カイシュウ
新世紀、とでも呼んでよいのだろうか。
世界の終わりが通りすぎたのか、はたまたまだ通り過ぎてはいないのか、よくわかってはいないのだけれど、一応安全宣言が出されたので僕は地下のシェルターから何ヵ月かぶりの地上へと這い出てみた。
地下シェルター内のテレビの画面で見ていたのである程度の覚悟はできていたのだけれど、地上はめっためたのぎたぎたに破壊されてしまっていて、街そのものがキレイさっぱり無くなってしまっていた。見渡すかぎり、どこまでもフラットな瓦礫の平原だ。たくさん、本当にたくさん建っていたビルの群が一切無くなってしまったので、そのぶん頭上に広がる空は今までに見たこともない程にだだっ広かった。黒くて真っ直ぐな地平線と、 宇宙へぽっかりと空いたような青空。これが、世界の終わりのあとの世界の景色らしい。僕は不謹慎にも、地上をこんなふうにされたことへの怒りや悲しみなんてものをすっかりと忘れて、この景色を美しいと思ってしまった。
地球外生命体からの地球侵略なんて、映画の中だけのことだと僕は思っていた。いや、たぶん僕だけじゃなくて、みんなも。シェルターなんかは極秘で建設されていたので一部の偉い人達はこの事を知っていたのかもしれないけれど、それでもたぶんそんな偉い人達もこんな事が自分が生きているうちにおこるなんて思ってはいなかったのだと思う。人々を避難誘導してくれたどこかの組織の人達も「まさかシェルターを使うことになるなんて」と言いながら食料備蓄の心配をしていたので、たぶんそうなんじゃないかなと思う 。
侵略者は、大きなブリキのロボットみたいなものに乗っていて(もしかしたら、あのロボットみたいなもの自身が生命体なのかもしれないけれど)、ビームとか火を吐くでもなく、大きな腕を振り回して街を破壊してまわった。幸いにも、その武骨な攻撃方法のおかげで僕たち人類の一部は逃げ延びることができた。そいつらが空からたくさん降りてきて暴れまわっている姿はどこか滑稽でもあったのだけれど、実際に間近でその圧倒的な暴力行為を目にしたときには、しゃれにならないくらいに恐ろしかった。世界中の街を一通り破壊しつくしたあと、そいつらは一斉に空へ帰っていった。破壊はしたけれど、どうやら彼らには地球という星を侵略しようという気はなかったらしい。あれからもう何ヵ月も経ったが、一度も姿は見せてはいない。とにかくこのまま地球へ戻ってこないことを祈るばかりだ。
僕はひさしぶりの地上を堪能するべく、ぶらりと散歩に出ることにした。
シェルターでの生活は、いつまでこの生活が続くのかわからないという不安はあったけれど、設備面での不便はまったくなく意外にも快適なものだった。ただ、家族や友人と離別した人々の悲しみがシェルター内をいっぱいに満たしていたので、酸素は充分にあるのだけれど息苦しさは常に感じていた。僕は一日でも早く外の世界に出たいなと思っていた。
世界の終わりが来たあの日のちょうど前々日に僕は母を亡くしていた。母は僕の唯一の家族だった。なので、僕はみんなよりもフライングをしたタイミングで深い悲しみに落ちてしまっていて、涙もすでに流しつくしてしまっていたし、感情なんかは一時的に底をついて干上がってしまっていた。シェルターに逃げ込んだ人々はみんなで悲しみを共にして、同じように憤り、互いに手を取り合い慰め合っていたのだが、僕はというとそれを遠巻きから他人事のようにぼんやりと眺めていたので、そうこうしているうちにみんなが強固に依りあげていた絆と呼べるその輪からはぽつんと外れてしまっていて、すっかりと取り残される形となった。
閉じられたコミュニティー内では、連帯感はとても重要なものらしい。
あてもなくぶらぶらと瓦礫の上を歩き回る。あの大きなロボットみたいなものは、大きなものを破壊するのは得意らしいが小さなものを破壊するのは苦手だったらしく、足下に散乱している瓦礫の中には破壊をまぬがれてまだまだ生活に使えそうなものも転がっていた。もしも会社が残っていたのなら大儲けだったのにな、と思った。僕は再生工に勤めていた。再生工というのは資源再生工場の略称で、ゴミを再資源としてリサイクルするためにあらゆる廃棄物を細かく分別して、それを各方面の会社に再び資源として売り歩くという仕事だった。家庭ゴミの分別から車のスクラップや建築廃材の処理まで、なんでも取り扱っていた。なので、以前の僕には目の前の景色が宝の山に見えただろう。今はもう工場はペタンコに潰されてしまったし、売りに行く取引先も何もかも無くなってしまったのでは、話にならない。
