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妖魔と土地神


「くっそ、くっそ、くそくそくそ!あンのイカれ霊媒師め!このまま好きにはさせられんニャア……!」


  ズルリ、ズルリと足を引きずりながら、一匹の獣はツメを立てる。


  その瞳は怒りに燃え、その牙は復讐を誓い、その爪は怨みに染まり、かつての威光はどこへやら、ただ一匹の下衆な妖魔に成り果てた。


「おやおや、随分と難儀しとるようじゃな?」


  不意に聞こえたその声に、一匹の妖魔は聞き憶えがあった。

しかしそれは同時に聞いてはならない声、聞くべきではなく聞けるはずもない、聞きたくもない声であった。


「なンで……!お前が……!」

「ほほぉ、殊勝な口ぶりじゃな。そこで喚きちらすことなく啖呵を切れるとは、ヌシはわちきの眼鏡にかなっただけあるの」


 ぎりりと牙を食いしばり、下衆な妖魔は歩みを止める。

するとたちまち淡い光を放つ狐色の朝霧が立ち込めて、見憶えのある見たくもないヤツがゆっくりと姿を現した。

 その顔立ちは美しく、その髪は長く煌めき微かに揺れる。

闇の中でも不気味に光る、幾重にも重なった金色(こんじき)の着物に袖を通し、神々しく輝く黄金(こがね)色の尻尾を揺らす、獣とも人とも似つかない妖艶な美女。


 その正体は、忌々しくもかの土地神であった。


「そうか、あの霊媒師が力を奪ったから……!」

「正確に言えば彼奴(きゃつ)の従者の方じゃがな、してヌシよ。よもやわちきがヌシに喰られたから何もできずに、力をいいこと使えたなどと思うてはおるまいな?」

「ニャに……?」


 捉えどころのないふわふわした身振りと口調の中に、少しばかりの怒りを感じて、妖魔の身の毛はゾワりと逆立った。


微睡(まどろ)みの中に在るわちきを喰ろうて、随分と好き放題したようじゃが斯様(かよう)な些細なことなど咎めやせぬ。むしろ美味い供物を得られて(よろこ)ばしいことじゃったからヌシの身に憑いていたに過ぎぬ(ゆえ)、妙な思い上がりは身を滅ぼすぞ?供物が得られぬ今、わちきにヌシへの興味は微塵も在らぬ。」


