昔の話と現代ニッポン
それは、むかしむかしのお話です。
魔物と呼ばれる恐ろしき怪物が、人々の生活を脅かしていた時代、そこには一人の少女がおりました。
少女の名はエク=ソシス・R・フォンティルテューレ。
彼女は『エクソシスト』と呼ばれる、魔物を祓う英雄でした。
誰よりも何よりも優しく強かった彼女は、多くの人々にシアワセを与え、またある時は与えられ、みんなの笑顔を見るのも、みんなを笑顔にするのも大好きな女の子でした。
ある時、エクソシスは思いました。
「私はみんなをシアワセにするのがシアワセ、でも、魔物達はシアワセなの?『みんな』に、彼らは含まれないのかな」
それからというもの、彼女は人々と等しく、彼らを愛しました。
愛を知らない魔物達は、そうして接してくる彼女に段々と惹かれていき、いつの間にやら魔物達も、エクソシスと一緒に人々にシアワセを与えるようになっていました。
ところが、人々は恐ろしく、優しい彼女とは違いました。
人々は彼女が魔物達と生活を共にすることを許しませんでした。
「魔物は敵だ、消せ、祓え、殺せ、殺せ」
エクソシスが魔物達と一緒になって数年後にもなると、人々は皆そう口にしていたのです。
このままでは彼らやあの子達もみんな辛いだけだ。
しだいに彼女は人々の説得を諦めると、魔物達を引き連れて遠くの地へ行くことにしました。
「今までお世話になった村のみんなに、お別れのあいさつをしてくるわ。あなた達はみんなを怖がらせてしまうから、先に行っててね。すぐに追いかけるわ。」
魔物達は彼女の優しさを知っていたので、誰一人反対などせず、言われた通り目的地に向かって歩き出しました。
しかし、一時間が経っても、二時間が経っても彼女はまったく姿を現しません。
どうしてだろう、優しい彼女が嘘をつくハズもない。
魔物達がざわざわと心配し始めると、一匹の背の高い魔物が、村から黒煙が立ち昇っていることに気がつきました。
アレは、なんだ。
魔物達は優しい彼女の言いつけを破ると、急いで村へと引き返しました。
「魔女め!魔物達の親玉め!」
魔物達がそこで目にしたのは、信じられない光景でした。
みんなをシアワセにするのが大好きな、人々にたくさんの幸福と笑顔をもたらした英雄が、はりつけられて燃えている。
何かを悟った笑みを浮かべたまま、彼女はめらめらと燃えていたのです。
誰より優しかった英雄の姿など人々の中ではとうに消え、代わりにその目に映っていたのは魔物への憎悪だけでした。
魔物達は泣きました。
怒ること、暴れること、驚くこと、怯えること、全てを忘れて悲しみました。
たった一人の少女のために、無数の魔物達はたくさん泣きました。
人々が無抵抗の魔物を攻撃し始めても、彼女が生涯愛した人々に危害を加えることなど、彼らにはとてもできませんでした。
やがて火が消え、全てが黒い煤と灰になって崩れてしまった時、魔物達はぱったりと姿を消してしまいました。
誰よりも何よりも人々を愛した優しいエクソシストは、
誰よりも何よりも愛された人々に恨まれ、嫌われ、
誰からも何にでも忌み嫌われた魔物達に愛されたまま、この世を去ってゆきました。
今となっては、それも随分昔のお話です。
ドン・今西の記録より抜粋――。
◆
「ううぅぅんまあぁぁあーいっ!」
……うっさい。
時は打って変わって現代ニッポン。
ここはお寿司屋さん。お寿司を売るところ。廻る。
「すっごい、すっごいよこれ⁉︎ えーとー……焼きサーモンとー〆サバとー……、」
そして、ぴこぴことタッチパネルを操作してお寿司を注文しているのは小娘。
背丈も髪色も現代日本にそれほど違和感なく、あえて変な箇所を挙げるならば、やや異国情緒ある服を身に纏っているくらいで、お寿司を見つめて喜ぶ顔立ちは贔屓目に見れば可愛い。
一見すればそのへんのJKとも特に変わらない素朴な小娘。
今、アタシの目の前に居るその小娘こそが、なんと我らが慕った伝説のエクソシスト、エク=ソシス・R・フォンティルテューレその人である。
なぜ死んだはずの彼女が悠久の時を経て現代ニッポンでお寿司を食べているのか、そんなことはどうでもいい。
問題は何故数千年前の人間が、お寿司屋さんのタッチパネルを普通に使っているのかである。
「なんでそんな器用に扱えてるんスか?」
「ふふ、そこに文明の利器があったからさ!」
……うっさい。登山家か、手練れの。
本当にこの人はさっきのさっきまで死んでいたのだろうか?
蘇りたてほやほやの彼女が開口一番に「お腹空いた」とか抜かすもんだから、とりあえず連れてきたけどやっぱり来るんじゃなかった。
適当なファミレスとかにすればよかった。くっそー、こりゃ高くつくぞ。
「わー!きたよ!きたきた!……うーっひゅう!これも美味!」
……本当にこの人は死んでいたのだろうか?
