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7.入り婿と義父様と義母様と

 ロンドルフ公爵、と言えば、この国に於いて知らぬ者が居ない大貴族様である。

 先祖代々重職を就き、国の発展に力を尽くした一族であり、現公爵はあまり表舞台には出ていないが、たとえ一言だけだとしても、その言葉の影響力は計り知れない――とか何とか。

 兎にも角にも、物凄い人物なのである。

 そんなお方が傍らに居るだけでなく、あまつさえ義父と呼ぶ事――未だにそんな風に呼んではいないが――になろうとは。

 そうロンドルフ公爵ロベルトはユクシャの隣に居るのだ。


 実父よりも年が下のせいか、まだ若々しい見た目も壮年くらい。

 刈り上げた青銀の髪、常磐の瞳で、彫りの深い精悍な容貌。

美形ではあるが、娘であるカナリーとの相似は同系色の瞳だけだろうか。

 偉ぶる様子は無いが、貴族としての品位というか、風格が滲み出ている。

――がっしりとした体躯に、土汚れの付いた作業着を纏っていようとも、その品位が損なわれる事はない。それは貴族だからか。

違和感だけはどうしても拭えないが。


 ロベルトは本日も朝から趣味の畑仕事に精を出していた。

 作業着に麦藁帽子、首に手拭いを掛けている。

 上等な布地や手の込んだ仕立てに目を瞑れば、農夫そのものの格好。


「うんうん。二人だとやっぱり早く終わるな」


 充足感を顔に浮かべたロベルトは手拭いで額の汗を拭っている。


 大貴族が畑仕事をしているなんて、誰が想像出来ようか。ユクシャだって予想だにしていなかった。

 半ば隠居に近い――自己申告で、だが――とはいえ、貴族の、それも一領主の趣味にしては些か風変わりでロベルトの趣味ではある。

 何でも、病に倒れて以来――正確には居をロンドルフ領内に移し、病が小康状態になったくらいから始めたとか。

 仕事をする訳にも行かずに、余った時間で適度な運動にもなり、身体のためになるから。

 他にも身体を鍛えたり、バランスの良い食生活等を心掛けていたのだが、畑仕事で物作りのすっかり魅了されてしまって今に至る、と。


 まあユクシャもロベルトの趣味を手伝い、畑仕事を息抜きにしてる時点で何も言えない。言う気もないが。


 家畜の餌にするという、引っこ抜いた雑草をしゃがんで集めていたユクシャをロベルトが呼んだ。


「ユクシャ君」


 はい、とユクシャは顔を上げれば、使った如雨露を片付けようとしていたらしいロベルトの姿。


「困った事はないかな?」


 脈絡の無いロベルトのそれにユクシャは目を瞬かせる。

 意図が分からなかったが、考える事なく即答した。


「別にないですけど…」


 本当はない、とは言い切れないが。

それは素直には言えない。カナリーとの間の事だし。


「そうかい。何かあったら遠慮しなくていいのだからね」

「はあ…、そうしますが」


 考える素振りを見せなかったのに、どこか肩を落としたような。

 そんなロベルトに重ねて言われたユクシャは何となく頷いておいた。


 一体何だったのか。


 その午後。恒例のロンドルフ公爵夫人ニフリートの茶会にユクシャは招かれていた。

 二人っきりのささやかなものではあるが、相変わらず宮廷風だという、見た目からきらびやかな菓子が並んでいて、しかも向かいには身分がかなり上の女性。

緊張しない方が無理である。

 ニフリートが自ら、お茶を注いで、菓子を取り分けてくれるのも一因であろう。

 そりゃ緊張の度合いは違うのだが。

 しゃちほこ張っていたユクシャの顔が菓子を一口ずつ口に運ぶに従って笑みが浮かんでくる。

 美味しいものを食べる内に緊張が解れたようだ。

 もぐもぐと頬張るユクシャの様をニフリートはカップを包むように持ったまま、それはそれは優しい眼差しで見守っている。

 男の子の食べっぷりは見ているだけでも新鮮なのだそうだ。


 そんなニフリートは輝かんばかりの美貌の持ち主の、貴婦人である。

 カナリーとよく似た顔立ち。年を経た皺が刻まれているが、それでも彼女の美しさを衰えてさせる事はない。

 豊かな白金の髪を緩く結い上げて、紫の瞳は水晶のように透明度が高い。

 瞳を和ませていたニフリートはユクシャが寛ぐ様子を見せ始めたのを見て取った。