 妖魔が心中思うことはいろいろあった。

要するにコイツの言いたいことは「本来お前のことぐらいいつでも殺せたんだぞ」ということである。

それはきっとこうしている今もなのだろうが、だからといって物怖じなどしてやるものか。

 危機こそ転機、ピンチはチャンスとはよく言うものだ。

興味が無いのであれば放っておけば良いものを、わざわざコイツから出向いてきやがったのだ。

 だったらもう一度喰らってやる、喰らってオレは再び神を越えるのだ。

窮鼠(きゅうそ)が猫を噛むというのなら、窮猫(きゅうびょう)は神をも噛んでみせようか。


「はて、なんじゃ腹でも減ったような顔をして、残念じゃが、わちきとて今日はまだ供物の献上がないんじゃ。何も(ほどこ)せるものなどなかろうて」

「ニャア……ッ!施しなど要りゃあせんですよ……!その身一つで十分でサァ……!」


 妖魔は不敵に笑うと、黒紫色の煙のような炎を爪に宿し、雷鳴の如き速度で跳びかかった。

狙うは喉、目、肺の下。

どこでもいいから致命傷を、爪痕を残してやるまいと。


「ほほう、それは中々に妙案じゃな」


 鋭い爪が喉の肉を抉りとり、灼けた異臭が鼻をくすぐった。

 当たった、捉えた。

その手に残る確かな手応えを感じると共に、ついつい口角が上がってしまう。

思わず笑った妖魔の爪と顔は、はね返った神の血を浴びて真っ赤に染まった。


「ニャ……、?」


 しかし、捕えた獲物は霧となって手から(こぼ)れるように消え、淡い光と不気味な暗い靄だけが辺り一帯に広がっていった。


「その身一つとは成程のう、欲深きようで(つつし)み深い。わちきは心麗しき慎み深き土地の神、成程それでは今宵の供物、"猫の身一つ"で(ゆる)してくれよう。」


 変わらずふわふわした口調の声だけが聞こえたかと思った瞬間、全身に浴びた返り血が刃となって妖魔の身体を引き裂いた。

形容し難い苦痛とともに、温かな血と(はらわた)が勢いよく飛び出していく。


「ギニャッ、ガアアアアアァァアアァァァァッッ!!??」


 身体中の穴という穴から赤黒い生命の雫が噴き出し、全身の神経が狂ったかのように踊り始めた。


「ほほほ、痛快な断末魔じゃ、耳触りが心地よい。ほれほれまだ死なせはせんぞ。治癒の奇跡をくれてやるからもっとわちきを愉しませよ」


 淡い光を放つ蛍のような数匹の蟲がふわふわと飛び回り、妖魔の傷はみるみる内に塞がり痛みも引いていく。

しかしすぐに蟲の身体は弾けとび、それに呼応するかのように妖魔の身体も吹き飛んだ。

繰り返し寄せては返すさざなみの如き死と蘇生。

地獄の拷問でもここまでムゴい仕打ちは無いだろう、なぜなら獄吏がドン引きするからだ。


 「クアアァァッ……!ニャ、ニャガッ……!」


  気が狂うことすらも許されない再生と、気を失う暇も与えぬ死の舞踏、全身を巡る痛みは忘れられるはずもなく、それどころか記憶には痛みだけが刻まれていく。

 どれだけの時間が経ったのだろう、だが少なくともこの山に居る生き物の数より多くは死を迎えているに違いない。


「んー良き哉良き哉。実に良いぞヌシよ。堪能したぞえ。……して余興は良いとして流石にちと腹が減ったのう」


 数えきれない何度目かの蘇生の後、わざとらしく腹の虫を鳴かせた神はふと呟いた。


「……はてさて猫の腸の味は如何様か、慶べよヌシ、わちきは今一度失せたはずの興味がムラムラ湧いてきたぞえ?」


 妖魔はもはや畏れを抱くことなどなかった。

ただただ己が今宵の供物であるという事実だけを再認識し、何も抵抗することなくそのまま喰われた。

咀嚼されるたびに口内の温もりを感じながら、ゆっくりと目を瞑りその生涯を終えたのだ。

 来世は狼になって、いたずらに狐を追い回して殺したいと神に願いながら。


「好奇心は猫をも殺す……じゃったか? ふむ、確かに猫を殺す理由など、好奇心だけで十分じゃな」


 ペロりと大猫を丸々一匹たいらげた土地神は、腹をさすりながら近くの切り株に腰かけると、一服煙を吹かしはじめた。


「……斯様な安い幻術に溺れるとは、とんだ見込み違いじゃったか? まあ、これでお互い様じゃ、信仰深きヌシの転生先は我が(あるじ)に交渉しといてやるから、精々わちきの血肉として存分に励めよ。」


 もう沈みかけた朧月にフゥと煙をふきかけると、月は逃げるかのように霞に消え、対岸からは太陽がひょっこり顔を覗かせた。


「はてさて……、あの小娘を我が主達が(うけが)うかどうか、見ものじゃと思わんか?」


 少しだけ顔を覗かせた太陽に向かってそう問いかけたが、太陽は知らんがなと言わんばかりにマイペースに陽を登らせた。

それを見て声も出さずに笑った土地神は、咥えた煙草を口から離し、煙を吹き上げ姿を消した。


「まあよい。どのみち土地神などという退屈な使命など(イヤ)になるほど十分じゃ。次代を捜すも兼ねて、主殿に隠居の願を申し出ようかの。」


誰に言うわけでもない寝惚けた声だけが山に響き渡る。

だがそれでも太陽はなんのこっちゃと歯牙にもかけず、ただただ世界を照らすだけであった。


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