1-1 大魔女の依頼
ニルヴァ邸は聖都コーレスのほぼ中央に位置する。
ヴァロたちはニルヴァ邸の会議室に座っていた。
会議室にはヴァロ、フィア、ドーラ、ニルヴァが席に座し、
それを取り囲むように四人のニルヴァの弟子が立っていた。
卓の中央の席には少女らしき人形が座っている。
髪から服に至るまでものすごく細かく、繊細に造りこまれている。
どこかの職人の手作りといわれても納得できるだろう。
ただそれがここにあるのはどこか異様に感じる。
ひそひそ声が耳に入ってくる。
「しかし本当によろしいので?」
「ラフェミナ様の下した決定に異を唱えると?」
「そうは言っておりませんが…」
視線の先には一人の男が眠そうに前のめりにうつぶせている。
この男はドーラ。元第四魔王『異形の壊境者』とよばれるドーラルイその人だ。
訳あって今は人間の姿をしている。
「ああ、君」
「あ、はい」
声をかけられたニルヴァの弟子がびっくりしてその場で跳びあがる。
「お茶もらえる?」
「は、はい」
返事を残して一目散に部屋を出ていく。
おそらく事情を知っているのだろう。
二カ月前の聖都を揺るがす大事件に関与した者ならば、当然の反応かもしれない。
ドーラさん、あなたのその清々しいまでの図太さは一体どこから来るのか。
ヴァロたちが到着するまでに一悶着あったらしいが、聞けずじまいだ
この様子では聞くのも怖ろしい。ヴァロはため息を吐き出した。
「そういえばドーラ、目的は済んだのか?」
思い出したようにヴァロはドーラに聞いてみる。
そもそもドーラがこの聖都コーレスに訪れた理由は、ドーラの元の躰の宿主の家に危険物があったためだ。
どんなモノかはわからないが魔器の類だという。
「この元躰の持ち主のコレクションはとりあえず封印しておいたヨ。
人間にしては興味深い趣味をしていたネ」
「封印って…」
仮にも一個人の所有物である。
封印するとか物騒な言葉が出てくるとはおもわなかった。
ヴァロは今は亡き『狩人』の先輩に思いをはせる。
ウルヒさん、あなたは一体何をしたかったのですか。
「使えそうなものはいくつか持ってきてあるヨ。このナイフとかサ…」
ドーラは懐からナイフを取り出す。
それは形状が独特なナイフだった。
ヴァロはどこか禍々しい雰囲気を感じとる。
「ソレ魔器の類だろ?」
「さすがよくわかったネ。面白いのはこれにかかった呪術が…」
言いかけてドーラは人形に視線を移した。
周囲の空気が一変する。凄まじいまでの存在感。
ただし、人を威圧するような不快なプレッシャーではない。
まるで巨大な何かに包み込まれるような感覚。
「や、ミーナ」
まるで親しい友人にでも話しかけるようにドーラはその人形に声をかけた。
「ドーラ、元気そうね」
どこか柔らかく透き通るような声。
この声は以前に一度聞いた覚えがある。声の主は大魔女ラフェミナ。
魔女たちの頂点であり、教会にも太いパイプを持つという。
その場にいたヴァロ、ドーラ以外は人形に向かってひれ伏す。
ヴァロは食い入るように人形から目を離せない。
その人形はまるで本当の人間としか思えない。いや、人間といわれても信じてしまうだろう。
それは顔の表情から動作に至るまで、徹底的に人であった。
「ラフェミナ様、調子はいかがでしょう?」
ニルヴァはその人形のそばにより声をかける。
「さすがね、ニルヴァ。感覚は肉体と変わらないわ」
纏う雰囲気はどこか高貴さをを感じさせた。その存在はまるで女王。
それでいてどこか人懐っこさが表情に見え隠れする。
ニルヴァは大魔女に褒められ、照れるような恍惚とした表情を浮かべた。
ヴァロはニルヴァのこんな表情を見るのは初めてだ。
ニルヴァの弟子たちもどこか夢の中のような表情だ。
彼女たちにとって、この女性は特別なのだろう。。
「魔法による遠隔通信。いいや違うな…これは媒介召喚の系統かな?」
ドーラが淡々と魔法の種明かしをする。
「ご明察」
にこりとラフェミナは微笑んだ。
人形だというのに人間以上に人間っぽい。これが『白亜の麗仙』ニルヴァの実力らしい。
「ずいぶんと手の込んだ手法を使ったネ」
「内緒話にはもってこいでしょう?」
「…また君は面倒事を押し付けるつもりかい?全く君ら姉妹はどれだけ人使いが荒いんだか」
ドーラはそうぼやいた。
