第六章
冬になった。一二月になると、入院患者の誰もが、どこかしら、そわそわして来る。年末年始の外泊が迫ってくるからだ。普段外泊出来ない人でも、ことこの「年末年始」には外泊出来る人が多い。入院騒動記に書いた、健君は最近では盆や正月でなくても外泊出来るようになっていたが、家庭の事情で出来ない人以外はほぼ全員が外泊出来るようになっていた。が、僕の場合は違った。
一〇日になっても二〇日になっても、父は外泊のことを言って来なかった。僕は生まれて初めて病院でお正月を迎えることになった。それについては、病院の他の患者にも聞かされて期待するような向きもあった。
その前にクリスマスのことを語らなければならない。この病院では毎年この時期になると、クリスマス・パーティーをやるのである。パーティーといっても講堂に入院患者が集まり、ご馳走を食べるのだが、その演出が変わっていた。
まず、「王様のスープ~っ!」とアナウンスがあって、王様の衣装を着た院長先生を先頭にスープの皿を持った一団が現れる。そして美しく飾られたテーブルにスープをうやうやしく配って行く。スープが終わると次はパンである。「王様のパン~っ!」と各テーブルにバターロールが配られる。そのあとチキンである。「王様のチキン~っ!」美しく飾られた皿にローストチキンが配られる。いつもと違って、まだほっかほかだった。ローストチキンでかなりお腹が膨れたところで、「王様のサラダ~っ!」美しいサラダが各々のテーブルに配られる。ちゃんと栄養バランスを考えているのだ(もちろんあのうら若い栄養師さんのお墨付きもいただいているわけだし)。続いては「王様のデザート~っ!」である。どんなデザートだったか、もう覚えていないが、きっとすてきな果物をちりばめたゼリーか何かが配られたのだと思う。そして最後は「王様のケーキ~っ!」である。美しいデコレーション・ケーキがテーブルに配られ、みんなが食べ終えた頃、何かささやかな記念品のようなものが配られたような気もする。
この頃いろんな人の口から、ある噂が流れてきた。今ある病棟を取り壊し、新しい病棟が建てられるというのだ。手始めにまず、この講堂が来年壊されるのだという。だから、こんなパーティーが出来るのも今年が最後だと言う。その最後のクリスマス・パーティーに参加出来て、僕は幸運だったという外ない。
当直は日毎に変わるが、大晦日の晩は周さんだという。周さんというひとは本当に優しいお兄さんだ。僕はそのこともあって期待していた。
いつもは九時消灯だが、大晦日の晩も確かにTVのない部屋は九時に消灯するけれど、TVのある部屋には明かりが点いたままであった。そこに人数は減ったけれど、新館の全員が集まる。大晦日の晩は紅白歌合戦が最後まで見られるのだ。眠剤をもらって飲んでも誰も眠らない。今日は特別な日なのだ。面白いのは、みんな静かに見ているのである。誰も騒がない。一心に見入っている。つまらないわけではない。これが精神障害者の一つの特徴なのだが、好きな番組は、みんな黙って見入るのだ。不思議でもあるが、少々感動的でもある。みんな好きで好きでたまらないひとときなのだ。誰にも邪魔されたくないし、邪魔したくない。だから黙って見るのだ。
いつも朝食の時間、七時に目を醒ますのだが、元旦は六時に目が醒めた。こういうことは珍しいのだが、そういえば朝食前に周さんが来て、誰か希望があれば、屋上に上がって初日の出を見ないかというのである。こういうところも周さんのいいところで、磯野君と、他に誰だったか、何人かで見に行った。僕は寒いからといって行かなかったが、行けばよかったと、今でも少し後悔がある。
あ、そうだ。磯野君のことを書くのを忘れていた。磯野君は僕の十年来の悪友で、この頃は毎日朝食の後になると僕のところへ来た。何の用かというと、朝食の食パンとジャムを貰いに来るのだ。僕がダイエットしていることは前に書いたが、朝食の三枚の食パンのうち僕は一枚を残すのだ。それをどうするかと言うと、僕は物々交換をやらない。よって、悪友でいつもお腹を空かせている磯野君に無償であげてしまう。
けれど、たまに僕もお腹がすくことがあって、そういう時は三枚とも食べてしまう。するとその後でお腹をすかせた磯野君がやって来るのだが、「あ、ないよ。食べちゃった」という僕の言葉を聞くと、瞬間彼はなんとも言えない悲しい顔をした。ああ、悪いことをしてしまった、と僕は悔やんだ。
トンカツの時、必ず僕は半分しか食べない。そうすると、恐怖の残飯処理係、磯野君がやって来て、残りのトンカツを食べてくれるのだ。今、記したように、残飯処理係などと悪口を叩かれながら、磯野君は食事が終わるたびにやって来ては僕の食べ残しを食べて行った。根が優しい彼である。きっと僕の言葉に傷ついていたと思う。済まないことをしたという後悔が今でもある。
そんな彼は自分の寿命があと数年しかないことを知っていた。僕と同じ福祉施設の寮に入って間もなくのことであったが、彼が予期した通り、緊急入院し、星が流れるように彼は逝ってしまった。まだ彼は39歳だった。
あれから僕は彼の命日、二月二七日が来るたびに、彼のために、線香を手向けるつもりで、俳句を一句、詠んでいる。甲斐先生の選に入った、彼の追悼句をここに記しておく。(合掌)
友の忌の春の渚へ下りてゆく 草一郎
追記
師にお見せしなかった、友の忌の句。
友の忌の供華は春めく日の中に
雉子啼き明日は友の忌かと思ふ
友の忌の春雨にただ濡れもして
蕗のたう仏となりし友の前
