そんなこと
変わり映えのしない事ばかり浮かんでくる。空模様が気になる日々が続いて気象予報士の言葉をふんふん頷いて聞くようになったとか、ちょっとした変化は語るほどのものではないのかその瞬間に意識しているだけのようだ。夢の中に急に出てきて驚いた黄色と黒の刺す虫の話とか、面白味があるのかないのかもよく分からない次元に集いし何事かが、辛うじて無味を回避させているような気がする。惰性気味に続けているソシャゲのノリには軽く反応してくれるので、機能を停止しているわけではない。
身体を地べたから引き剥がすように何とか持ち上げ、エアコンの温度を2度下げてみると思いのほか部屋全体が心地よくなってきて、
<やっぱり動く時には動かないと変わんないだよな>
と当たり前の事に納得していたりする。都合、買い物に出掛ければそれなりに高揚感も味わえるのかも知れないけれど、己との『なあなあ』の関係は抵抗するには魔力が強い。
そんな事を考えてしまうときにきまって『約束のようなこと』が浮かんでくるのは何故なのだろうか。『関係』と呼べるほどはっきりした関係でもなかったあの人と、自分は明確に約束したわけではない。
『そういうの、わたしはいいと思う』
思い起こしてみればそんなシンプルな言葉でしかなかったかもしれない。学生時代のバイト、常連さん、密かに憧れていた人。今は何処に居るのかも、何をしているのかも分からず、相手もたぶん覚えていないだろうと思う。憧れたついでにある場面でちょっと無理気味に格好つけてみて、それが相当爽やかに映ったのだろうと思う。キラキラした瞳を向けられた時に、
<あ…これって…>
と何かに気付いた。この世界に稀にある『幻想』のような何か。人間の心の在り方を知れば知るほどに成り立たないと分かる、そんな行為。それが『好意による行為』なのだと言えなかった自分。
いつしかあの時の表情が『約束ののようなこと』になって、場合によっては見失わせずにさせているのかも知れない。暑さにへばり気味の身体には大分似合わないものになっているけれど、そうなった姿の中にほんの少し、自分じゃない自分のほんのり寂しげにも見えなくない笑顔が浮かぶ。
「よし、出るか」
どんな理由でも外に出てしまえば日光が照らし出す。なるべく気にしないようにしばらく歩いていると通りかかった公園で誰かが少し不自然に屈んでいるのが見えた。
「どうしました?」
気になって近付いてみると、相手は高校生くらいの女の子であることが分かった。日曜日の昼時、女の子の傍らにはリードに繋がれた犬が待機している。おそらくは犬の散歩をさせていたのだろう。女の子が少し驚いた様子でこちらに顔を向けて何かを確かめたような間があってから、かなり困ったらしい表情を浮かべてこう言った。
「どこかにハンカチ落としちゃったんです。白いの」
その一言で事情を察して「僕も探します」と告げて辺りを捜索してみる。
「ありがとうございます」
背後から少し離れた女の子の声がした。色々見当をつけて10分くらい探しただろうか、ちょっと諦めかけて地面に向けていた顔を上げた時、奥の方に入ってきたのとは違う方向の通りが見えた。もしかしてと思ってそちらの方に歩いてゆくと、歩道に面した花壇に白いものを見つけた。
「見つけたよ!」
そこから公園の中の方に向けて声を掛けると「うそっ!」と声が返ってきた。再び女の子の元に駆け寄ってハンカチを手渡す。
「猫のハンカチだったんだね。」
その白いハンカチには結構大きめに猫のシルエットがプリントされていたのが意外だった。女の子は嬉しそうに、
「はい。この子(飼っている犬を指さしながら)の他に、家に猫がいます」
と教えてくれた。たぶんだが、女の子はあちらの通りから公園に入ってきたのだろう。心理的に公園の中を最初に探すから入り口付近は盲点になったのだと思う。
「お兄さんにお礼をしたいので、ちょっとの間このリードを持って少し待っててくれませんか?」
言われるままに茶色い犬に繋がれているリードを持つと、女の子はそのまま物凄い俊足で走ってどこかに行ってしまった。妙に落ち着いている犬と取り残されて5分が経過し、炎天下では流石に厳しさが漂ってきたと感じていたら、また物凄い勢いで女の子が戻ってきた。
「はあ…はあ…はあ…あの…暑かったので、スポドリ買ってきました!」
見ると女の子の手にはシェイクされて少し泡立っている某スポーツドリンクのペットボトルが握られている。それをこちらに差し出してきたので、ここは遠慮するのもどうかと思い受け取る。女の子は何故か同じものを自分用にも買っていて、自然な流れで日陰になったベンチまで移動して二人でそれを飲み始めた。そこから学校の話とか、彼女が陸上部に所属しているとか、この近くに住んでいるとか、つまりご近所さんだね…的な会話をして、何というか妙に感覚が若返ったように感じられた。
ドリンクが半分くらいの重さになった時、
「じゃあ僕、そろそろ行くね」
と言ってベンチから立ち上がる。すると女の子も立ち上がって「あ、」と声を出してそのままこちらを見つめている。その表情に浮かんでいたものがなんだかこの日の自分が見たかったもののように感じて、彼女に向かってなんとなく頷いていた。
女の子に見送られる様に公園を出て、彼女の家に居るという猫の姿をぼんやり思い描きながら歩き始める。そういえばあの人も猫好きだった記憶がある。
半分ほど残ったペットボトルはその後も暑かったけれど何となく口を付けずにいる。いつかの何かに意味があるのかどうか、『分かる』とは言えないけれど分からなくもなくなっている。そして今もまた何かを確かめるように歩を進めながら頷いていたりしている。