実はちょくちょく復活して、そこいら中食べ歩いていたのではなかろうか。
「いやー。ワイトー、こりゃ美味だねぇ?雅だねぇ?やんごとなかばいねぇ?」
「うっさいですよマスター。それはドコ弁なんスか。 他のお客様に迷惑です」
店内であるにも関わらず、ベラベラ喋りまくる主人に苛立ちを感じてついにアタシも口を出した。
あ、そうそう。アタシの名前はワイト。
マイナーな魔物だけど知ってるかな? 王侯貴族のゾンビみたいなものです。よろしくお願いします。
まあ正しく言うならアタシはいわゆる『不死』というヤツで、別に全身腐り落ちてズルズルの骨だけおばけ、と言うわけではない。ボサボサヘアーのしょーもない女子大生でも思い浮かべてくれればそれでいい。
詳しい話はおいおいするとして、当時中途半端に死ねなかったアタシは、こうして現代まで図々しく生きてきた。
時代が進むにつれて人々はどんどん力や技術をつけていき、魔物だなんだが生きていくのは随分と難しくなっていった。
今となっては、こうしてアタシのように人の世にこっそり溶け込んでいるか、もしくは伝承や逸話としてその名と存在を残すか、歴史に残らないまま姿形を消してしまったか、魔物の存在などそんな程度である。
「なーんだよぉ、昔っから変わらないねー?真面目っつーかさ、冷たいってゆーかさー、死人とお話してるみたい」
「そいつは失礼、こちとら心も身体も冷えきった立派な死人ですよ。それに昔から変わらないというのは貴女の方ですよマスター。よくもまあそう適当に生きてられますね。一回死んでますけど」
そうなのだ。
とある伝説ではマスターは容姿端麗、成績優秀、完全無欠の絶対領域、誰もが愛するスーパー美少女のように描かれているが(何だよドン・今西って、アホか)、実際には知性も無けりゃ常識の欠片も無い、暴走する力の塊のような奴なのである。メガゴリラと表現した方がまだ適切だ。
まあ確かに?百歩譲ってマスターが居なかったら今みたいな高度な文明は無かっただろうけど、アタシら魔物がコイツを止めてなかったら、多分この星はもうとっくの昔に粉々に砕けて滅んでいただろうね。
「ま、それはさておき、この寿司とかいうのは美味しいなあ!美味しいの食べるとシアワセだなあ!」
アタシの腐りかけの皮肉を華麗にスルーして、マスターは目の前のお寿司をぱくぱく食べている。
……まあ、穴の空いた腑に落ちないけどお寿司が美味しいというのは概ね同意かな。
もにゅもにゅしてたり、こりこりしてたり。
甘かったり、しょっぱかったり。
色も綺麗だし種類も多いし、見て楽しい食べて美味しい……みたいな? その分お値段は結構するんですけどね。
そうやって一人でお寿司のことについてぼんやり考えていると、マスターは箸を咥えたまま電撃に撃たれたように目を見開いた。
「そうだ!よーし!決めたっ!私お寿司屋さんやる!」
「あぁ?」
ただでさえうるっさいマスターが、結構大きめの声でそう叫んだ。
店員さんも、他のお客さんも、画面の奥のキャラクターでさえも一斉にこっちを向いた。
……そんな気がした。
大声で意味不明なことをほざきあそばされたマスターに皆視線を注いでると思ったら、案外アタシの威圧的な声も大きかったらしい。
どうもアタシを見ている人が大多数だった。 や、やめて、こっち見ないで……。
◆
「ありがとうございましたー!またのお越しをー!」
結局、お店には居ても居た堪れない、いや、どちらかといえば居たくない、真っ先に帰りたい気持ちが強すぎたためそのまま店を後にした。もうここには二度と行かない。
ちなみに小計は一万飛んで一万六千八百円。
どんだけ食ったんだこの人、一皿百円+税ですよ……?
