あなたと私の距離
素敵な人。
あなたとの距離は……ずっと遠い。
初めて会ったのは高一の夏。
コンクール直前でヒィヒィ言っていたあたしたちの前に、彼は颯爽と現れたのだ。
彼の名前は山口将平。この青華高校のOBだという。
当時一年生だったあたしたちにとって、山口先輩は初めて出会うOBだった。
山口先輩は十期生。あたしたちの学年が二十期だから、ちょうど十歳年上ということになる。
兄弟にも親戚にもそんな年頃の人がいなかったあたしにとって(いたとしてもせいぜい、学校の若い先生ぐらいだ)十歳も離れている彼はものすごく大人に見えた。堂々とした立ち居振る舞いだとか、態度だとか。
けれど、山口先輩を知っている二年生の先輩たちは皆親しげに彼に話しかけている。「山口先輩」の他に「ぐっちー」なんて呼びかけられているのを見ると、彼は現役に会いに来る機会が多くて、また慕われているのだということもわかった。
山口先輩は呼びかけの一つ一つに気さくに応じてくれて、時折笑い声もあげている。そんな様子を少し離れた場所から観察していたあたしでも、彼に対して好印象を持つのに十分だった。
コンクール前だからと、その日の合奏練習は山口先輩が見てくれることになった。
まあ、合奏を見てくれると言ってもOBだし、軽く曲を流した後で少し感想とかアドバイスをくれる程度だろうな。所詮”先生”ではなくて”先輩”なんだし……そう、思って軽い気持ちで合奏に臨んだあたしが浅はかだった。完全に彼を見くびっていた。
基礎練習からみっちりしごかれた後、ようやくコンクール曲の合奏が始まった。それは顧問の先生が見てくれる以上に入念で細かい、厳しくて濃い時間だった。
「そこ、もっとフォルテ! まだ音が小さい」
「スタッカートが甘い。もっと歯切れよくタンギングしろ」
「リズム隊、気を抜くな。お前らがずれると皆つられて全部おかしくなるんだぞ」
「コンクールまであと何日だと思ってるんだ、もっと危機感を持て!」 ついさっきまでニコニコしていたのと同じ人なのかと疑ってしまうぐらい、指示を出す山口先輩の瞳はらんらんと燃えていたし、口調も、身にまとう空気もピリピリしたものになっていた。決して怒ることはなかったし、時間ギリギリの最後まで根気良く付き合ってくれたのだけど。
練習が終わると、隣に居た冴が「きっつうー」と力なく呟いて椅子の上でだらしなく楽器を抱きしめていたけれど、できるならあたしも同じようにしたい気持ちでいっぱいだった。
それができなかったのは、指揮台から降りてきた山口先輩とたまたま目が合ってしまったから。
「ホルンの一年生か。そんなにきつかった? ごめんねー、コンクール前だっていうからつい力が入っちゃって」
聞かれてた! と冴が慌てて姿勢を正す。
驚いたあたしもそれにつられて背筋が伸びる。すたすたと椅子や人の間を歩いてきた山口先輩を仰ぎ見ると、彼はへらっと笑っていた。
「ああ、そんなに畏まらなくても。俺そんなに偉い人じゃないし。それにしても今年の一年は二人とも見込みがあるね。よく伸びるいい音だったよ」
「ありがとうございます」
まだ彼の人となりをよく掴めていないのもあって、そんな返事しかできなかった。
それに、さっきの鬼のような練習の後に、こんなに爽やかな笑顔を見せられたら……ギャップに、少し胸がときめいてしまった。
コンクールが終わり、夏休みも終わり、次に山口先輩が学校に遊びに来てくれたのは秋の初め。
十月に行われる文化祭のために、練習も大詰めになり始めた時期だった。
相変わらず先輩は人気者で、どこへ歩いていっても声を掛けられている。
あんな風に気軽に話しかけられる人たちが少しだけ羨ましかった。あたしは彼の姿を見るだけで緊張してしまうというのに。……どうして緊張するのか、このときはまだ自分でもよくわかっていなかった。
ただ、その日の練習が終わった帰り際、
「本番頑張れよ、見に来るから。期待してるぞ」
とあたしたちに言ってくれたのが嬉しくて、その後の練習に一層力を入れるようになった。
山口先輩が見に来てくれるというだけであたしには十分な活力だった。
そうして、三月。
山口先輩は毎週日曜日の練習に必ず顔を出すようになった。
理由は、四月に行われる定期演奏会でOB合奏をするため。山口先輩は毎年OBの取りまとめと指揮者を勤めているのだ。
何度かはOBの集合時間よりもずっと早い時間に学校に来て、あたしたち現役生の練習に付き合ってくれることもあった。特に会話なんかしなかったけれど、毎週のように会えるのが嬉しくて嬉しくて、冴には「日曜日になると麻実はご機嫌だね。せっかくの休日が練習でつぶれてるのに?」と不思議な顔をされるほどだった。
どうして彼が同じ空間にいるというだけでこんなに嬉しいんだろう。
その自分の気持ちに気づいたのは、全力で挑んだ定期演奏会本番が終わって、山口先輩が学校に来なくなった後だった。
あたしは、山口先輩のことを好きなんだ。
***
会えないとわかっていても、想いはただただ募るばかり。
あなたとの距離は、少しは縮まりますか?