僕は瓦礫の中から、一台のフクーターを見つけた。キーは刺さったままだし、エンジン周りには大きな損傷はなさそうだった。ソーラーパネルが埃で汚れている。この状態でずっと放置されていたのでバッテリーの残量はないだろう。ボディから左右に突き出しているポールの先の四角いソーラーパネルを 服の袖で拭い、太陽に向ける。フクーターというのは半重力装置を搭載した浮力推進型スクーターの俗称で、タイヤなんてものは付いておらず、フワフワと地上を浮いて走ることができるシロモノだ。僕が見つけたフクーターはカタツムリと呼ばれる車種で、レトロな丸いフォルムが特徴的な車種だった。シートに腰をかける。このまましばらく休むとするか。
煙草に火をつける。シェルター内ではずっと自粛していたので、久しぶりの一服だ。煙は僕の肺をいっぱいに満たした後、鼻から抜けてふわりと消えた。美味い。生きてるということを、こんなことで実感した。根元まで吸ってから、煙草の火を踏み消した。
そのとき、なんとなしに見ていた景色の中に、赤い四角い箱のようなものを見つけた。
近づいて見てみると、根元から折れて倒れていたのですぐにそれとは気づかなかったのだが、赤い四角い箱は郵便ポストだった。受け口には溢れるくらいにいっぱいに手紙が詰め込まれていた。徹夜空けの灰皿にタバコがぎゅうぎゅうに刺さっている、そんな感じに、強引に詰め込まれていた。
さて、ここで質問です。 どうして電子機器が発展して一瞬で相手に思いを届けることができるようになったハイテクなこの時代に、手紙なんてアナログで不便なものが残っているのでしょうか。はい、そうです。正解は『手紙なら時を越えて思いを残すことができるから』でした。
この時代、手紙は圧倒的少数派のコミュニケーションツールになってしまっていた反面、その性能はとんでもなく進化していた。ハガキは火事がおきたとしても燃えないくらいの素材になっていたし(もう紙と呼んでいいのかわからないが)、ペンのインクも何世紀先までずっと色褪せずに残るというのだから、たいしたものだ。当然、ポストも軽い爆風になら耐えてしまえるくらいの堅牢な作りになっていた。日常生活の中ではその必要性は全く感じなかったのだが、人の思いを形に残すというサービスを過剰なまでに突き詰めた結果、ここに至ったらしい。
手紙とは、そんなコミュニケーションツールなのだ。ずっとずっとこの先も残したいという人々の切なる思いが詰まりまくっているその手紙が、このポストにはこんなにもぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
人々の一部はシェルターに逃げ込むことができたのだけれど、大部分の人々はシェルターには入れなかった。電波搭も破壊されてしまったあの時、人々が思いを託したのが、このポストだったのだろう。
いくつか取り出して読んでみたが、やはりというか、内容は遺書めいたものばかりだった。自分が死んでしまった後の世界に、どうしても残したい思いがあるのだ。そういった強くて重くてダイレクトなメッセージをいくつも読んでいると、わけもわからないまま生き残ってしまった僕の気は申し訳なさでどんどんと滅入ってしまっていったのだが、手にとった中で最後に読んだ手紙だけは、他のそういった手紙とは少し雰囲気が違っていた。
実に穏やかに、日常が綴られていた。
それは母親から、ユーキという名の息子に宛てて書かれたものだった。元気にしていますか、という一言から書き出されている。
文面から察するに、これを書いた母親は、まだ幼い息子と離れて暮らしているらしい。近況をわかりやすい言葉で楽しげに綴っている。終わりのほうでは子どもの体調を気遣う言葉が書かれていた。息子は療養中なのだろうか。
僕は、これが書かれたのは世界の終わりなんかよりも前だったのだろうと思いながら、この手紙を読んでいた。でも、最後の一文を読んだところで、それは勘違いなのかもしれないと思った。
『この先、どんなことがあったとしても、優しい心をなくさない強い大人になるのよ。母さんはいつも見守っているからね』
そんな言葉で締められていた。
僕はその手紙をポケットに詰めた。
カタツムリの充電が終わった頃、その手紙の宛先をもう一度確認してから、およそその地域だったと思われる場所を目指して僕は走り出した。