第四章
週に一度、シーツの取り替えがあることは以前にも話したが、以前は日曜日にやっていたけれど、この時は月曜日になっていた。今も多分そうだろう。障害の重い人や、他にも看護師の補助がないと出来ない人が多くてそうなったのだろう。というのは、日曜日は看護師もほとんど休みで、当直の看護師と休日出勤の看護師しかいないからだ。それに、包布が変わって、ちょっと蒲団を入れるのに普通の人でも苦労するような、スタイルの物になったからでもあった。
そういうこともあって、使用済みのシーツは月曜日の朝に集めて搬出する。週毎にそれをまとめて束ねる当番が、幾週間に一度か回ってくる。今週は二一四号室の人がやったから、次週は二一五号室という風に、だ。その当番がこの月曜日は僕の部屋、二一七号室に回ってきた。
例によって仕切るのは臼井さんだがそれを始めるのが早い。朝の六時なのである。この部屋には前述したようにTVがある。消灯は九時で、それまではTVも結構大きな音でガンガンやっているから、神経質な僕は、消灯の時刻まで眠れない。それと午後八時には眠剤を飲む時間があって、それが効きはじめるのも九時過ぎだろう。だから朝までぐっすり、途中トイレに起きることも滅多にない。だから朝起きるのが辛い。以前の入院では夕方の六時には寝ていたから早起きも出来たが、部屋が部屋でもあるし、今回はそれが出来ない。いつも朝食の時刻七時になって起こされるのである。だから六時に起こされるのは辛い。
さて、今朝はそのシーツの当番が回ってきた。前にいた部屋は介助の人ばかりだったから、そういうことはやらずに済んだが、今度はそうは行かない。が、シーツの当番って、えーと、何やるんだったっけ? 眠い頭を働かせて考える。そうだシーツを束ねるんだ。けれどシーツは他の人がやったから、僕には枕カバーを束ねろという。えっ? 枕カバーって、どうやって束ねるの?
臼井さんに聞いてみた。彼は冷たくこう言う。
「わかりそうなもんだ」
わからないから聞いているんじゃないか。僕は腹が立ってベッドにもぐり込みたくなったが、さすがにそんなことも出来ないから、思い直して、二つ折りにして、紐で縛ろうとする。と、臼井さんが、
「違う!違う! 丸めるんだよ!」
僕だって退院して四年も経っているんだから、入院の時の細かい記憶はもう忘却の彼方なのである。だから教えてもらわねば出来ないこともあるのに、僕を常連だと思っている臼井さんはそう思わないのである。
当番というのは、他にもある。廊下掃除の当番、この場合は新館の方の廊下なのだが、新館にいる患者が部屋単位で当番を決め、平日の早朝、廊下を掃き、モップを掛けるのである。これも辛いが朝の6時にやる。起きられない僕は叩き起こされるのだ。だが、やってみると、これが結構やり甲斐がある。廊下って、たった一日でこんなに汚れるのかと、驚きもする。だから当番を決めてやっているんだなと、眠いながらも納得をする朝でもあった。でもやっぱり、部屋によっては朝の廊下掃除は辛そうで嫌々やっている部屋もあったようだ。僕の部屋は几帳面な臼井さんや、三田君のような真面目青年がいるから、そんなこと素振りにも見せられない。
あとは、風呂掃除の当番。風呂は大勢が使うし、灯油代水道料も馬鹿にならないので、月曜日と木曜日だけなのだが、午後の四時前、風呂の時間が終わると、部屋単位で交替して風呂場に集まり、これだけは、看護師の指導も付いて掃除をする。脱衣室を掃き、雑巾がけが済むと、浴室。デッキブラシを持って集まり、洗剤は出来るだけ節約しながら掃除する。指導によく周さんという、患者に人気があり、信頼され、しかし怠ける者には容赦のない看護師が当たった。周さんは掃除の時、よくこんなことを言って僕たちを諭したり励ましたりした。
「辛いか。辛いけどな、社会に出ればもっと辛いことが山ほどあるんだからな。苦労は今のうちから一杯しておいた方がいいんだよ」
「風呂がきれいにならないと、次の時気分よく入れないだろう。世の中ではそういう目立たないことを労力惜しまないでやらないと、立ち行かないことが多いんだ。つまりこれに限らず、一事が万事に通ずるんだ。よく覚えておけよ」
周さんは、患者にもわかる言葉で「社会のルール」というものを教えてくれた。だからどんなに厳しくてもみんな周さんが大好きだった。