二年生になると、なぜだか男の子に呼び出されることが増えた。
用件は、決まって「あなたが好きです、付き合ってください」というもの。
同じ学年の人もいたし、先輩も後輩もいた。あまりよく知らない人ばかりだったし、そのときにはもう山口先輩への気持ちを自覚していたので、全部断るしかなかったけれど。
いくら自分の気持ちに嘘はつけないとは言っても、自分の言葉が誰かを傷つけていることは変わらない。
誰かに呼び出されるたび、告白の言葉を聞くたび、あたしの気持ちは落ち込んでいった。
「麻実はさ、好きな人いないの?」
昼休み、いつもの仲良し四人組で机を寄せてお弁当を食べているときの会話だ。
こんな話題だから、普段よりもぐっと抑えた声量で、隣に座っていた英梨が訊ねてくる。
彼女はサバサバした性格をしているけれど、最近バイト先で彼氏ができたらしくて、以前よりも少し女の子らしい一面が出てきた。
こんな恋愛話なんて英梨からし始めることはなかったのに、今は頬を染めて興味津々の構えだ。他の二人、冴と絢子も身を乗り出してあたしの返事を待っている。いや、ご飯食べようよ。
「好きな人なんていないよー」
本当はいるけれど、まさかほとんど話をしたこともない十歳も年上の先輩を好きなんて言えなかった。
ほとんど叶う望みのない相手だし、絶対に笑われると思ったから。あたしだけが知っていれば満足で、いくら親友でも、あんまり騒ぎ立てて欲しくなかったのだ。
だからその場では笑って誤魔化した。
「じゃあ、冴は? 絢子もあんまりそういう話しないけど、どうなの?」
これ以上あたしに話を振るなと暗に伝えるつもりで、あたしは他の二人に尋ねた。
二人とも、同じように笑って誤魔化していたから、そのときに彼女たちの恋愛状況を知ることはできなかった。
恋愛話が嫌いな女子高生なんていないはずなのに、二人が自分の話をしたがらなかった理由を知ることになるのは、まだ先の話だ。
その後しばらくして、冴は一年生の松永くんと付き合い始めた。
けれど半年経ったか経たないかの頃、彼女たちはあっさりと別れてしまった。
その時の冴の表情があまりにも複雑で辛そうだったから、彼との間に何があったのか訊ねることができなかった。
そうして季節は巡り、二年生の終わりになる三月。
卒業式が終わって、しばらくすると、新たにOBになった卒業生たちが定演のOB練習のために顔を出し始める。
山口先輩も、また。
今度の定演は、あたしたち二年生(もうすぐ三年生だけど)が主役だ。
毎年、三年生は春の定期演奏会をもって部活を引退し、本格的な受験勉強に入るのだ。
だから今回は特別。全力を尽くしたはずの去年よりも、もっと真剣に身を入れて練習する。高校最後の演奏会だから、後悔したくなんてないから。
山口先輩から声を掛けられたのはそんな時だった。
「悪いけど、野田か村上のどっちか一人、OB演奏のほうにも出てくれないか? 今年、ホルンの集まりが悪いんだ」
「それなら麻実がいいよ。あたしよりも上手いし!」
どうしようか、と相談する暇も与えず、冴は即座に先輩に返事をしてしまった。
定演準備や当日の段取りのために、現役部員にはそれぞれ係が割り振られている。あたしの係の仕事はもうほとんど終わってしまっているけれど、冴のほうは本番前までずっと忙しく動き回らなければいけない。練習する時間を余分に取れるのはたしかにあたしのほうだった。
OBに混ざって演奏するのは、とても緊張することだった。
前の年の定演であたしたちもOBの演奏を直に聴いている。練習風景もいくらか見てきた。
彼らの演奏は現役の演奏とは比べ物にならない大迫力のものだった。人数も編成も現役とあまり変わらないはずで、練習時間は圧倒的にOBのほうが少なく限られているものだったのに、現役の演奏よりもレベルの高い、とにかく凄いとしか言葉が出てこないものだった。
そこに、あたしも混ざるというのは……考えただけで恐ろしい。
自分たちの練習の片手間に、なんて考えていたら絶対に無理だ。