「色々あって、此処での生活にまだ慣れていないでしょ」


 ニフリートの言葉は疑問ではなく、確定であった。

 ユクシャは俯いて、カップに映る自身を見ながら小さく頷く。


「なかなか、まだ…です」

「それはそうよね。生活習慣からして、全く変わるのだもの。そんな、すぐには無理だわ」


 言いながら、ニフリートは目を細めて遠い目をした。

 在りし日に想いを馳せるかのような、そんな表情で。


「…あ」


 それを見たユクシャは口の中で声を上げる。


 そうだった。ニフリートも又ロンドルフ公爵家に嫁いできた人間だったのだ。

 多少――多々だろうか――差異はあれど、今のユクシャと同じ事を経験してきた。

 そして、王族である。

 先代陛下の同腹の妹。国王陛下の叔母。

 つまり――。


「…王女様ですよね」

「あらやだ。昔の話だわ、そんなの」


 ニフリートは上品な笑みで一笑に付そうとする。

 しかし、二十年近くも前に降嫁している身ではあるが、王族には変わりない。

 それ故、ニフリートもその娘のカナリーが王位継承権を有しているのだ。王位に就く可能性は限りなく低くとも。

 ロベルトに負けず劣らずニフリートもまた凄い人物だったのだ。


 何だかまた緊張してきた。


 思わず、カップを持つ手に力を込めたユクシャはあれやこれや思い出してしまった事柄を、軽く首を振って記憶の片隅に追いやっておいた。取り敢えずは。


わたくしもやっぱり当時は戸惑いだらけだったわね」


 ユクシャの傍目には奇行な行動もニフリートは何処吹く風で会話を続けている。


「あれもこれも違うって。それが朝から晩まで」

「あ、それ分かります」

「そうでしょう。その内、やるべき事まで出てきて、もう泣きそうになったわ」


 経験者だからなのかニフリートの言葉に、ユクシャにも思い当たる節が含まれていたので、うんうん、と何度も頷いた。

 ニフリートは一息入れるようにお茶と繊細な細工のような焼き菓子を口に運ぶ。


「何にしても、きっと力になれると思うのよ。だから、どんな事でも相談してちょうだい」


 ユクシャの手をニフリートは包み込むように両手で握る。

わざわざ身を乗り出した上で手をのばして、だ。


「――それでもっともっと仲良くなりましょうねぇ」


 それはもう満面の笑み。

 これが言いたかった、らしい。

 握られた手をそのままに反応に困ったユクシャはへにゃり、と相好を崩して笑っておいた。


 義母とは、なかなか良好な関係を築けているのかもしれない。多分、義父とも。


 さて、こちらはお世辞にも良好だと言えない――かと言って仲が悪いとも言いたくない――そんな関係のカナリーとの眠る前の、夫婦の時間。


 何か会話はないものか、と視線をさ迷わせるユクシャにカナリーは問うた。


「ねえ、足りないものはないの?」

「足りない、ものですか?」


 ユクシャは反復して首を傾げる。


「そう。服とか生活用品とかで」


 カナリーは手短に説明してくれたが、ユクシャにはこれといって思い当たらない。


「特にないです」


 衣装部屋に未着用の洋服が並んでいるし、身の回り品だって溢れているくらいだ。

不足無く、寧ろ過ぎるくらいに至れり尽くせりである。


「…本当に?」


 カナリーは睨むような目付きで確認してくる。

 凄みを感じたユクシャはコクコクと何度も頭を上下に振った。


「本当なのね。なら、足りないものがあるなら遠慮しないで言って。だれでもいいから」


 明らかに渋々、仕方なしといった様子で引き下がるカナリー。

 ほっと安堵したユクシャは、はたと気付く。


 今日は同じニュアンスの言葉を問い掛けられた。

 もしかしたら、ロベルトもニフリートもこれを言いたかったのだろうか。

 何故、公爵親子三人とも揃ってこうも同じ事を聞いたのか。


 理解出来ずにユクシャは内心で首を傾げるのだった。


 婿を迎えるに当たってあれやこれや用意したが、何かしら足りない物があると思っていた公爵親子だったのに、入り婿が何を言わないので我慢しているのではないかと不安になったからの行動でした。

 そして、そこに気が付けない入り婿。


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