第7回:美術の右利き左利き〈2〉
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文字も、そのおおくは「右利き優先」で発展しました。表音文字の欧米言語しかり、表意文字の漢字しかり。
文字そのもののカタチもそうですが、この文章のように左から右へとつづく「よこがき」の文章も「右利き優先」のかきやすさにゆらいしています(ちなみに、アラビア語は右から左へかきます)。
たとえば、こんなかんたんな(クダラナイ)実験をしてみればわかります。
30cmじょうぎをつかって上から下へたての線を13cmひいてみます。右利きの人は、メモリが「0」のところから「13」のところまで、気もちよく線をひくことができたはずです。
左利きの人ではどうでしょうか? 右利きの人は筆記具を左手にもちかえて、右手でじょうぎをこていして、先にのべたように上から下へたての線を13cmひいてみてください。
「ふつうにひけたけど?」なんて人がいるかもしれません。それはあたりまえです。注目してほしいのは、メモリのむきなのです。
私たち左利きは「30」から「17」と、メモリの数字を逆算(計算)しながらでないと、線をひくことができません。
右利きは、左から右へよこ線をひく(うでをうごかす)ほうがラクです。右手でふでをもつことがぜったいと云われる「書道」をかんがえてもあきらかです。よこ線が右から左へはしる漢字はありません。アルファベットにもありません。
また、右利きにとって、ななめの線は左かた下がりの方がかきやすいようです。お笑い芸人『髭男爵』の「ひぐちカッター」ではありませんが(わかりにくいたとえでスイマセン。わざとです)、右うでをななめに上げるとき、右から左上に上げるよりも、左から右上に上げるほうが、よりラク(しぜん)にかんじられることとおもいます。
「漢字のおおくは、カタカナ「ノ」のように、右上から左下へ下がるほうがおおいぞ。オマエの説がただしければ、かきじゅんは左下から右上に上がらねばオカシイのではないか?」なんて反論をとなえる人もいるでしょう。
これは人間の「手のうごき」のもつ特性ではなく、「視覚」のもつ特性にゆらいします。人間は上から下へむかってモノを見る特性をもっているのです。おそらく、人間だけではなく、おおくの陸棲生物にきょうつうする特性でしょう。
しばしば、おおくの野生動物が、体格の大きさで力を誇示したり、求愛することをかんがみてもあきらかです。大きさをかくにんするためには、下から見ていくより、上から見たほうがわかりやすいし、てっとりばやいものです。
そう云った「動物」としての本能が、人間にもねづよくのこっています。人とあったとき、かおよりもまず足首に目がいく人は独特なフェチのもちぬしでしょう。つねに足からあらわれるのは海原雄山でしょう(クダラナイじょうだんです。気にせずよみとばしてください)。
もっとも、そんな例をあげるまでもなく、下から上にむかってかき上げる文字がないことや、世界中で文章のよこがき・たてがきにかかわらず、文章が下から上へつづく例が、ほとんどないことからもわかります。
とどのつまり、漢字におおくあらわれるななめの線が、カタカナ「ノ」のように、右上から左下へ下がる「左かた下がり」なのは、右利き(手)の感性に、目の特性がのっかったけっかなのです。
よしんば、漢字やアルファベットの考案者が「左利き」だったら、「千」や「K」の文字は反転していたはずです。




