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第4回:天降る幽霊、地を這う幽霊(円山応挙の幽霊画)

挿絵(By みてみん)


 近年、ハリウッド映画を席巻した和製ホラー映画ブーム。『リング』『JUON 呪怨』『着信アリ』などの作品が、つぎつぎとハリウッドでリメイクされました。


 日本では、多少下火になった感があるものの、和製ホラー隆盛の先鞭をつけた鈴木光司の小説『リング』に登場した幽霊〈貞子(さだこ)〉は、現代日本でもっとも有名な幽霊(怨霊)の代名詞となりました。


 井戸の底からよじのぼり、TVのなかからぬけだして、爪のない手で部屋を這いつくばってせまりくる場面のオソロシさは衝撃的でした。


 映画『リング』以降、和製ホラー映画の登場する女性の幽霊はすべて〈貞子(さだこ)〉の亜流に()してしまうと云っても過言ではありません。


貞子(さだこ)〉は、昭和の都市伝説〈口裂け女〉〈トイレの花子さん〉以来のビックネームです。彼女は平成生まれの〈人造〉幽霊ですが、その設定は、古式ゆかしき日本的伝統に即した由緒(ゆいしょ)正しいすがたであると云えるでしょう。


 彼女は白い衣を身にまとい、長い髪のスラリとした女性で顔は見えません。超能力をもっていたばかりに、井戸へ投げこまれて殺されてしまいました。


 殺されて井戸へ投げこまれる設定は、浄瑠璃(じょうるり)播洲皿屋敷(ばんしゅうさらやしき)』に(そく)したものです。


 腰元お菊が主人・青山鉄山の大事な皿を割った(とが)惨殺(ざんさつ)され、井戸へ投げ捨てられます。そののち、夜な夜な井戸の底から「1枚……2枚……」と皿の数を数えるお菊の声がきこえてくると云うのが、この怪談(ばなし)です。


 葛飾北斎も、浮世絵版画『百物語さらやしき』で、井戸の底からあらわれた女性の怨霊の首を描いています。首から下は皿が蛇の体のようにつながっていて、デザイン的にも非常にすぐれた作品です。


 たとえば、弁財天の頭上に白蛇がとぐろをまいていることからもわかるように、蛇は女性や水の象徴なのです。


 北斎の描く『百物語さらやしき』の皿が蛇体をあらわしているのは、けっして偶然ではありません(弁財天は技芸の神さまですが、水の神さまでもあります。日本における女性の神さまは、ほとんどすべて水の神さまでもあるのです)。


 太陽神が男性(太陽=火=男)の宗教において、月の神さまは女性(月=水=女)ですが、太陽神が女性(アマテラス大御神)の日本で、月の神さまは男性です。しかし、なぜか水の特性だけは女の神さまがついでいるのです。


 さらに、井戸は地の底、すなわち死の世界へとつづく道(冥道(めいどう))を暗示するとともに、女性の産道も暗示しています。


 また、水は(いん)の象徴で、女性との関係がふかいとされています。すなわち、井戸は女の怨霊にふさわしい舞台装置なのです。


 幽霊と云えば、一般的には、白い着物を着た足のない髪の長い女性を想像すると思います。白い衣に長い髪と云う〈貞子(さだこ)〉のすがたは、まさに北酒場……ではなく、江戸時代以来の伝統を踏襲(とうしゅう)していると云えるでしょう。


 しかし、服部幸雄『さかさまの幽霊』(平凡社)によると、古来、日本の幽霊は、天上から逆さまに降りてくるすがたで描かれていたと云います。


 とは云え、幽霊画と云うジャンルが一般的でない上に、近世以前に描かれた幽霊の絵はとぼしく、実見する機会もありませんが、江戸時代なかごろまでは、幽霊と云えば、天上から逆さまに降りてくるようす(あるいは逆だち)で描かれていたのだそうです。


