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妖精たちの秘密の泉

作者: nore

「こんばんは。今夜も御指名ありがとうございます」

 そう言って、彼女は淑やかに笑う。

 肩にかかる位の、毛先にワンカールをかけたダークブラウンの髪からは、少しだけ先の尖った可愛らしい耳が見え隠れしている。

 大きな瞳は澄んでいて、ぷっくりとした色気のある唇は本能的に吸いつきたくなってしまう程のものだ。

 薄紫色のネグリジェの向こう側には黒のインナーが透けて見え、たわわに実った果実は軽く組まれた腕に支えられているかのようだ。

 妖精族にしては長身な彼女も、獣人の私と並ぶと頭一つ分は違う。


「今日もお仕事帰りでお疲れですか?」

「ああ」

「それでは、まずはゆっくりお風呂に入りましょうか」

 口下手な私の腕を取り、彼女は私を店の奥へと導く。

 そう、ここはオンラインゲームの中でありながらも、日々の疲れを癒してくれる大人のお店。

 知る人ぞ知るマッサージ店。


 その名も――




 『妖精の泉』



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 




「オンラインゲームなんかに現を抜かしているから、こんなミスをするんだぞ!」


 絶賛会社の上司に叱られ中の私。

 昨日の夜に感じた幸福感はすっかり冷めきり、今の気分は最悪だった。

 確かに、私はオンラインゲームを嗜むし、同僚とVRMMOの話題で盛り上がったりもする。

 だからといって、起きたミスをゲームと関連付けるのは勘違いも甚だしいと思う。

 そんな憤りを覚えながらも、ミスをした事実は消えないので、次はしないようにと心に誓った。



 オンラインゲームを害悪のように扱ったり、批判的な立場を取ったりする人は確かにいる。

『ネトゲなんてただの時間の無駄だろ』

 そんな事を言う人もいるが、彼らはオンラインゲームのゲームとしての一面しか見ていないのだと思う。

 確かに、レベル制にしろスキル制にしろ、経験を積むことで自分が成長していくというゲーム性はある。

 だが実際、単調なレベル上げのみを絶えず続けているのは極一部の攻略組と言われるプレイヤーだけだ。

 残りの大半はネット上の友人と会話を楽しんだり、好みの装備を集めたりと、VRMMOの世界を楽しみながらゲームをしている。

 友人との交流や、息抜きがてらの買い物をして楽しく過ごす時間を、私は無駄だとは思わない。


 そんなある種、第2の生活の場とも呼べるVRMMOであると、当然、人の欲を満たすことを対象としたサービスの提供が盛んになる。


 1つは、食欲である。

 現在の技術では完全とは言えないものの、味覚をフィードバックする機能は搭載されている。

 それを利用したダイエット支援アプリケーションは、VR技術がまだ普及し始めた初期の頃から効果が期待されていた程だ。

 そしてVRMMOの分野でも、女性プレイヤーの獲得を狙ってか有名な洋菓子店とのコラボレーション企画を行う会社もあった。

 事実日本人の食への関心は凄いもので、1つの街に幾つもの食事処があり、中にはプレイヤーが営む店もある。


 もう1つは、性欲である。

 まだVRの技術が確立されていなかったころのMMOでもチャHや見抜きといった行為が流行ったように、VRMMOでもそういった行為は続けられている。

 むしろVR技術が発展し、仮想とはいえ実際に肌と肌が合わせられるようになったことで、その手のサービスの人気は急激に伸びた。

 また、簡単には声が変えられないといったハードウェア上の制限もあり、ネカマの心配が少なくなったことも利用者の増加の後押しに繋がった。

 VRMMOでは安全性に優れ、簡単にログアウトをすることが可能であるため、サービスを提供する側としても安心で敷居も低いのであろう。


『エロいことをしたいならなら現実のサービスや、それ専用のVRサービスを利用した方が有意義だ』

 と言う人もいる。

 しかし、別腹という言葉があるように、それはそれ、これはこれである。

 マンネリ化した男女が、場所やシチュエーションを変えることで再度盛り上がるように、一般向けのVRMMOで運営の目を隠れて行為をするという特殊な状況に、背徳感や高揚感を覚えているのかもしれない。