蕗のたうの一句は我ながら、出色の一作と思ったけれど、先生に見せる勇気がなかった。見せればよかったと、今でも後悔があります。
元日の朝食に何が出たか、もう忘れてしまったが、いつものような朝食ではなかったような気もする。というのも、昼や夕食には、給食の小母さん達の心尽くしのおせち料理が出たからだ。病院でおせちが食べられる。この時はさすがに嬉しくて、いつも家ではあまり食べないおせちもこの日は有り難く全部頂いた。どれも心がこもっていて、小母さん達の優しさを感じたひとときだった。
お正月の三が日に見るTV番組といったら決まっていた。元日はニューイヤー駅伝。二日、三日は大学対抗箱根駅伝を見るのだ。これもみんなが大好きな番組であって、食い入るように見入っている。僕も作詩なんかそっちのけで見入る時もあり、三が日はもしかしたら家にいる時より楽しかったかも知れない。何故なら、そういうひとときを邪魔する者など誰ひとりいないからだ。
三が日が終わると、一人また一人と、外泊から帰って来る。みんなそれなりにいい正月を過ごしたようだ。病院のおせち料理の話になる。外泊組の人にも知っている人がいて、お正月の食べ物談義に花が咲く。紅白歌合戦の話に移り、モーニング娘。のこととか(あの「ラブ・マシーン」がヒットした年でもあったし)、出演者の歌のことで盛り上がった。
数日すると、今度は大相撲の初場所が始まる。病院には相撲好きが多くて、相撲が始まるとみんな座る場所も決まっている。夕方のお茶の来る時間でもあって、みんなお茶を飲みながら、取組の一番一番に見入る。横沢さんと根津さん、それにかく言う僕も少々相撲通であって、相撲の取組の一番一番にそれぞれ予想をしたり、感想を言い合ったりする。みんな好きな力士が決まっていて、やっぱり貴乃花が一番好きという人が多く、その頃には夕食の時間になってしまうため、見られない人が悔しがる場面もあった。
冬のこの時期は世の中でも風邪が流行しやすいが、院内では、一人が引くとみんなに伝染ってしまうのである。これは部屋単位ではなく、病棟内全体でそうなりやすい。いわゆる「院内感染」という奴だ。そのため、季節に関係なく、病院内では年に幾度も風邪が流行った。かく言う僕も例外ではない。そういう時は薬を処方してもらうのだが、こんなこともあった。風邪を引いて、熱もあるので、と看護師詰め所に行ってそのことを話すと、奥から主任看護師(女性)の若森というのが出て来て、
「それであんたは何をして欲しいんだね!」と、物凄い剣幕で怒鳴られた。
果たして僕は怒鳴られるような悪いことをしただろうかと、一瞬耳を疑ったが、
「風邪薬下さい」と言うのが精一杯だった。何せ高熱で頭がぼんやりしてそう言うのがやっとだったのだ。若森という看護婦は主任風吹かせて威張ってばかりいると、他の看護師たちからも嫌われているらしい。しかし今回は風邪でよかったが、他の抗生物質の効かない病気だったら、病院ものんびり構えてはいられないだろう。院内感染とは恐ろしいものなのだ。
二月に入ると、立春の頃に毎年恒例の院内患者による将棋大会がある。一度優勝経験がある僕も、勧められて参加することになった。会場は病院の講堂である。僕は準決勝で第一病棟の村川さんと当たった。馴染みの顔であるが対戦するのは初めてである。もう末田さんも末田さんのライバルの山川さんも物故していなかったが、この準決勝と決勝の相手は強かった。村川さんは序盤、さほどでもないが、中盤、つまり闘いが始まってしばらくしてから実力を出して来る力将棋の人で、その中盤も僕が作戦勝ちして一気に終盤戦になだれ込んだ。一手一手村川さんの玉に迫って行くのだが、僕はもう勝利を確信していた。が、そこに油断があって、相手玉の即詰みを逃してしまった。それでも形勢逆転にはなっていなかったが、元々腕力の強い将棋を指す村川さんは生気を取り戻し、僕の玉に肉薄するまでになった。ここで玉を守るとじり貧になると察した僕は、軽い手だが、非常に厳しい一手に気がついた。その手がどんな手だったか、もう思い出すことは出来ないが、それが強烈なカウンターで、一気に即詰みまで持ち込んだ。決勝進出である。
決勝の相手は、僕も面識のない第一病棟の北原さんだった。この人は多分僕より実力は上だったと思う。序盤から一方的に戦端を開かれ、ゴリゴリと戦車のように詰め寄られた。僕もぎりぎりまで粘って、一手違いのところまで持ち込んだが、それも北原さんの計算内だったのだろう。一気に玉頭を突破され、玉を守る盤上の駒は銀だけだった。自玉の頭上には北原さんの「と金」が憎らしくも居座っている。ここで僕の手番になり僕は考えた。持ち駒は金銀一枚ずつに歩が少々。玉の頭に金を打って守るのが普通だが、相手は銀二枚と桂だけ、桂馬を上手く使われて即詰みだ。守るのは銀の方が良さそうだがその場合はこっちから銀を打つだろう。それも詰みだ。ここで僕は相手の読み筋にない手を指そうと思った。盤上の銀を引くだけの手だ。そうすれば敵陣にいる僕の馬も守りに効いて来る。苦し紛れだが、相手が間違えてくれるという妙な確信があった。しかし、それでも勝勢を確信していた北原さんはある手を指した。僕の計略に乗った手で、北原さんからすれば痛恨の大悪手。僕の玉がもう詰めろすら掛からないことを確認して、僕は相手玉を詰ましに行った。優勝。僕は優勝賞品のノートとボールペンを貰った。しかしはたから見れば手に汗握る熱戦かも知れないが、僕にとっては冷や汗ものの勝利だった。