 映画『エクソシスト』では、悪霊にとり()かれた少女が、ブリッジの体勢で階段をのぼっていく衝撃的な場面もありましたが「逆だちの幽霊」と云うのも、それにまさるともおとらない衝撃的図像です(闇のなかで背中をむけて逆だちした幽霊の顔が、ひくい位置からコチラを上目づかいでニラんでいるんですよ!)。


 ちなみに、幽霊は死んだ人が「この世」にあらわれるすがたのことで、お化け(妖怪)や地獄絵に見られるような亡者の姿とは一線を(かく)します。


 それでは、今、私たちが、ふつうに想像するような「白い着物を着た足のない髪の長い女性」の幽霊の絵は、いつごろから描かれはじめたのかと云うと、円山応挙(まるやまおうきょ)(1733~1795)以降だと云われています。


 円山応挙(まるやまおうきょ)は、江戸時代絵画にはじめて写実(写生)の精神をもちこんだ日本の巨匠です。


 写実主義(?)の応挙(おうきょ)ですから、クールベのように「私は翼の生えた天使など、実際に見たことのないモノは描かない」と、うそぶいてもよさそうなものですが、幽霊のすがたを荒唐無稽(こうとうむけい)に描くのではなく、いかにも実際ありそうなすがたで描いてみせる応挙(おうきょ)の姿勢は、たのしいものです。


 応挙(おうきょ)の描く幽霊画の女性は、頬のふっくらとした若い女性が多く、白い着物に足が透けていなければ「美人画」と云ってよいほどやさしいものです。


 そこにいるのは人をこわがらせたり呪ったりする怨霊ではなく、この世に未練をのこした哀しくあえかな女性のすがたです。


 応挙(おうきょ)の幽霊画の登場以降、歌舞伎などの幽霊物(たとえば、四世鶴屋南北『東海道四谷怪談』)の隆盛とあいまって、さまざまな幽霊画が登場します。


 しかし、ここでの幽霊(画)は、完全にホラーと化し、どれだけこわくて気もちわるいかに主眼がおかれるようになりました。「よりわかりやすく、より過激に」と云う人々の欲求は、いつの時代もかわりません。


 それ以降、絵師の描く幽霊画の女性は、たとえば、祇園井特(ぎおんせいとく)の描く幽霊画のように、頬がこけていたり、目が血走っていたり、口を大きく開いていたり、鬼火が舞っていたりと、化けもののような形相をしていて、もはや美人ですらないものも多くなります。


挿絵(By みてみん)


 幕末・明治期を代表する浮世絵師・河鍋暁斎(かわなべきょうさい)は、幽霊画のコレクターだった歌舞伎役者・五代目尾上菊五郎に依頼され、新しい図様の『幽霊図』を描きました。


 痩せおとろえ、眼光のするどい幽霊像は、静謐(せいひつ)かつ凄惨(せいさん)さを感じさせます。この作品は、暁斎(きょうさい)の亡くなった妻をスケッチしたものを下じきに描かれたとも云われていて、絵描きの(ごう)すらおぼえます。


 現代の一般的な幽霊画の規範(きはん)はどうなるのでしょうか? やはり、白い衣を着た髪の長い女性のすがたであることにかわりないと思います。


 ただし、顔は美しいであろうものの、髪にかくれて見ることあたわず、かならずしも立っているわけではなく、地べたや天井を這いつくばるすがたで描かれることになるのかもしれません。


 かつて、天上から逆さまにふってきた幽霊は、長い年月をへて、今は地べたを這いつくばり、私たちを恐怖にふるえおののかせているのです。


 ま、どっとはらい。


〈おわり〉

※ この文章は2005年2月15日にWebサイト『水羊亭画廊』に掲載したものを、amebaブログ『水羊亭随筆 Classics』へ転載したものです。また『水羊亭随筆 Classics』に「さかさまの幽霊」(http://ameblo.jp/suiyou-tei-classics/entry-10129895026.html)と云うしょ~もない短編マンガを掲載しておりますので、ついでにご笑読いただければさいわいです。

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