けれどこれは山口先輩に近づくための大きなチャンスだ。
他の現役生の誰よりも、あたしが一番山口先輩を見ていられる。関わることができる。
それがどうしようもなく嬉しくて、先輩が「じゃあ頼んだな」と言って楽譜を置いて去っていった後、無意味に冴を突いたりして怒られた。
「どんな曲やるの?」
訊ねられて、渡された楽譜を広げてみると、
「……」
「……ハードそうな曲だね。頑張って」
気軽に楽譜を広げた笑顔のまま、あたしは、冴の手がぽんと肩に置かれるまで動けなかった。
うわあ、OBって毎年こんなに難しい曲をやってるんだー。
楽譜は読めるはずなのに、なぜかこの紙に並んでいるものたちは意味のわからない記号の羅列にしか見えなかった。不思議だ。
OBたちに混ざっての合奏は、さすが、やっぱり、ハードだった。
曲そのものもハードだし、指揮者である山口先輩から出される指示ももちろん厳しい。なのに、指示を出されたOBたちは難なくそれらの課題をこなしてみせる。
一番上の世代は一回りも年上の人たちなのだ。楽器に触れている年数も経験も、まだ十代のあたしではどうしたって劣る。毎回ついていくのがやっとの合奏練習だった。
なるほど、当たり前だけどOBは現役よりもずっとハイレベルの人たちばっかりなんだ。だから毎年の定演であれだけの迫力ある演奏ができているわけだ。やっぱりこの人たちはすごい。
一回目の練習から、あたしはそれをしっかりと体感した。
「野田、練習ついてこられてる? 大丈夫?」
合奏の休憩時間。
OBの練習は現役の練習が終わった後の時間に行われているので、音楽室付近に残っている現役生は少ない。残っている人たちはみんな係の仕事に追われて忙しそうにしている。
「なんとか。もう、楽譜が書き込みのメモだらけですよ」
水を飲んでいると山口先輩がこちらに来たので、あたしは緊張を押し隠すように言う。合奏中、全然余裕がなくていっぱいいっぱいですとは流石に言えないけれど、彼はきっとそれに気づいてる。だから心配してあたしのところへ来てくれたんだ。
「もしわからないところとか、できないところがあったら練習付き合うから。いつでも言って」
にこっと笑って、山口先輩は向こうに行ってしまった。
あぁ、その笑顔を見られるなら、どんなに厳しくされても大丈夫だ。
そう思うのと同時にどうしようもなく胸が苦しくなった。
だって、山口先輩は絶対にあたしのものにならない。あの笑顔はあたしだけのものじゃない。単に、一人だけ混じっている現役生を先輩として少し気にかけてくれただけのものだから。
こんな独占欲が自分の中にあるのは驚きだった。
醜いな、あたし。
定演では力いっぱい満足できる演奏ができたと思う。
最後まで不安の残ったOB演奏も、なんとか自分なりに形になっていたと思う。
「野田、今日は頑張ったな! 無理なお願い聞いてもらっちゃって悪かった、でも助かったよ。本番が一番いい合奏になった」
本番が終わった後の片づけをしているとき、山口先輩がねぎらいの言葉をくれた。
「いいえ、とんでもないです! あたしこそOBの皆さんと一緒に演奏できるなんて貴重な体験ができたし」
「何言ってるんだよ。お前も来年の定演にはOBだろう」
あ、そうか。
まだまだ現役のつもりだったけど、あたしは今日で引退だったんだ。
「来年、楽しみにしてるから」
そう言って、彼の手があたしの頭に伸びてきて、優しく撫でてくれた。
あたしよりも大きくて温かい手の感触が、しばらく残り香のように頭から離れなかった。
子ども扱いされていることに少しだけ気持ちがざわついたけれど、実際にあたしはまだ高校生で、子供なのだ。仕方がない。
それに先輩はあたしを褒めてくれたのだ。こんなに嬉しいことはない。
頑張ってよかった。
それからは受験勉強一色の生活だった。
受験勉強は辛いけれど、冬が終わり、受験が終わって春になればあたしはまたOBとして、山口先輩に会える。
それを頼りにしてなんとか頑張ることができた。
***
あなたと私の距離、少しは近くなりましたか?
