月成の独白と、越えた一線
私は雫さんのことを、どうしても信用できなかった。いや、ある意味では信用していたのかもしれないけれど。
雫さんは、雛乃のお父様に忠実。だから、私たちの手助けをした。
私たちが野垂れ死なないよう、住居探しや仕事の提案など。どれも、仕事として行っていたのではないかと思う。
それでも、あの雫さんの行動が、全て仕事として行っていたのかと言われると、そうは思えない。
お気に入りの喫茶店に連れて行ってくれたこともそうだ。
仕事として私たちに関わっているとしたら、お気に入りの店に連れて行くことはないだろう。
正直、雫さんの考えていることは分からない。深い闇でも覗いてるようだ。底が全く見えなかった。
――
雛乃からホテルに誘われた時、心臓が飛び跳ねるほど驚いた。まさか、雛乃から言ってくるとは思いもしなかった。
だけど、友達としての一線を越えている行為なのでは? と思いつつも、高揚感に包まれている。
ホテルに向かうまでの私は、挙動不審だっただろう。もしそうなった時のことを考えるだけで、気分が悪くなる。
しかし、チェックインを済ませても、雛乃はそんな素振り一つ見せない。それどころか、アプリ開発に没頭している。
もちろん、私も一緒にアプリ開発の勉強をしていたが、気が気でない。
そういえば、女の子同士では、どうやって致すのだろう。私はお手洗いに行くと、スマホで調べてみた。
画面には、レズや愛撫など聞き馴染みのない単語が並んでいる。動画を見ると、女性同士が激しく求め合っていて、目が離せなくなった。
しかし、私と雛乃は友達。普通、友達同士でこんなことをするだろうか。
駄目駄目、雛乃をそんな目で見るなんて。私は激しく首を振り、手洗い場を後にした。
その後、アプリ開発の勉強をして、すっかり外も暗くなった。雛乃が、「先にシャワー浴びていいよ」と言うと、少し身構えてしまう。
そんな展開はこないと考えるが、一応、入念に体を洗った。
案の定、何事なく私たちはそれぞれベッドで眠る。安心したような、落胆したような気持ちになりながらも、これで良かったと思う。
だけど、手洗い場で見た映像が、頭の中でひっついて離れない。映像で求め合っている二人を、私と雛乃に置き換えてしまう。
もしかして、私はもう雛乃をただの友達として、見れていない……
そんな考えが過った。
そんな訳ない、完璧な友達になるって誓ったのに。なのに、私は雛乃を、友達として見れなくなっている。
嫌だ嫌だ! こんな私じゃ、雛乃に見合わない!!
下心で雛乃と一緒に居たい訳じゃないのに、どうして……
頬に涙が伝う。それは、照明の微かな光を吸収し、温白色に輝く。
体がむず痒くなり、落ち着かない。
この感情、どうしたらいいの。本当は、そんなこと分かってる。
捨てるべきだった。雛乃と友達でいたいのなら。だけど、どうしようもないくらいに、雛乃が好きになってしまった。
いつから、雛乃のことが好きになったんだろう。思い返せば、従者として勤めていた時から、好きだったかもしれない。
もしかしたら、雛乃と出会ったあの時から……
雛乃は私のことをどう思っているのか。僅かな望みが、私の心の底に芽生える。
その時、不意に声が漏れた。
「雛乃……起きてますか?」
自分でも分からない。だけど、ただ名前を呼びたかった。
返事はなく、眠っているようだ。私は安堵したように、深く息を吐いた。
私は瞼を閉じ、なんとか眠ろうとする。なのに、胸の奥で何かがざわめいてうるさい。
駄目だと分かっているのに、ベッドから起き上がる。そのまま、雛乃の寝顔を覗く。
可愛い、綺麗、愛おしい。
艶やかな亜麻色の髪。今は見えないが、宝石のような紫紺の瞳。
控えめな鼻筋に、小さな唇。透けるような乳白色の肌。
どれもが、今の私の目には魅惑的で、誘惑的に映る。心臓が早鐘を打ち、もう止まれない。
私は、無意識に雛乃の頬に手を伸ばす。本当に、人形のような目鼻立ちで、穢れを知らないような無垢さを湛えている。
私は、唇を押し当てた。
柔らかかった。ただ、キスをしただけなのに、頭の中がとろけそうだ。雛乃の香りや唇の感触。その全てが、私を狂わせた。