 そういう私も、とあるマッサージ店の常連だ。


『妖精の泉』

 ギルドハウスやアイテムショップが立ち並ぶ大通りから、少し離れた脇道の隅に、知る人ぞ知る隠れた名店がある。

 名前の通り従業員は全員妖精族のプレイヤーであり、可愛らしい容姿と丁寧なサービスで人気を博している。

 それでいてゲームの利用規約には引っ掛からない、あくまで健全なサービスを提供する店であり、他の風俗まがいの店が運営に取り締まられる中、長く営業を続けていた。


 職場で溜まったストレスを解消させるために、私は毎日と言っていいほど頻繁にこの店を訪れていた。

 今日もまた、頭の固い上司に叱られた鬱憤を晴らすために、お気に入りのあの子に話し相手になってもらうとしよう。



『カラン、カラン―』

 帰宅後すぐにVRMMOを始め、目当ての店のドアを引く。

 するとまるで喫茶店のような内装がまず目に入る。

 というより、喫茶店そのものなのだ。

 接客中でない従業員は、喫茶店のウェイトレスとしても働いている。


 ゲームの中でも働いて何が楽しいのかと思うかもしれないが、VRMMOの楽しみ方なんて人それぞれだ。

 また、キャストやスタッフと呼ばれる共通サービス職のスキルを持っている者は、貢献度に応じて運営からアイテム等のボーナスが貰えると聞く。

 それによって、一見利益がなさそうな特殊な生産職でも、職に就くプレイヤーは後を絶たず、ゲームとしてもさまざまな職が溢れ、より盛り上がるのである。


 私は、いつもの場所である一番右端の席に座ると、丁度厨房へと戻ろうとしていた“あの子”を見つけオーダーをする。


「『妖精の泉に願い事をしたい』」

「はい、泉の参拝ですね。奥の扉の先でしばらくお待ちくださいね」

 そう決められた合言葉だけを言う私に、彼女は優しい笑みを見せながら応えてくれる。


 扉の先には待合室のようなスペースがあり、そこで彼女達の用意が整うのを待つのだ。



「こんばんは。今夜も御指名ありがとうございます」

 数分後、笑みと共に彼女が現れた。


 毎回毎回、気の利いた言葉の1つも掛けられない自分が嫌になる。

 たとえゲームの中とは言っても、相手はプレイヤーであり人間である。

 もともと女性との付き合いが苦手だった上に、職場の上司とのやりとりもあって更に酷くなった節がある。

 あの行き遅れ女も、目の前の彼女のように慎ましくあればいいのにと思う。

 こうして今日も結局、最低限の相槌を打つだけに止まるのだ。



「ふぅ……」

 店の奥にある、泉をモチーフにした入浴スペースで、彼女と共に湯に浸かる。

 装備を解除しインナー姿である私の背中を、彼女は丁寧に洗い流してくれる。

 VRとはいえ風呂に入ると心地よくなるのは、ある種の魔法なのかもしれない。


「それで、今日は嫌なことでもあったんですか?」

 受け付けの際、職場での一幕を思い出して不機嫌になっていたのが態度に出ていたのかもしれない。

 落ち着いた頃合いを見計らってか、彼女に尋ねられてしまった。


「ああ、職場でのミスをゲームのせいにされてしまいまして」

「そ、そうだったのですか。それは不運でしたねえ」

「その人は、自分がゲーム嫌いだからと言ってすぐネットゲームに結び付けて怒るんですよ」

「彼女がゲーム嫌いかは置いといて、気を引き締めろと言いたかったんじゃないでしょうか?」

「そんな訳ないですよ。以前も休憩時間中に、ネットゲームの話題で盛り上がっていただけだと言うのに小言を並べられたんですよ? 休憩時間くらい好きにさせてくれって話ですよ」