高校を卒業して、定演のOB演奏練習日の初日。
あたしがどれだけこの日を楽しみにしていたのかなんて、誰も知らなかっただろう。
久しぶりに山口先輩に会えるのだ。このためにこの一年間、受験勉強を頑張って志望校合格を果たしたのだと言っても過言ではない。
久しぶりに冴をはじめとした同期や、先輩たちや、まで現役である後輩たちとの再会も楽しんだ。
そしてまずは楽譜を配るからと言って、あたしたちOBは音楽室に集められた。デモテープを聴いて、パートごとに楽譜を配られて。先輩は今年もまた骨がありすぎるほどにある曲を持って来ていて、古株のOBからは文句を言われていたりして。
ホルンにソロがある曲なんて(しかもこんなに長いソロパートなんて)珍しい。わざわざソロ譜とパート譜が別に用意されているぐらいだ。ちょっと見ただけでもう笑いしか出てこないような難しそうな譜面。
トランペットと掛け合いソロをするこの曲では、ソリスト同士の息がどれだけ合うかが重要項目の一つになるだろう。それは別に構わないけれど、こんなに難しそうなソロは、できるならばやりたくない。
ホルンパートにおいてすべての権限を持っているとも言える大場先輩に目を付けられないよう、冴と二人して必死で目を逸らしていた結果、ソリストは冴に決定した。冴には悪いけど、うん、頑張ってね。大場先輩も言ってたけど、あたしも冴の音、好きだよ。
それから何回かの練習は順調に進んだ。
山口先輩と話をできる機会はあんまりなかったけれど、あるとき思い切って、他の先輩たちが呼びかけているように「ぐっちー」と呼んだら快く「おう!」と返事をしてくれて、それだけで嬉しくなった。
こんなに小さなことでも喜んでしまうぐらい、彼に関することなら何でも嬉しかった。
そして、演奏会まであと一ヶ月を切ったある練習日。
トランペットとホルンのソリストが二人とも練習に欠席という、問題が、起こった。
その日、あたしがちょうど学校に来ると、慌てた様子でバタバタと校舎から飛び出してゆく冴とすれ違った。
てっきり忘れ物でもして取りに帰ったのだと思っていたけれど、合奏の時間になっても結局冴は戻ってこなくて、指揮台に立つ山口先輩も「今日は二人とも居ない」と言い切った。
何が起こったのかとざわつく室内で、山口先輩は面白そうな顔をして、ある提案をする。
少し前にあたしは冴の谷口先輩に対する恋心を聞いていたわけだけど、山口先輩が言うには、二人の間に何か問題が起こったらしい。そこに山口先輩が少し絡んでいるというのも彼らしいといえば彼らしいと思った。
山口先輩はとにかく楽しいことが大好きな人だから。
「最終的に山口、お前何についての話し合いをしたいんだ?」
ずっと黙って話を聞いていた先輩が口を挟んで、ようやく山口先輩は本題に入った。
「主役の二人がいない間に決めておきたいと思ってたことがいくつかあって」
そう言って、彼は図やイラストも書かれた大きな紙を広げて、それを壁に貼り付けた。たぶんこれも最初からある程度計画をしていて、ソリスト二人が居ない機会を狙っていたのではないだろうか。用意周到な人だ。
彼の計画の内容は、こうだ。
今回の曲の主役を思いっきり着飾らせて本番の演奏を行うこと。
そしてそれに伴う、いくつかの演出。ブーケを用意しておくだとか、冴が最後にそのブーケを客席に投げるのだとか。話を聞けば聞くほど面白そうだった。
「だからこの中の何人かに、ちょっと協力して欲しいんだ。せっかく社会人も何人もいるからな」
そうして、何人かの仕掛け人が名乗りをあげた。
当日の衣装を用意する役、ブーケを作る役、当日に冴のヘアメイクをする役……。
さすが社会人。色んな道のプロが集っている。
「あと、野田も頼むな。村上と一番仲がいいだろう」
「へ? はいっ」
こういうことをするのはプロばかりだからと少し気を抜いてぼんやりと山口先輩を眺めていたら、突然名指しされて心臓が跳ね上がった。
「色々聞きたいこともあるから、教えてよ。じゃあ、今決まった仕掛け人の皆さんは、練習が終わった後も少し残っててくれなー」
こんなに山口先輩に関われることになれるなんて夢なんじゃないかと思って、こっそり自分の手をつねってみたら、痛かった。現実だ。
その日の練習が終わった後、山口先輩と仕掛け人の先輩方と一緒に細かい計画を練った。
あたしはどうやらある種のアドバイザーとして呼ばれたようだ。
冴の服装や色の好みだとか、ドレスを用意するための、服や下着のサイズだとか(この辺は男性陣には内緒でやり取りした)、髪型はどうしようかとか。思っていたよりもずっと短い時間で、色々なことが決定していった。
衣装担当の先輩は「こんなことを言われるって知ってたら、ドレスのカタログ持ってきたのに!」とさぞ悔しそうに言っていた。けれど、その場で大まかなドレスの形をさらさらと紙に描いて説明してくれる姿は流石本職といった感じで、あたしは彼女を心から尊敬した。
あんなに可愛らしい冴だもの、着飾ったらさぞや綺麗になるのだろう。当日の彼女の姿を想像すると、あたしは今から笑いが止まらなくなった。
