沢なまでのボリューミーな重量感、ずっしりとたわわな身は官能的な艶を放ち、口に入れれば優しい海の香りと共に豊かな甘みが包み込む。

添えられたヒモはコリコリと歯触り楽しくクセになる。

その二面性はまさしく、お寿司界きってのツンデレヒロインと言っても差し支えない。


「こちらはボイルの大海老です」


 橙白赤ストライプの大ぶりの身。噛む歯を押し返す凶暴なまでの弾力と、同時に旨味のジュースがジュワッと溢れる至福の一時。

素材の良さと仕事の良さを一度に感じとれる、……っバカな!これはミソ…! こいつエビのミソを仕込みやがった!


「次は王道!マグロの中トロでい!」


 強い脂の旨味! 圧倒的な存在感! 芳醇な血の酸味!これぞマグロの真骨頂! くうう! 文句なし!


「続いてタコでございやす。江戸前流の煮タコをお楽しみください」


なんだこれ! すごいサックリ噛めるうまい!


「穴子の白焼きでござい」


ふっくらやわらか甘くて優しく、タレを塗らんからくどくない! 抹茶塩でおしゃれにあっさりいただけちゃう!


「白身炙りバジルチーズソース!」


すげえのきた。うっま。


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