「ゲームに嵌まるのはいいけれど、ちゃんと休むようにもと言いたかったのでは?」


 上司の愚痴となるとスラスラと言葉が出た。

 思っている以上に私は鬱憤を溜めこんでいるようだった。

 話しているうちに、またあの時のイライラを思い出しそうになってしまったので落ち着くことにする。


「つっ、すみませんでした。さっきから愚痴ばかりで」

「……、いえ。お客様の鬱憤を晴らし、心地よくすることが当店のサービスですので」


「そうですね。あんな頭の固い女の話をしても楽しくありませんもんね」

「あ、頭の固い?」


「そうです。どうせ彼女も行き遅れて焦っているのでしょう。八つ当りは止めて欲しいものです」

「い、いい、行き遅れですって!?」


 突然叫びながら彼女が立ちあがった。


「私は、まだ29よ。29! まだ三十路ですらないのよ!! これで行き遅れとか言うなんて、じゃあ何歳までに結婚すればよかったのよ! さあ、言ってみなさいよ!! 学生のうちに結婚なんて考えられないでしょ? だったら早くても22歳からじゃない。それから上司に認められようと頑張ったのよ。そしたらなにが、『隙がない』だの『理想が高そう』だのよ。こっちは必死に頑張ってきただけじゃない。じゃあ失敗ばっかりして、可愛い子ぶってたほうがよかったっての? なんなのよ。ほんどなんなのよ。気づいだらもう29よ。どうじたらよかっだのよ。おえっ、うっ、ずずず」


 私は声も出せなかった。

 一気に捲し立てた彼女は、気が高ぶりすぎたのか咽び泣いていた。


「なによう。若い子がVRMMOなんてものをやってるって言うから、私も話題に混ざれるかと思ってやり始めたのに。叱ったのも、夜遅くまでこうして遊んでるあんたの体調を気遣って言ったのに」

「え、それじゃあ……」


「そうよ、私よ。あんたは休憩時間中にキャラクターの名前を言ってたから、すぐ見つかったわよ。だからこうしてお店の従業員になって、会社以外では相談に乗ってあげようと思ったのよ」


 目の前にいる彼女と、あの上司の雰囲気があまりに掛け離れていたため、思わず上から下まで眺めてしまう。


「なによ。ゲームの中でくらい着飾ってもいいじゃない」

「あ、ああ、確かに綺麗ですよ」


 今まで言えなかった言葉がポロッと出てしまって、私は咄嗟に俯くも、気恥かしさで顔が赤くなってしまった。

 顔を上げると、彼女の尖った耳もまた真っ赤に染まっている。



「あ、あの」「あのさ」

 沈黙に耐えられなくなり、意を決して声をかけると、彼女と重なってしまった。

 それでも私は、続けて言う。


「私は今まで、貴女との会話で励まされ、貴女との行為でやる気を貰い、貴女の笑顔に助けられてきました。なのでこれからも、今までと同じくよろしくお願いします」


「今までと同じく、か」


「そんな貴方だから相談したいんです。今度。お互いを知るために会社の上司を誘って出掛けたいのですが、いいデートプランなんてありませんかね? 若い女性の好みには疎くて」


「嫌味かよ。でも考えてあげるわ。丸一日引っ張り回されるようなプランにするから覚悟しなさいね」


 段々と調子がでてきた彼女を見て、そんな休日も悪くないかなと思う自分がいた。


「さて、それではマットに横になってください。前も洗いますよ」

「え、え!?それもやるんですか? 中の人が透けて見えて怖いんですが」

「い・ま・ま・で通りですもんね」


 満面の笑みの奥に逆らい難い力を感じるも、泉の中を逃げ回る私。

 

「ちょっと、ほんと待って! きゃー、犯されるー」

「ほらっ、イイコトしてあげるんだから黙って捕まりなさい」

「キャ――」 


 

 こうして今日も、妖精たちの秘密の遊びが行われている。


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