仕掛け人による秘密の計画会議も終わって、なんとなく帰るタイミングを逃してしまったあたしは、ぼんやりと話し合いをした椅子に腰掛けていた。いつもならば車で来ている冴に帰りは送ってもらっていたけれど、今日はその冴もいないから。
というのは単なる言い訳で、本当は同じ室内に居た山口先輩をただ見ていたかっただけなのだけど。
「野田、帰らないの?」
あたしの視線に気づいたのか(恥ずかしい!)山口先輩がふっと顔を上げてこちらを見た。
「いいえ、帰りますけど……なんとなくタイミングを見失ってしまって」
「あははは、そうなの? 変な奴だな、普通に帰ればいいのに!」
「そうですよね、じゃあ、そろそろ帰りますね」
思いっきり笑い飛ばされた。まあそうだよね。
今日は予想外にたくさん山口先輩と話をできて、舞い上がっておかしくなってしまっていたのかもしれない。いつまでもここに座っていても仕方ないし、うん、帰ろう。
何を期待していたんだろう。あたしの馬鹿。
「あ、待って野田。もし暇ならちょっと付き合ってよ」
「? はいっ」
不自然に元気のよい返事、本日二度目。一度目は仕掛け人に抜擢されたときだ。
山口先輩はあたしの返事を聞くと苦笑して、少し離れたところからあたしのほうへ歩いてきた。近くにある椅子に適当に腰掛ける。
「野田さあ、来週になって谷口と村上が来なかったらどうする?」
いつになく真剣な表情で。
真剣だけど、不安も混ざっている顔色で、山口先輩はあたしに尋ねた。
練習中は厳しいけれど、それ以外のときは笑顔を絶やさない人なのに。いつでも自信満々で、楽しそうに振舞っている人なのに。
今は肩を落として、表情だけではなくて雰囲気まで全部沈み込んでしまっている。
こんな弱音も吐く人なんだ……。
そんな意外な一面を垣間見てしまって少し混乱して、あたしは何も答えられなかった。
「いや、ほら、俺もあいつらがギクシャクする原因の一つだからさ。これでもちょっとは責任とか後悔とか、感じてるんだよ。悪ふざけしてあんなこと言わなきゃよかったとか、あいつら二人とも頭固いのに、からかい過ぎたかなとかさ」
「……よ」
「え?」
「大丈夫ですよ! 先輩、もっと自信持ってください。今頃きっと冴が谷口先輩のところに行って、なんとかしてくれますよ。それで、来週はちゃんと無事に二人とも練習に来ます!」
なんでこんなに全力でまくし立てているのかわからない。
しかも、興奮したら涙まで出てきた。
「冴、本当に本当にずっと谷口先輩のことが好きだったから、こんなことで諦めるわけがないです……」
どうしても堪え切れなくて、目からぼろっと液体が零れ落ちると同時にあたしはしゃくりあげてしまった。
ああ、嫌だな。こんなみっともない姿、山口先輩に見せたくなかった。
「困ったな。野田を泣かせたいわけじゃなかったんだけど」
あたしは黙って首を横に振る。
山口先輩は何も悪くない。あたしが勝手に興奮して泣き出してしまっただけなのだから。
「ごめんな、愚痴なんて聞かせちゃって」
そう言って先輩はあたしの頭をポンポンしてくれた。
ああ、また。
あたし、もう高校生の子供じゃないのにな。
いつになったら少しは大人になったと思ってもらえるのだろう。まあ、こうやってすぐに泣き出すようではまだまだ子供か。
このとき、あたしはずっと俯いたままだったので山口先輩がどんな顔をしていたのかはわからない。
ただ、頭に触れるての感触が優しくて、それがまたあたしの涙の原因になって、先輩をさらに困らせた。
車で送るという申し出は、申し訳ないけれどありがたかった。
真っ赤に腫らした目で電車に乗るのは少し気が引けたから。
好きな人の車、そして助手席。そんな未知の体験に、いつの間にか涙は完全に引っ込んだ。
車の中で先輩はずっと気楽な話題を探してくれていて、あたしが声をあげて笑えるようになった頃、もう家に到着してしまった。もともとうちから学校までは、電車を使うとはいえそんなに大した距離ではないから、車を使えばすぐなのだ。
つかの間の、泡になって消えてしまいそうなささやかなドライブは、大切な思い出になった。
***
近づいたようですぐに離れてゆく、もどかしさ。
翌週、冴と谷口先輩は無事にOB練習に顔を出し、演奏会にむけて最後の追い上げが始まった。
彼らが姿を見せたとき、山口先輩は心底ほっとした表情を見せた。あたしと目が合うといつもの笑顔を向けてくれたので、あたしも自然に頬が緩んだ。
そして本番。
冴は突然の出来事に頭がついていかないようだったけれど、そこはまあ、勢いに任せて。
白いドレスに身を包み、大場先輩の手によってヘアメイクを施された冴は本当に綺麗だった。色白の子だから、こういう格好をすると本当にお人形みたいだ。持って帰りたいぐらいに可愛い。
それに谷口先輩も格好良かった。背が高くて顔立ちもはっきりした人だから、白のタキシードを見につけても全然衣装に負けていない。
冴、この果報者め!
