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6.入り婿と新たな日々(夜)

 ロンドルフ公爵邸の書庫は学術書や専門書から絵本まで揃っている上に司書まで居た。

 ユクシャは立ち並ぶ書架を前に感嘆の声を上げてしまった。


「ふわぁ…すご」


 これは図書館並みだ。個人所有だなんて思えない。

 最初こそ気後れしたユクシャだったが、それでもなんとか書物を選ぶと長机の端を借りて宿題に取り掛かった。

 ニフリートの助言通りに参考となる書物が幾つもあった。

 おかげで行き詰まっていた箇所も解けた。

 後でニフリートにお礼を言わなくては、と思いながらユクシャは詰め込んだ本日の授業内容と書物と照らし合わせては問題を解き進めていく。

 つっかえつっかえでなかなか思うようには進まないのだけど。


 どれくらい経っただろうか。

 集中していたユクシャはふと気配を感じて顔を上げた。

 途端に傍らで明かりを用意していた使用人と目がばっちりと合った。

 何となく気まずくて、しかし、不自然だろうから目線も逸らすのも出来なくて。

 とりあえずユクシャは笑って会釈しておく。


「…どうも?」


 自身でもどうかと思う言葉がユクシャの口から出た。

 対して使用人は困った顔をして頭を下げる。


「申し訳ありません。お邪魔してしまって」


 声は掛けたのですが、と続けられて、ユクシャは随分集中していたようだと思い至った。


「いえ。あの、気にせずに続けて下さい」


 変なのはユクシャの方だ。

 使用人はほっとしたように肩の力を抜いてからもう一度頭を下げて、作業に戻っていった。

 ユクシャには使用人と、どのように接すればいいのかまだよく分からなくて戸惑うばかり。


 確かに気が付いてみれば、明かり取りでカーテン――遮光を兼ねている――を開けといた窓の外の空は夜の帳が夕焼け空を覆い始めている。

星だって幾つも瞬いている。

 手元だって暗くて見えにくかったはずなのに。我ながら凄い集中力。

 今度は手元も明るい事だし、終わりの見えてきた宿題を片付けてしまおう、と机に向き直ったユクシャだったのだが。


「カナリー様がお帰りになられました」


 使用人と入れ違いで顔を出した家令に言われた。

 出鼻をくじかれた形になったユクシャは暫し思案する。

 宿題を続けるべきか、部屋に戻るべきか。

 結果、ユクシャは部屋に戻る事にした。

 夕食になれば、宿題は中断しなればならない。それに後にした方が良いと思い出したのだ。


 それにしても家族が帰って来たのも分からない、なんて広すぎるのも考えもの。

出迎えが出来ないではないか。――使用人がするから良いのだろうか。


 司書に断りを入れてから持ち出した書物と宿題を抱えて、部屋に戻ってきたユクシャだったが、直ぐには入らずに扉の前で足を止めた。

 大きく息を吸って、深く吐き出す。深呼吸をして腹を括る。

 なのに扉を叩く音が心成しどこか小さく聞こえるのは気のせいだろうか。

 まあそれでも中には聞こえたらしく、花を咲かせていたお喋りがぴたりと止まった。


「し…、失礼します…」


 そろそろと部屋に入ったユクシャをソファーに座ったカナリーの射抜くような視線が迎え入れる。

 話し相手だったはずの侍女はマルタに引き摺られて、じりじりと壁際に下がりつつある。

 ユクシャとしては気にしないで話を続けていてくれた方が有り難い。

