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5.入り婿と新たな日々(昼)

 日当たりの良い三階に若夫婦の部屋はある。

 居間――と言っていいのか分からないが団欒のための部屋――に共用の寝室、寝室の両端にそれぞれ個別の寝室、そしてこれまた個別の衣装部屋。

 これが若夫婦に用意された部屋になる。


 カナリーを見送ったユクシャは居間で暇を持て余していた。

 今までの流れなら朝食の後は何かしら理由を付けられて、例の夫婦の時間でカナリーと二人っきりになっていた、はず。

 それがないのではユクシャには他にこれといってする用事もない。

 どれだけカナリーとの時間が密であったかを思い知ってしまったのだった。

 ユクシャは仕方なく部屋のソファーで大人しくしていた。

 しかし、その様子は寛いでいるとは言い難い。

 しゃんと背筋を伸ばして姿勢良く座っている――というより、ガチガチに固まって微動だにしていない。

 飴色の光沢帯びた家具と若い二人をイメージしたのか、明るい淡い色合いで纏められた居間は小物に至るまで素人目にも一級品だと分かるだけに、迂闊に動けば、壊してしまいそうで動けないのだ。

 座っているだけ、じわじわと体力を消耗している。

 これはユクシャが寛げない理由の一つであって、まだあるのだけど。


 傍らで見ているだけでも疲れそうな、妙に力んでいるユクシャの様子を見かねた、壁際に控えている侍女の一人がそっと進み出る。

 若夫婦付きの二人の侍女の内の一人で、橙色の髪を後頭部で束ねて垂らし――俗に言うポニーテール――いて、くりくりとした琥珀の瞳と表情豊かな顔に愛嬌がある侍女で、名はドニーと言う。

 ドニーはくすくすと笑い含んで、ユクシャに声を掛ける。


「ユクシャ様。今からそーんなんじゃ体が保ちませんよ?」


 言われたユクシャは意味を計りかねて、口の端に笑みをなんとか刻んだ顔をぎこちなくドニーに向けた。


「今日の、礼儀作法の勉強に身構えてるんですよね?先生、厳しいって聞きますし」

「そうじゃないけど…」

「えー、絶対にそうです。誤魔化さなくてもいいのに」


 どうやら勘違いされてるらしい。

 侍女の仕事なのだろうけど、傍に人が控えた状態では一時も気が抜けなくて、固まっているのだけど。

 公爵家の家族は疑問にすら思わないくらい平気だが、使用人の居ない生活だったユクシャはなかなか慣れる事が出来ないのだ。

 カナリーとの夫婦の時間の時は使用人だろうと誰だろうと傍に居て、と願っていたが、それはそれ、これはこれである。


「ともかく肩の力を抜いて、リラックスですよ。あ、お茶淹れてきましょうか!?」


 笑って躱そうとするユクシャだったが、ドニーは忙しく動き回って、終いには肩まで揉もうとし出した。

悪気がない行動だけに苦笑するしかない。


「ドニー」


 静かな響きをもった声にドニーの肩が小さく跳ね上がる。

 若夫婦付きの侍女で壁際に控えていたもう一人で、肩の上で切り揃えた烏の濡れ羽色の髪、紫紺の瞳、きりりと賢そうな顔立ち、どれを取っても厳しそうな印象を受ける侍女のもの。