こういう企画に参加してよかったと思うのは、それが大成功した瞬間だ。
本番の演奏では、指揮者よりも白いソリストたちの後姿に目移りしそうになりながらも、なんとか吹ききった。周りの音にも当たり前だけどいつも以上に力がこもっていて、演奏しながら鳥肌が立ってしまったぐらい。
ソリストたちへの秘密の作戦も、本来のメインである演奏も、大成功だった。本当に良いものを見られたし、よい経験になった。
最後に指揮棒をおろした瞬間、山口先輩が満足げに笑みを浮かべるのを見て、あたしはもっと嬉しくなった。
その後の打ち上げで、晴れて谷口先輩とうまくいった冴が先輩方みんなから突きまわされて……もとい、祝福されていたのはご愛嬌というものだ。
ちなみにもう一人の主役・谷口先輩はというと、打ち上げには参加しなかった。たぶん、今の冴のようにもみくちゃにされるのを予想して避けたのだろう。だからって彼女になったばかりの子をこんな場所に一人で放り出すのは……どうなのだ。責任を持って連れ出してあげなさいよ。
あたしは未青年なので、隅っこのほうで同期と一緒にジュースを飲みながら先輩方に囲まれる冴を眺めて楽しんでいた。
親友の長くて苦しい気持ちが報われたのだ、あたしだって嬉しいし、色々と話を聞きたいところではあるけれども、それはまたの機会でいいでしょう。
せっかくの打ち上げだし、山口先輩とも少しぐらい話をしたいなと思って彼の姿を探したけれど、年長の先輩方と何やら盛り上がっていて、なんとなく入っていき辛い雰囲気だったから諦めた。
ようやく言葉を交わせたのは、終電が近くなり解散した後だった。
先輩たちに突きまわされて疲労困憊状態の冴を引きずるようにして駅へ向かおうとしていると、後ろから呼び止められたのだ。
「野田、仕掛け人の協力ありがとうな。助かった!」
「えー麻実も仕掛け人だったの!? 酷いよ何も教えてくれないなんて!」
「冴、うるさい」
ふらふらになりながら(酔っているわけではない)しっかりと話を聞いて反論してくるところが冴らしいけれど、ドッキリのターゲットは大人しく黙ってなさい。
「あたしこそ楽しかったです。先輩。今日はお疲れ様でした」
「うん、お疲れ様。また来年な!」
屈託のない笑顔で手を振って、帰るあたしたちを見送ってくれた。
あたしはその笑顔をしっかりと目に焼き付けた。
「また来年、か……」
「うん? 麻実何か言った?」
「ううん、なんでもない」
これでまた一年近く、会えなくなるのかと思うと……寂しい。
高校生の頃はよかったな。イベントのたびに、黙っていても山口先輩のほうから会いに来てくれたんだもの。
当時はそんなことを思わないで、早く大人になりたい、高校を卒業してOBになって少しでも先輩に近づきたいと思っていたのに。いざ卒業してみると、今度は先輩にたくさん会いたいから現役の頃のほうがよかったなんて。
まったく、我ながら自分勝手なものだ。
それから考えるようになったのだ。
いい加減に山口先輩から卒業することを。
だって、どう考えたって恋愛対象として相手にされるわけがないに決まっている。
向こうは二十九歳になる立派な大人で、あたしはつい先日ようやく高校を卒業したばかりの未成年。どう考えたって大人と子供だ。
頭をぽんぽんされるのは、完全にあたしのことを子ども扱いしているからだ。その辺の子供を可愛いと言って撫でるのと大差ない。うん、十歳も年齢差があったら、先輩にしてみたらあたしなんてまだまだ幼い子供にしか見えないよね。
いつでも笑顔を絶やさなかったのだって、しっかりとOBを取りまとめていた姿だって、彼自身の性格もあるだろうけど、何よりも彼が『先輩』だからだ。後輩に情けない姿を見せるわけにはいかないからだろう。
愚痴を聞くことになったのは予想外だったけれど、それだって、先輩の本当の一面を垣間見たような気がして嬉しかった。
でも、その一回だけだ。
結局あたしは先輩にとっては単なる後輩の一人でしかない。特別に仲が良いわけでもないし、気に入られているわけでもない。
これで脈があるなんて考えるほうがおかしい。どうかしている。
同級生の男の子は幼稚だと思っていたし、好きになるなら年上の人がいいとも思っていた。だから、初めて山口先輩への気持ちを自覚したときはちょっと嬉しかったのだ。
しっかりした、頼れる大人の人。彼が振り向いてくれたらどんなに素敵だろうと思った。
でも、もしかしたらこの三年間の気持ちは単なる憧れでしかなかったのかもしれない。
年上の人と恋愛してみたい、ただそれだけで、たまたま相手が山口先輩だっただけなのかも。
だとしたら、あたしはなんてハードルの高い人を選んでしまったのだろう。
十歳も年上の人なんて、たとえばこれが十年後の話ならともかく、今、そんなに年上の人があたしなんかを見てくれるはずがないのに。
大人の山口先輩には、あたしよりももっと大人の女性でお似合いの人がたくさんいるはずなのだ。
本当にあたし、ばかだなぁ。
どんなに走っても、手を伸ばして背伸びをしても、追いつけるわけがない程遠くにいる人なのに。
一度でも、触れることができると思ってしまうなんて。
***
心臓に悪い、急接近。そして?