 だが、実際の状況はそうではない。


「えーと、お帰りなさい」


 妙にどぎまぎしながらも愛想笑いを浮かべたユクシャが言えば、カナリーはこくりと頷いた。


「ええ。…ただいま」


 このまま当たり障りのない事を言って、会話を続ければいいのだが。

 仕事どうでしたか、大変でしたか、とか。何でもあるのに。

 ユクシャとカナリーは見つめ合う――睨まれる事、数秒。ユクシャが目を逸らした。


「これ、置いてきます」


 諦めた。だって変に間が開いてしまって、会話を続けるのには不自然みたいだから。

 ユクシャは心の中で言い訳をしながら、ソファーの横を通り抜けて寝室の扉を開けて――逃げた。

 扉を閉まる寸前に誰かの溜め息が聞こえて、申し訳ない気持ちにはなったが。


――無理なものは無理なのだ。仕方がない。



 寝室に手荷物を置いてくるだけにしてはやけにたっぷりの時間を掛けてユクシャは居間に戻ってきた。

 ユクシャの姿を見るやいなやカナリーはソファーから静かに立ち上がった。


「きっとすぐに夕食よ」


 食堂に行こう、とカナリーはユクシャに手をそっと差し出す。

 糸くずや変な皺が衣服に付いていないか確認してからユクシャはその手を取る。


「はい。行きます」


 侍女に見送られて、二人して手を繋いで食堂に向かった。


 この行為は若夫婦の決まり事みたいなものだ。

お互いに口に出して決めたのではないが、何となく。

 夕食時にはユクシャがカナリーをエスコートして食堂に向かうのだ――傍目からだと、ただ手を繋いでいるだけにしか見えないが難点である。

 リードするべきユクシャが様にすらなっていないのだ。

 当人達はあまり気にしていない。ユクシャに至っては気が付いてもいないと言うのが正しい。


 カナリーの手を引くユクシャは不意に思い付いたかのように口を開く。


「そういえば、そのお召し物もよくお似合いです」


 カナリーの今の装いは上品なレース使いの葡萄茶色のやや大人びたドレスである。

 今朝のものとも出掛けのものとも違う。まだ短い間であるが、一日に三回も四回もくるくると着替えるカナリーの同じ衣装を見た事がない。

きっと衣装部屋はユクシャ以上にいっぱいに詰まっているのだろう。

 どうして衣装が違うのが分かるのかって。

 それは事ある事に顔を合わせていたのでそれはユクシャでなくても覚えるというもの。

まあ、顔が見れなくて下ばっかり見ているし。


「勿論、今朝のもお可愛らしかったですよ」


 因みに今朝のドレスはリボンが装飾された薄いピンク色だった。


「黙ってて」


 ユクシャは素直に感想を述べただけなのだが、カナリーにぴしゃりと言われてしまった。


「すいません」


 何となくでユクシャは謝ってみるが。


「だから黙っててちょうだい」


 またカナリーに言われてしまった。


「…」


 おろおろとした様子で口を閉じたユクシャの後ろでカナリーは顔を背けていた。

 二人は食堂までこのままであった。


 夕食もまた豪華だった。

 これまたテーブルに所狭しと並んでいる、目にも鮮やかな料理の数々。

 朝食よりも昼食よりも豪華だっただろうか。

 先程のやり取りが尾が引いているのか、若夫婦は、それでなくて弾まない会話も殆どなかった。

 ロンドルフ公爵家家族との夕食は、マナーなどを気にしないはずなのに朝食と同じで緊張感溢れるものであった。 すいません、とユクシャは心の中で謝っておいた。誰に、とは言わないでおく。