「お久しぶりね、フィアちゃん」
「ご無沙汰しております」
ラフェミナの言葉に一礼をもってフィアは応える。
「魔法の研鑽は続けているようで何よりだわ。今度見に行かせてもらおうかしら」
「はい。その時を楽しみにしてます」
フィアは頭を下げる。
「…ヴァロさんもお久しぶりね。この場を借りてになってしまうけれど、
はぐれ魔女捕縛の件、聖都事変の件、本当に感謝します。
あなたをフィアちゃんの護衛につけて間違いはなかったわ」
「いえ別に…」
「ずいぶんと雰囲気がかわったようね。あら…この感じは…」
ラフェミナはヴァロの異変に気づいたようだ。
聖剣カフルギリアのことをに気づかれたのだろうか。
ヴァロはいろいろと事情があって、聖剣と契約している。
教会の許可も得ずに、聖剣と契約したことを知られたのなら大罪人確定だ。
背中を冷たい汗が滴り落ちる。
「そろそろ本題に入ってもらえるカナ?」
ドーラが遮るように言葉をかける。
ドーラの方を見るとヴァロにだけ見えるように、片目をウインクして見せる。
どうやら助け船を出されたようだ。
「…まあいいわ、本題に入りましょう。
ミイドリイクで厄介な事件が起きたの。フィアちゃんとヴァロさんはこれから
ミイドリイクに向かってもらいたいのよ」
「ミイドリイク?ここから西の遺跡都市?」
「行ってもらえば状況は理解できると思うわ」
行く?遺跡都市まで?ヴァロはその言葉に驚きを隠せない。
「少し待ってください」
ヴァロはラフェミナに声をかけた。
「ミイドリイクまで、ここから陸路で最短でも一カ月以上はかかります。
今その事件が起きているのならば、私たちがミイドリイクに着くまでに
その事件は収束してるんじゃないでしょうか?」
旅をしたヴァロだからこそわかる。
ここからミイドリイクまで行くのに、いくつもの川や山を越えなければならない。
さらに今の季節は冬だ。
雪山越えはかなり時間がかかるし、道が封鎖されている場所もある。
「…そう。そこでドーラの力を借りたいのだけれど」
ラフェミナはドーラの方を見つめる。
ドーラは半眼でやっぱりなという顔を見せた。
「そんなことだろうと思ったヨ。
空中飛行、及びその開発は一部の地域以外、大憲章で禁じられてるんじゃないのカイ」
「私たちの組織に属している場合はね。ドーラは私たちの組織には属してはいない。
それならば問題はないでしょう?…体裁は委託ってことになるのかしら?」
つまり、彼女の組織に属していないドーラにはその大憲章とやらも適用外ということだ。
「…ミーナ、しばらく見ぬうちに強かになったネ」
「弱いままではいられなかったのよ」
ラフェミナはどこか寂しげに微笑む。
ドーラはやれやれという風に頭をかいた。
「君には勝てないネ。…わかった。ただし条件があるヨ」
ドーラの提示してきた条件は、自身も遺跡都市ミイドリイクまで同行するというもの。
その上でドーラを雇うというもの。もちろん旅費、諸経費込だ。
それはある種の雇用契約のようなものだった。
「ラフェミナ様、いかがなさいましょう?」
ニルヴァはにこりと微笑んだ。
「ドーラ、頼めるかしら?」
「僕の職場にもよろしく言っておいてくれないカ?さすがにこれ以上休むのは…ネ」
「私のほうで代わりを立てておきますわ」
「いえ、その件は私のほうからヴィヴィに話しておきます。そちらの方が早いでしょう」
ニルヴァは気を利かせるが、ラフェミナは心配ないと言わんばかりにそれを遮る。
「そうそう、魔封緘ってのも一つもらえるカナ?今の僕には魔力がないからネ。魔法一つ満足に使えないヨ」
「ラフェミナ様」
ニルヴァが必死に何か言いかける。相手は元魔王。
彼に魔力の塊を渡すことは、凶暴な魔物を檻から解き放つのと同義だ。
ニルヴァの反応はごく当たり前の反応だともいえる。
「ニルヴァ。ドーラに魔封緘を」
ラフェミナは動じない。それは女王の風格。
「…承知しました」
顔は納得はしてないものの、ニルヴァはラフェミナの言葉にしぶしぶ引き下がる。
あの高飛車なニルヴァがここまで忠実なのにヴァロは驚いていた。
「決まりだネ。出発は明日の早朝ってことでいいネ」
「フィアちゃん、ヴァロさんは大丈夫?」
「はい」
ラフェミナの問いかけに、ヴァロとフィアは揃って声を上げる。
そうしてその場はお開きになった。