季節が巡るのは早くて、最後に山口先輩に会ってから三ヶ月が経過した。
大学は夏休み。
久しぶりにあたしは冴と会った。
冴は理系なので青華大学へ内部進学、あたしは文系だったから別の大学へ進学したため、定演以来なかなかゆっくり話をする機会もなかったのだ。
「その後、谷口先輩とはうまくいってるの?」
あれだけあたしたちOBの手を煩わせてようやくくっついた二人のことだ、もちろんラブラブなんだろうけど、やっぱりもっと詳しく話を聞いておきたいものだ。大切な親友のことでもあるし。
飲み物を喉に詰まらせた冴に紙ナプキンを渡して冴が落ち着くのを待つ。彼女のこういう素直なところは高校時代からずっと変わらない。
「で、どうなってるの?」
「どうって言われても」
「駄目。話すの! だってあんな公衆の面前で、ねぇ?」
公衆の面前も面前、演奏会のステージ上で冴と谷口先輩はキスをしたのだ。
勘弁して欲しいと、冴の顔には書いてあるけれど、勘弁するわけがないじゃない! こんな面白い話!
両手で頬杖を付いて、ほら、話を聞く体勢は完璧だ。いつでも話し始めてくださいな。
「だって、あれは谷口先生が勝手に……」
「うんうんわかってる。お姉さんにはわかってるよ。ただ、親友として、その後の話も知っておきたいだけ」
「またそんなこと言って」
テーブルに届いたお皿の中身をフォークで掻き混ぜながら(混ぜなくてもいい料理のはずなのに)冴はなかなか話を始めてくれない。ほんのりと頬を染めて唇を尖らせてこちらを見ている。
そんな顔をしても、ただ可愛いだけなんだけど。
ひとしきり照れる冴をからかうと、なんと反撃が来た。
「麻実はどうなの? 大学でいいひと見つけた?」
まだ赤い頬のままで、少しだけ敵意のあるような瞳をしている。ふだんならこの子は絶対にこういうことを聞いてこないのだけど、からかいすぎたか。
「今はあたしのことなんてどうだっていいのよ」
「ダメ! あたしがこんなに話したんだから、麻実だって話すの!」
うん……そうね、ごめんね冴。
あんなに諦めようとして頑張ったけれど、結局あたしはまだ諦めきれていない。
山口将平という、十歳も年上の男性への気持ちを。
「いるよ、好きな人」
「えっ本当!? 誰? やっぱり大学の人? 高校のときは好きな人いないってずっと言ってたもんね」
ぱぁっと満面に笑顔を浮かべる冴に、あたしの胸は罪悪感で少しだけ痛んだ。
高校生の時、好きな人がいないとずっと言っていたのは、単に自分の気持ちを隠したかっただけだから。本当はずっといたのだ、好きな人。
「あの……」
名前を言おうとして、少し思い浮かべるだけで顔に血液が上がってくるのがわかる。
だめだ、あたし、全然彼のこと忘れてない。
「……ぐっちーだって言ったら、びっくりする?」
デザートを口に入れようとした形のまま固まって、大きな目をもっと大きく見開いた冴の表情だけで、やっぱり驚いたことがわかった。そうだよね、まさかあたしがそんなに年上の人を好きになってたなんて誰も思わないよね。
「本当に?」
「うん」
「だって、ぐっちー、あたしたちよりも十歳も年上の人だよ?」
「それも知ってるし、ぐっちーがあたしのこと好きになりっこないのもわかってる」
自分で言いながら、泣きたくなってきた。視界がじんわり歪んでくる。
「そこまで断言しなくても」
「わかってるの。ぐっちーはもっと大人な人が好きだよ」
彼の隣にいるのは、彼と同年代ぐらいの大人な女性が似合う。話題が豊富な人だから、あたしみたいに視界の狭い子供じゃなくて、もっと色んな話のできる頭のいい女性がいいだろう。
それからあたしは洗いざらい、ぐっちーへの恋心を冴にはかされたわけだけど。
「応援するよ」
と言う冴のほうがなぜか自信に満ちていた理由を、あたしはこの数日後に知ることになる。
冴に呼び出されて、あたしは今K駅にいる。
K駅はターミナル駅なので、人通りが絶えない。今は夏休みだから、休日を満喫する学生らしい姿が多い。
「お、野田? 久しぶり」
ぼんやりと立っていた後ろから声を掛けられて、振り向いて、あたしはどんな顔をしたのだろうか。驚きのあまり声が出ないなんて初めての体験だった。
あたしが待っていたのは冴であって、確かにこの人にも会いたいなぁとかちょっと思ったりもしたけど、今日この時間この場所にあたしを呼び出したのは冴だったのだ。だから、心の準備が全然できていなかった。
