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第7回:美術の右利き左利き〈1〉

挿絵(By みてみん)


     1



 よしんば、人間の両手の指の数が14本だったら、いまごろ14進法(?)がはばをきかせていたにちがいありません。人間の両手の指の数が10本だったからこそ、10進法が一般化したと云われています。


 このように、人間の発想は、無自覚のまま、自分たちの身体がもつ「カタチ」や「しくみ」や「うごき」に規定されていることもすくなくありません。


 人間は、思いのほか、身体でモノをかんがえる(養老孟司風)。


 そんな人間の多数派をしめるのは「右(手)利き」です。いがいと見すごされがちですが、世のなかは「右利き優先社会」なのです。私は左利きですが、そのコトに異議をもうしたてるつもりはありません。


 ハサミだって缶切りだって、右利き用をふつうにつかいこなすことができます。もの心ついたとき、身のまわりにそれしかなかったので、左利きにとっての不便を自覚することなく適応(てきおう)しました。


 もしも、駅の自動改札のタッチパネルが左利き用、右利き用にわかれていたら、かえってたいへんです(しかし、身体をひねりながら左手で「pasmo」をかざすクセはなおりません)。


 しかし「右利き優先社会」が、無自覚のまま美術や文化にあたえてきた影響は大きいのです。今回はそのコトについてかんがえていきたいとおもいます。


挿絵(By みてみん)


     2



 世界でもっとも有名な肖像画と云えば、レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』でしょう。そして美術にさほどきょうみのない人でも『モナ・リザ』が、右と左、どちらをむいているかくらいはわかるとおもいます。


 正解は、わたしたちから見て「こころもち左」です(モナ・リザ本人からすれば、すこし右)。


 洋の東西をとわず、どちらかと云えば、左むきの人物(肖像)画がおおいのは、かならずしも、左むきのほうが「うつくしく見える」からではありません。


 たとえば、ボッティチェルリ『ヴィーナスの誕生』や『春』を見ても、中央にたつ女神の顔は左むきでえがかれています。いったいなぜでしょうか?


 それはかれが右利きの画家だったからです。


 このことは、自分の手首をうごかしてみれば、すぐにわかります。右利きの人は手首の構造上、左へふくらむ()をえがくほうがラクなのです。


 人のかおのりんかくをえがくとき、左むきでえがくほうが、右手はなめらかにうごきます。手首でもひじでも、外へむかってまわすより、内がわへまわすほうがラクなので、おおくの右利きの絵かきは、無自覚なまま、みずからのしぜんな身体のうごきにあわせて、人物のかおを左むきにえがきました。


 すなわち、世界中で左むきの人物(肖像)画がおおいのは、右利きの画家がおおかったからなのです。


挿絵(By みてみん)


 さて、ここで「ちょっとまった」と、もの云いをつける人がでてくるはずです。


 冒頭で例としてあげた『モナ・リザ』の作者レオナルド・ダ・ヴィンチは「左利き」ではないか、と。


 左利きであるダ・ヴィンチのえがいた肖像画も、左むきの作品がおおいのだから、右利きとはかんけいないはずだ、と。


 これは、実際に絵をえがいたことのない、右利きの人がおちいりがちな誤謬(ごびゅう)です。先にのべたように、わたしたち左利きの絵かきも、生まれたときから「右利き優先社会」で生活していることをわすれてはなりません。


 おさないころから「左利きの絵かき」は、おおくの「右利きの絵画」を見てそだち、その「模倣(もほう)」すなわち、モノマネからはいることが100%と云っても過言ではありません。


 そのため、左利きにとっての「不便」を無自覚のまま(わたしのハサミや缶切りの例とおなじように)「左むきの人物(肖像)画」を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)にしてしまうのです。


 たとえば、わたしの絵画修行は、小学2年生のときにえがいたマンガからスタートしています。マンガに登場する人物のかおは左むきがおおく(このコトについては、さらに後述します)わたしはそんな数々のマンガをお手本に左むきのかおばかりえがいてきました。


 そのため、いまでも右むきのかおをえがくより、左むきのかおをえがくほうがラクですし、上手なはずです。「右利き優先社会」にならされたけっかと云えるでしょう。


 ただ、人間が、人のかおや写実的な絵画などを処理・認識するのは「右脳」に負うところが大きいそうです(ちなみに、言語やシュールな芸術作品は「左脳」で処理・認識されます)。


 左右の視神経は、脳梁(のうりょう)で交差します。右目からはいった情報は左脳で処理され、左目からはいった情報は右脳で処理されます。


 そのため、人のかおを見たときの印象を、よりつよく決定づけるのは左目がわ、すなわち、あいて(見られるがわ)のかおの右半分だと云われています。


 もちろん、むかしの画家たちに、そんなちしきはありません。しかし、右むきの人物(肖像)画をえがいた右利きの画家たちは、ながいあいだ専門的に「観る」と云う行為をとおして、手(身体)の思考からかいほうされ、目(脳)による印象(美意識?)をゆうせんさせることができたのかもしれません。

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