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1.入り婿と奥様、今のその関係

 頬を抓りたくなる。

 あまりの生活の違いに現実でありながら夢でも見ているのではないかと手が頬に伸びてしまう。

 ふとした拍子に衝動というには大袈裟かもしれないが、そんな思いに駆られることがある。


 何しろ家――この場合は実家、というのが正しい。認識は薄いのだけれども――は領地を賜っている男爵家になる。

 所謂、貴族という身分である。――貴族には間違いないのだが、下流貴族。下流の端っこに辛うじて引っ掛かっているようなものだ。

 暮らしぶりも市井のそれに近い。寧ろ、そのもの。


 それが今や大貴族の一員だ。ほんの数日前からになるが。

 それは彼でなくとも頬の一つや二つ、三つや四つくらい、むにっと摘みたくなるというもの。


――とかなんとか色々考えているのだが。

 今現状においてはどうでもいいことであり、明らかに現実逃避だったりする。


 ユクシャはティーカップをスプーンでかき回しながら、ティーセットを挟んで向かいに座るうら若き女性をちらりと盗み見する。


 長く癖ひとつない滑らかな髪は差し込む日差しよりも煌めく白金。

大きな双眸は意志の強そうな光を宿す灰緑。

鼻筋の通った顔立ちは咲き誇る大輪の花の如く鮮やかで、華麗で、どこか可憐さも持ち合わせている。

少女とも言えない、女性とも言い切れない、折れそうな細い腰の肢体を包むのは光沢のあるドレス。

勿論、自邸で寛いでいるのでフリルやリボンの装飾はあまり多くない部屋着、という事になるらしいが、それでもドレスには変わりない。


 妹にせがまれて読み聞かせていた絵本から抜け出たようなお姫様そのままの容姿の彼女はカナリー・ウェル・H・ロンドルフ。

 ロンドルフ公爵令嬢で先日めでたく結婚した――つまり、ユクシャの奥さんである。


 信じらんない。この状況が。


 考えに耽っていたユクシャはこの日、何十度目ともしれない溜め息を漏らした。 無意識なのだろうがこの間、ずっとティーカップの中身をぐるぐるとかき回したままだった。

 どこから見ても様子がおかしいのが丸わかり。


「――何してるの?」


 はっと我に返って顔を上げれば、カナリーが此方を見ていた。

 怪訝そうな――否、胡乱なというか、得体の知れないものを見るような目つきで。


 目線を下に落とせば、手元には冷めたお茶に突っ込まれたままのスプーン。その柄を摘む自身の手。

 ああ、これか、と思い当たる。

 ふにゃ、と誤魔化そうと変わったユクシャの顔は下がった眉毛が情けない苦笑。


「何でもないです。少し考え事をしていただけです」

「そう…」



 答えに納得したかどうかは別としてカナリーは目を眇めてからお茶を飲む事に戻っていった。


 短い会話が終了し、なんとも重苦しい空気がユクシャを包み込む。多分、カナリーも感じ取っている事だろう。

 沈黙が痛いくらいで、黙っている事に罪悪感を感じてしまう。

 この場を払拭させる何か会話をしようにもずっしりとした空気がユクシャの口をなかなか開かせてくれない。

やっと言葉を口にしてもカナリーと目が合うとどぎまぎして妙な緊張を強いられ、必要最低限な短い会話になってしまうのだ。


 結局、沈黙するしかないという悪循環の繰り返しにユクシャはまた溜め息をそっと吐き出した。

 ユクシャは元来人見知りする方ではない。

大概、ある程度打ち解けられる。狭かった領内の中で、だが。

 妻、というのを意識し過ぎてしまい、カナリーとの距離感がどうも掴めない。


 こんな感じでも、実は第三者が間に入ると比較的和やかに会話が出来る。

 二人っきりになる前なら、養父母と、使用人も数人部屋に控えた状態でのお茶会は話もそれなりに弾んでいた。


――だから、二人っきりにしないでほしい。


 ユクシャは切実に願う。


 なんというか、事ある毎に周囲からユクシャはカナリーと二人にさせられるのだ。

 日に多い時では三回も。それ以外にも夕食後には夫婦時間というものがあるにも関わらず。

 政略結婚で、それも結婚式当日に顔合わせをした釣り書きに書かれていたことしかお互いを知らない若夫婦に親しくなって欲しい、という親心と親切心からだと、推測は出来る。 周囲の希望とは逆にこの交流は回数を重ねる事に会話は減り、遠くない未来に黙りこくった事になるのは誰の目からも明らか――なはず。

 若夫婦の交流の場を設けるのは止めてほしい。せめて、もう少し日にちが経ってからにしてほしい。

 言いたい。けれども、なかなか言い出せないのは入り婿という立場故か。

これに関してはユクシャの性格が大きな原因だろう。


 ユクシャは言いたくてもいえない諸々を冷えた紅茶と一緒に飲み込んだ。紅茶もお茶請けの菓子もきっと美味しいのだろうが、味わうどころかその肝心の味が分からない。

 非常に勿体ないが、この状況においては沈黙を誤魔化すために口にさせてもらっている。

時間稼ぎでしかないって事くらいユクシャにも分かっている。どうなるか結果は目に見えているが、他に何が出来るというのだ。


 時計の短針がもうすぐ一回りする頃に。

 すっかり空になったティーカップを手持ち無沙汰に弄んでいたユクシャに待ち望んだ言葉が掛けられた。


「夕食までに済ましておきたいことがあるからそろそろ行くけど。貴方はどうするのかしら?」

「じゃ、部屋に戻ります」



 ユクシャは知らず知らずに笑みが浮かんだ顔を口を引き結んで引き締める。

 一分一秒でも二人っきりになっていたくなかった、なんて悟らせるべきではない。

 運が良かったのか、ちょうどカナリーは立ち上がろうとしていて此方に注意を払っている様子はなかったが。


 麗らかな午後の一時を満喫出来るはずのお茶会は多大な疲労感を残して――ユクシャにだけかもしれないが――終わった。

 部屋を出た所でカナリーと別れたユクシャはずっしりとのし掛かる疲労に背中を丸めながら、部屋に向かっていた。

 周囲に誰も居ないのを確認した上での行動で、少しばかり行儀が悪いのは承知の上だ。


――自分で決めたんだけどなあ、大変だ。



 色々と。

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