「ごめんごめん、そんなにびっくりした? 村上から何にも聞いてない?」
「え?」
何にもって、あたしは今日、冴と遊ぶつもりでここに来ていたのだけど。
じゃぁ行こうかと言って連れて行かれたのは、学生の財布にも優しいファミレス。
ちょうどご飯時だし、冴とも「お昼ごはんを食べてから色んなお店を見て回ろう」と言っていたのだった。が、目の前にいる人物が、予定とはあまりにも違いすぎる。
「村上は元気?」
「はい。この間会ったら元気そうにしてましたよ。谷口先輩ともうまくいってるみたいで」
「あいつらには苦労させられたよなぁ、お互いに」
ぐっちーは笑った。この人が一番苦労してるはずなのに。
「あたしは何もしてないですよ?」
「なんのなんの、野田がいなかったら俺、一人でどうしようかと思ってたんだからさ」
「へ?」
「だって、あの二人の内部事情知ってる人間って、限られてただろ?」
確かに。
あたしは冴本人から話を聞いて知っていたけれど、まさかぐっちーがあんなに彼らの事情を知っているのは意外だった。けれど彼があれだけ知っていたからこそ、演奏会であれだけの演出ができたのだ。
「楽しかったなぁ、今年の演奏会」
「まーな、毎年はできないけど、たまにはああいうのもいいね」
そんな話をしているうちに、食事なんてあっという間に終わってしまう。
レストランの人には申し訳ないけれど、ご飯の味なんて全然わからなかった。それぐらい緊張して、彼のこと以外には何も集中できない。
「野田はさ、好きな人いないの?」
突然そんな質問をされて、うまく答えるべき言葉をあたしは持っていない。
目の前にいるあなたです、なんて、口が裂けても言えるわけがない。嫌われたくないもの。
「なんでそんなこと聞くんですか? それよりぐっちーはどうなんです?」
この春からあたしは山口先輩をぐっちーと呼ぶようになった。
そのほうがなんとなく親しさが増した気がして、彼に少し近づいた気分になれたから。自己満足だけど。
「今は言えないなぁ」
へらりと笑って山口先輩はあたしの質問をかわした。
そもそも彼はなんであたしのところへ来たんだろう。冴に言われて無理やり、仕方なく? だいたい冴は彼に何を言ってここまで一人で来させたのか。
お会計をしてレストランを出て(彼はあたしに一円も出させてくれなかった)途中でアイスを買って、公園の日陰のベンチに並んで腰掛けた。
真夏だけど、日陰ならばそれなりに涼しい。閑散とした公園でゆっくり流れる時間を過ごすのも、悪くない。
「さっき野田にされた質問二つの答え」
いたずらっぽいめであたしを見る、先輩。この茶色い目が好きだ。
アイスを持つ形のよい手も、程よく日に焼けた肌も、全部好き。
でも、今日で諦めないと。
きっとあたしは今日、振られるんだ。
直接なのか、間接的になのかは、わからないけれど。
あたしがそっと頷くと、先輩は正面を向いて話し始めた。
「まず俺に好きな人がいるのかどうか。うん、いるよ、好きな人」
ああ、空が青いな。
そうだよね、やっぱり、山口先輩だって恋愛ぐらいする。もしかしたら「好きな人」は既に「彼女」なのかもしれない。
「それから、どうして俺が野田の好きな人の有無を気にするのか」
心臓のあたりがズキズキ痛む。これ以上彼の話を聞きたくない。だって、どうせ大したことのない理由なんだ。
だから、臆病なあたしを許してください。ごめんなさい。
「やっぱり答えてくれなくていいです」
「いや、言わせろ」
「だって」
もう最後の手段、逃げるを使おうとしてベンチから立ち上がったあたしの腕を、山口先輩はすばやく掴んだ。
男の人の腕ってたくましいな、あたしの力じゃ振りほどけないや。
「逃げるなよ。……俺は、野田のことが好きなんだ」
それを聞いたあたしが、驚きのあまりどれだけひどい顔をしたのかは……山口先輩以外の誰も知らない。
抱きしめられた腕は温かかった。
夏の暑さとは違う、あたしだけの心地よい空間だ。
もちろんその日の夜、あたしは冴に電話した。
「あ、麻実ー。今日どうだった?」
「ばかっ!!」
それだけ言って、すぐに電話を切った。
すぐに冴から折り返しの着信があったけれど、しばらくは電話に出てやらない。
せいぜい心配するといいだろう。
こんなに心臓に悪いことをしでかしてくれる親友、もう知らない。
いいや、嘘。冴はあたしの最高の親友だ。