「いやー!はっは!食った食った!特にあれ!あの白いのは美味であった!」
「お寿司って白いのいっぱいありますよね。何食べたんでしょうね」
イカか白身か甲殻類か貝かサラダ系あたりかな?あれ、なんも絞れてないや。候補多。
「えと、なんつったっけ?ビントロ?」
マグロじゃねーか。
「う、うぅんっ!え、えーとぉマスター?一応聞いておきますけれど、さっきのは本気でおっしゃっておられるので?」
アタシはわざとらしく咳払いをすると、マスターに向かってそう尋ねた。
ちなみに『さっきの』、さっきのというのは……、いや、皆まで言うまい、もう言いたくない察してください。
でもこの人昔っからわけわかんないし、急に思いつきですぐ行動するし、頭腐ってんじゃないでしょうか。……それはアタシか。
とにかく、この人のことだ。この人のことだから多分、その、聞くまでもなく、
「ふふ、無論、私はお寿司屋をやるぞ!」
「ですよねー」
ええ。そうでしょうよ、そうだと思ってましたとも。絶対言うと思いましたよ。ええ。
彼女は生前から、『これこそが人々のシアワセ也!』 と、エクソシストという枠をブチ抜けて、それはもうなんでもかんでもやっていた。
それこそ魔物の退治はもちろんのこと、彷徨う悪霊の退治や大型猛獣の捕獲、未知の生物の発見と保護及びその研究、新素材の開発、万能細胞の開発及び培養、貧困な村への物資の支給といった慈善活動、最先端医療の発展に貢献、宇宙人の侵略を阻止及び撃退、難事件の解決、家事代行に畑仕事、恋の相談、明日の天気予報、運勢占い、訪問販売、マッサージ、ボタンの縫い付け、耳かき……etc。
とにかく、何が人々にとってのシアワセか、何をすれば人々は喜ぶのか、常にそれらを探し求めるハンターなのだ。エクソシストの名は返した方がいい。
「ワイト、お前美味しいもの食べたらどうなる?」
「ほへ?」
マスターが突拍子もなくそう問いかけてきたので、アタシは思わずすっとぼけた声を出した。
え、なんですか急に、美味しいもの食べたらどうなる? えっと、そりゃ、まあ、
「……うれしいなって思いますかね?」
「そうだろう?私もついさっきお寿司を食べてる時にそう思った。」
はあ。まあ、たとえ貧しかろうがお金に恵まれていようが、美味しいもの食べたらなんとなく嬉しくなるのは世界共通で、全ての生き物が感じる極自然的なことなのではないでしょうか。
マスター死んでるけど。
「いいか、よく聞けワイト。私はたくさんの人をシアワセにしたいんだ。」
マスターはいつになく真剣な眼差しでアタシを見つめると、オーバーな手の動きをつけてそう言った。
アタシは聞き飽きたそれに対して小さくハァと言うと、マスターの真剣な眼差しに免じて一応黙って聞いてみた。
「お寿司!美味しい!食べて!嬉しい!みんな!シアワセ!世界!仲良し!」
バカだ。
この人は本当にバカだ。メガゴリラだ。
アタシはマスターの発言を受けて、心の底から酷く落胆した。
何もお寿司を否定しているわけじゃあないし、美味しい物を食べたらシアワセになれるという単純直結型理論を否定するわけでもない。肯定もしないが。
でもそうじゃなくて、アナタは生前大勢の人達のシアワセを願って叶えようとした結果、その人間達に殺されたではないか。
まったく何も、何も分かっていない。
何も反省していない、何も変わっていない。
性根から腐っている。
「あんなにも美味しいんだから、子供もお年寄りも私ら死した者共も、老若男女生死問わず美味しく食べれてシアワセ間違いなしだな!」
アタシの気持ちなんて知らないで、なんて楽しそうに語るんだろう。
昔からそうだ。何にでも手をつけて、首を突っ込んで、何にでも挑戦して、困っている者を放っておけなくて、それで結果として全て最高の形を成し遂げている。
成功し続けているからこんなにも愚かなのだろう。
失敗を知らないから殺されてしまったのだろう。
大きな過ちも小さな失敗もまるで起こすことなく、常に物事に前向きで全力な姿勢だからこそ彼女は愛され、それ故に疎まれ恨まれ気味悪がられ、そして殺されたのだ。
ああ、やっぱりこの子はアタシが、アタシ達が護らなきゃ。
アタシ達が決めたのだ。
マスターがなんと言おうと、これはアタシ達の意志なのだから。
「そうだな!いわばこれは復讐だ! 人間達には私が居なかった時間の分もっともっとシアワセになってもらう!私は人間達をシアワセにする!してみせる!」
どうやらマスターは燃え滾ってしまっているようだ。
こうなってしまったら、もう例え森羅万象をねじ伏せる魔神が彼女の腕を引っ張ろうと、宇宙が拡がることを止めようとこの娘が止まることはない。
……仕方ない。今までやってきた数々の偉業に比べれば、寿司屋ぐらい大したことはないだろう。
こうなったらとことんお付き合いさせていただきますか。
「さあ!ゆくぞワイト!思いたったがハッピーデイ、善はマッハだ!」
マスターは渇いた瞳を輝かせながら、勢いのままに走っていった。
はあ、やれやれ。人間達に殺されて化けて出たエクソシストの復讐が、お寿司で人々をシアワセにする……ねえ。
なるほど、彼女のシアワセの探求はついにここまで来たか。言うならばエクソシストエクソシスオスシシアワセクエストだ。語呂悪、言いにくい。
お寿司クエストとかそんな感じで良いんじゃないかな、なんとなく字面もキャッチーだし。
ああ、何だか頭がクラクラしてきた。
しかしこれは、まるで嫌味のようにあたたかな陽光を浴びせる我らが怨敵、太陽の仕業などではない。
ぜったいに。