 夕食後のロンドルフ公爵家族は銘々部屋で過ごすのが常であった。

 ユクシャにとっては出来れば避けたい時間でもある。


 湯浴みをして寝間着に着替えてガウンを羽織って、ユクシャは若夫婦の居間でソファーに腰を下ろしていた。

 後は眠るだけ、という格好だ。

まだカナリーの姿はない。侍女も居ないので、ちょっとだけユクシャは肩の力を抜いて、寛げていた。

 カナリーは侍女を始めとする使用人達の手を借りて、湯浴みか、身支度の真っ最中なのだろう。

女性は何やら大変そうである。

 どうでもいいが、ユクシャは湯浴みにしろ、身支度にしろ、使用人が手伝う事はない。

 ひとりで充分だし、そんな滅相もない事である。

使用人に着替えも用意してもらうのも申し訳ないくらいなのだから。


 暫しの休憩の後で勉強道具一式を持ち出してきたユクシャが宿題をせっせとこなしていると、カナリーがやっと戻ってきた。

 こちらも寝間着にガウン姿。

その後ろから、盆を持ったマルタとドニーもしずしずと入ってくる。

 カナリーが一人掛け用のソファーに座ったのを見届けてから、彼女等はてきぱきと動く。


「何かありますでしょうか?」


 あっという間に仕事を終わらせた侍女はソファーの前に揃って並び立った。

 もっと、ゆっくりでも良かったのだか。ゆっくりの方が好都合とも言う。


「何も」

「ないです」

「では、私達はこれで下がらせていただきます」


 侍女は一礼して部屋を出て行ってしまう。

 パタンと微かな音を立てて扉が閉まると、重苦しい空気がずっしりとのし掛かってきた。ユクシャにだけ、かもしれないが。

 気のせい、気のせいである。

言い聞かせて、ユクシャはペンを手に取った。

 しかし、手元に全く集中が出来ない。


――もの凄い見られてる。


 カナリーは肘掛けに頬杖をついてユクシャの一挙一動を見ている――否、観察している。

 じーっと凝視されているユクシャのペン先が宙を浮いている。

宿題は終わっているので問題がないと言えば、問題はない。

 今している振りだけだ。


――見ないでください。


 ユクシャは言いたくても言えない事を溜め息として吐き出して、書庫から借りた書物を膝の上に乗せた。

 すると、珍しくもカナリーから話し掛けてきた。


「今日は何の授業だったの?」


 ユクシャは思わず目をぱちくりさせる。


「えーと。行儀作法と国際情勢の、でしたけど」

「そう」


 カナリーは何事もなかったかの様に話を終わらせてしまった。

 折角カナリーからの会話を続ける機会を失って、ユクシャは小さく肩を落とした。

 動作をつぶさにカナリーに見られているのを思い出して、誤魔化すように書物の頁を捲った。

 バレバレだとは思うけど。


 それからしばらくは文字を追っていたユクシャは何度目ともしれない、ついつい込み上げてくる欠伸を噛み殺した。

カナリーの前で大口開けて欠伸なんて出来ないので。

 こんな重苦しい雰囲気だろうと、眠気とはやって来るのだから不思議。

 すでに予習となるのだが、本の内容が一向に頭に入ってこない。


「あの、休みませんか?」


 そろそろ眠気の限界を感じてユクシャはカナリーに訊ねてみる。


「ええ。いいわ」

 カナリーも眠気を感じていたのか、頷いてソファーから立ち上がろうとする。

 ユクシャは慌てて、ある提案を口にした。


「あの…!同じ寝室で、ですか?寝台は別々でもいいのではないかと思うんですが」


 今朝のような事態に陥るのは御免である。


「何で?もしかして嫌なの?」



 カナリーは目を細めて、胡乱げに問い掛ける。

 応えるユクシャだったが、そこは素直に言えない性分なので。


「嫌とかではなくて、いいのかなって、そう考えてしまいまして」


 何ともまた曖昧な言い方。


「いいも何も夫婦なのだからおかしい事もないわよ」


 カナリーにきっぱり言い切られたユクシャは敢え無く沈黙してしまった。

 正論ではあるが、ユクシャとカナリーは夫婦とは言え、赤の他人同然なのだが。一緒に眠るのに抵抗がないらしい。

朝の、あれを知らないからか。


 結局、若夫婦は共用の寝室で一緒に眠る事になってしまった。 ユクシャは意気地の無さに落ち込みながら、広い寝台の端に潜り込む。

 カナリーも明かりを消して、反対側の端に横になった。


 せめて、二人の間にクッションだけでも置かせて欲しい。


 そんな妥協案すら口に出来ないまま。


「お休みなさい」

「お休み」


 ユクシャは目を瞑った。

 明日の朝どうなっているのか。それを考えるだけで、重たい物でも呑み込んだように苦しくなった胃を抱えて、ユクシャは眠りについた。



 公爵家でのユクシャの一日は、大概こんな感じで終わっていく――。


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