 印象通りの厳しい人だが、同時に仕事も大変有能な彼女はマルタ。

 ドニーに歩み寄るマルタの顔には笑みが浮かんでいるが、見ている方にはそれが怖く感じる。


「ドニー、困ってるでしょ」


 マルタはドニーの腕を掴んで後ろに下がらせてから、ユクシャに頭を下げる。


「失礼致しました、ユクシャ様。よく言って聞かせます」

「…いえ、そんなには。ですからマルタさん、穏便に」


 ユクシャの言葉にマルタの眉がぴくりと上がった。


「ユクシャ様。さん付けも敬語もいりません」

「あ、すいません。慣れてなくて…」

「慣れて下さい。ユクシャ様は我らの主なのですから」


 ユクシャは怒られたような気がして、しゅんと小さくなる。

 マルタははっきりと物を言っているだけなのだが。

 それでも、マルタとドニーとのやり取りで多少なりともユクシャの身体から変な力は抜けたようで。

 ユクシャはソファーに身を預けて、そろそろ始まる勉強の時間に頭を切り替える事にしたのだった。

 背後でマルタから小言を受けるドニーの、侍女達の声を聞きながら。



 結婚式の翌日からユクシャの予定の中に授業の時間が入っている。

 花嫁修業ならぬ花婿修業である――結婚後だけど。

 この相応しい教養とは多岐に渡る。

 国の地理、歴史、国際情勢、乗馬などの基礎から始まって、立ち振る舞い、行儀作法、流行りの文学や音楽、会話術、ダンス、いずれ訪れる社交界の出席を見据えたものまで。

 婿というお飾りだから何もしなくていい、なんて考えていた自身を恨めしく思うくらい、これがまた大変。

 唯一及第点を貰った乗馬以外は、必死に教師の言葉を一字一句聞き漏らさぬように耳を傾け、頭に叩き込む。

 毎日二教科ずつなのがまだ幸いだ。

 今日も行儀作法――ドニーの言う通り、厳しそう見た目ではあったが、そんなには厳しくなかったと思う――と国際情勢の授業だった。


 終わる頃には体力も気力も使い切っていて、誰も居ないのを良い事にカウチに横になって、一時休憩。

 昼食の用意が出来た、と使用人から声を掛けられ、うつらうつらしていたユクシャは眠気を払って食事へと向かう。

 朝食同様――否、それ以上に豪華な昼食を、ロベルトとニフリート、ロンドルフ公爵夫婦と和やかな会話と共に楽しんだ。

 何となくカナリーに申し訳ない気持ちになったユクシャだった。


 昼食後は教師より出された宿題に取り掛かる。

 習ったばかりの頭に詰め込んだ知識を引き出して、うんうん唸りながら解いていく。

 これがまた、途中で行き詰まる。

 その時々まちまちの時間のだが、――当たり前だけど。

 手が止まったユクシャに絶妙なタイミングでロンドルフ公爵夫人より茶会の誘いを受ける。

 見ていたかのようなタイミングに、千里眼なのかと疑いたくなるほどに。


 夫人付きの侍女を介して招待されたユクシャは茶会の場――場所は大概異なる――なるサロンの扉を開けた。


「いらっしゃい、ユクシャさん。さあさあ座って」


 昼食時とは違う装いに着替えたニフリートはにこやかにユクシャを招き入れる。

 整然とする庭を望む窓辺に置かれたテーブルにはすでに茶会の用意がなされていた。

 テーブルの上には、摘んだばかりの花と見たい事がない、きらびやかな菓子が並んでいる。

 居住まいを正して座ったユクシャに、ニフリートが手ずから茶を注いで、パイを切り分ける。

給仕に任せず、嬉々として。


「どうぞ、召し上がれ」


 ユクシャは有り難く戴く事にする。

 カスタードクリームと季節の果物にブランデーの香るパイは甘過ぎず、くどくない。幾らでも食べられそう――いつもなら。

 しかし、デザートまで昼食をしっかりと食したユクシャは一切れで遠慮しておく。

 昼食後、身体を動かしていないので当然と言えば当然の事。


「美味しいかしら?」


 こちらは給仕が用意した茶と菓子を前に、ニフリートはたおやかな笑みを浮かべて、ユクシャの食べる様子を見ている。


 この茶会は、夫と娘だけ、婿と仲良くして狡い、と言う公爵夫人のたっての願いで行われている。

 茶会の間はユクシャを独り占めして、あれやこれや世話を焼いて、ニフリートなりに親睦を深めている、のかもしれない。

 ユクシャも、少なからず緊張はあれど、カナリーとの時のように肩肘張る事が無い。

会話も途切れずにスムーズに進んでいく。


 ユクシャに二杯目の茶を注いだニフリートはそれまでと話題を変えた。


「お勉強の方はいかが?」

「何とか頑張ってます。カナリー様のようになるにはまだまだ程遠い、ですけど…」


 ユクシャの応えに、ニフリートは目を丸くする。

ほんの一瞬の事だった。直ぐに笑みが戻っていたので、ユクシャは気が付かなかったが。


「そうね。そうよね」


 ニフリートは、うん、うんと何度も頷き出す。


「?」


 会話が噛み合っているようで噛み合っていないような。

 気のせいかもしれないが、そんな気がするユクシャは内心では首を傾げつつ、口を開く。


「宿題もいつも行き詰まってます」「あら、それなら書庫に行ってみるといいわね」


 ニフリートの提案にユクシャは目を瞬かせる。


「書庫、ですか」

「ええ。書庫にならお勉強の参考になる本も揃ってるわ」


 ロンドルフ公爵邸には書庫まで完備されているようだ。確かに広い屋敷ではある。

 ニフリート曰わく、昔のカナリーが勉強に使っていた本も書庫にあるそうだ。

 それは興味がそそられる。


「はい、後で行ってみます」

「そうなさって。頑張ってちょうだい。――でも、根は詰め過ぎちゃダメよ」


 ニフリートは最後に母のような事を言って、この話を締めくくった。


 この後も義理の親子の茶会はしばらく続いたのだった。


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