白霧と砂利道
「あああぁぁ……、無理です無理でしゅ、帰りましょう、帰りましょうよマスタ〜〜……!」
深い深い白い霧の中、不安と恐怖から漏れ出た女性の声が辺り一体に響きわたる。
「絶対ヤバいですって、引き返しましょう?引き返せばもしかしたら帰れるかもしれないじゃないですかぁ、ね?ね?」
どこまでも続く砂利道と鬱蒼とした木々の間、悪い視界と足元の中で歩みを少しずつ進めていく。
この不安定な道を歩き続けるのも既に限界なのか、完全に心折れた我が部下のワイトは、その冷たい身体をぴったりと私につけて、目に涙を浮かべながら辺りをキョロキョロ見渡しては震えている。
彼女は昔からドライな性格と腐った肝が据わっている割に、こういうしょうもない怖さに弱いのだ。
こうくっ付かれては歩きにくいし、私だって出来ることなら不安にさせるようなことはしたくない。
だけど状況が状況なのだ。
約束通りダンナに乾物作りの見学をさせてもらった後、カシャニャンをジョン夫妻に託し、ふたたび旅を再開した我々がぷらぷら歩いていると、ダンナに手土産としていくつか貰っていた荷物の一つの中でも一際異彩を放つ、『ベペベペネル人形』突如光を放ち、気がつけば私達はこんなところに来ていたのだ。
この人形はダンナが旅の道中でどこかの民族に頂いたものらしく、その奇怪な名前と素朴な見た目についつい心奪われて譲ってもらった。多分酒に酔っていたんだと思う。
どういうわけだか状況を確認しようにも電話などは一切繋がらず、時報すら圏外となって聞けやしない。
こんな面白い状況で、引き返すだ帰る術を探すだなどとそれはナンセンス、私の探究心が許さない。
なんてったってベペベペネル人形だぞ。
だから心から申し訳ないと思いつつ、私は彼女の心からの申し出を全部無視する。
◆
あぁあぁああ、ダメだぁ、ダメだぁ……、こええぇ〜、
急にこんな所に飛ばされて混乱してるというのに、それに加えて肌に纏わり付くこの妙な寒さ、そして何も見えないし何も聞こえないのに何かの気配があるように思えて仕方ない、そんな不安を煽る砂利道だけをただひたすらに踏み歩く。
こええんだよ、こええええんだよなあ。
だって何がなんだかさっぱりわかんねえんだもん。
だってベペベペネル人形だぞ。
さっきから、怖いですというのを上手いこと隠しつつ帰りましょうと言っているのに、このマスターときたら一向に応じてくれやしない!
どうせアタシのことなんちゃ何も考えてくれやしないんだ!
ちくせう! こんなに平静を保ってるアタシがいけないのか! 落ち着き上手だったか!
「おいワイト、街が見えてきたぞ」
あちゃー、とアタシが自分のおデコをひっぱたいていると、マスターは袖をくいと引っ張って指差した。
ああ、やっと街が見えたのか。もうこんな怖い思いをしないでいいのか、そう思うだけで霧たった辺りを跳ね除けるかのように心がすうっと晴れていった。
「あじゅklでdtふぅゅうれぬぃ!」
だがアタシの口元の呂律は晴れることなく、マンドラゴラの公用語のような奇声を発していた。