禁断の果実に手を出したような背徳感に包まれ、もっと、もっと雛乃を感じたいと思う。衝動のまま、雛乃の上に跨る。
しかし、何度も唇を重ねても、心に大きな穴が空いたように、満たされない。
何が足りないのか。私は雛乃の顔を見つめる。
すると、心の穴を埋めるかのように、罪悪感に襲われた。もう後戻りは出来ない。越えてはならない一線を、自ら踏み越えてしまった。
その事実が、私の心を暗闇に突き落とした。
喉の奥から絞り出すように、引きつった泣き声が漏れる。
その時、私の下からとろんとした声が聞こえた。
「つき……な?」
時間が止まった。
その声の主は、私が跨っている雛乃だった。
雛乃は、寝ぼけているのか、半分だけ目を空けながらこちらを見てくる。
確かめるように口元に触れ、顔を青ざめさせていく。
「した……の。月成……」
雛乃の顔は蒼白だった。震えが止まらない。今すぐにでも、この場から逃げ出したい。
だけど、それをしたら取り返しのつかないことは、馬鹿な私でも分かる。
私が静かに頷くと、雛乃は消え入りそうな声で言う。
「なんで……私たち、友達でしょ?」
雛乃にこんなことを言わせて、こんな顔をさせて……やっぱり、友達になるべきじゃなかったんだ。
私は、即座に雛乃の上から退き、床に頭をこすりつける。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 私……自分を抑えられなくて。友達だし、こんなことをしてはいけないって分かってた。
だけど……抑えられないくらいに、雛乃のことが……好きになってて……」
雛乃が何か言っているが、私の耳には届かなかった。
「どんな罰でも受けます……だから、もう少しでも良いから、雛乃と一緒に……」
まともに声が出なかった。自分が言いかけた言葉が、あまりに傲慢な願いだったから。
「月成、頭を上げて」
私は動けずにいた。何を言われるのか、雛乃がどんな表情をしているのかが、恐ろしくてたまらない。
次の瞬間、今まで一度しか聞いたことのない口調で告げられる。
「これは命令。今すぐ顔を上げて」
一切抑揚のない、無機質な声。けれど、怒りなどは感じず、思わず身震いしてしまう。
私は、言われるがまま、顔を上げる。
雛乃は先程までの表情とは違い、感情が読み取れないほどの無表情だった。
「ねえ、私が嫌なことが一回あったくらいで、人を突き放すような人だと思ってるの?」
「そ、そんなこと……」
「そうだよね。一度、月成に襲われたからって、嫌いになる訳じゃない。
もちろん、ショックだった。それでも、大切な人であることには変わりない」
雛乃が手を差し伸べてきた。私が、恐る恐るその手を取る。
雛乃は、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
私にはあまりに眩しくて、本当に女神のようだった。
「月成が私のことを好きでいてくれるのは嬉しい。だけど、順序を間違えた。
そんな簡単に許せることじゃないから、これからも私のサポートを頼むよ」
「えっ」
思わず、素っ頓狂な声が漏れる。
「だから、今まで以上に、しっかりサポートしてってこと! 月成の罪悪感を和らげるために言ってるんだから」
「ありがとう……ございます」
「ほんとに、困った友達なんだから」
「ごめんなさい。やっぱり、雛乃のことが好きで。ただの友達として見れなくて」
私は無神経なことを言ってしまった。せっかく、雛乃が丸く収めようとしてくれていたのに。
だけど、私は言わずにはいられなかった。どうしても、この気持ちを雛乃に伝えたかったから。
雛乃が乱暴に、ベッドに潜ってしまった。その一瞬見えた雛乃の表情に、胸が締め付けられる。
瞳の奥がくすんでいて、乳白色の肌が曇っていた。
頭の中で、何度も雛乃の顔が浮かぶ。
なんとか眠りにつこうとしても、それは叶わない。
朝日を切に願うと同時に、来ないで欲しいとも思う。
明日から、雛乃とどうやって話せばいいのか。私では背負いきれないほどの後悔が、降り積もる。
これが功を奏したと言うべきか、耐え難い苦痛により、気絶するように眠りに落ちた。




