第1話
木製の扉がノックされる音で、目が覚める。
「失礼します。お嬢様」
扉の向こうから、そう声がすると心地よい風と共に、メイド服に身を包んだ同級生が部屋に入ってきた。
小望月成。
肩まで伸ばし、しっとりとした青髪。その髪と同色の瞳をした少女だ。
整った鼻梁と、長い睫毛に覆われた大きな瞳。おしとやかというより、まず厳しそうな人。そんな印象を覚える。
表情が硬く、せっかく綺麗な顔なのに勿体ないと思ってしまう。
「朝食の時間ですので、お着替えをしてから一階へ」
それだけ言うと、部屋から出ていった。
洗面所の鏡の前に立ち、顔を洗う。そのまま、優しい亜麻色の髪にクシを落とす。
鏡に映るのは、気怠げで目の下に隈を作った自分の姿。
それもそのはず。昨日という表現が適当か分からないが、夜の三時まで勉強していた。
そして、起こされたのは、わずか四時間後の六時だった。
こんな生活を続けていたら、隈ができるのも当然だ。
時間の余裕があるわけではないので、すぐに学生服に着替えて、月成に言われた通りに一階へ降りる。
体を伸ばし、だらしなく欠伸をしながら食堂に入った。
そんな私を見て、表情一つ変えずに月成が言ってくる。
「お嬢様。令嬢らしい立ち振る舞いを身につけてください」
「まあまあ、そんな堅苦しいこと言わないで。ちゃんとした場所では、こんなことしないから」
「申し訳ありませんでした。それでは、お食事を始めてください」
朝食に手を付けると、じっと月成が見てくる。
どうにも、居心地が悪くなり、つい言ってしまう。
「あのー、非常に食べづらいのですが」
「お口に合いませんでしたか? すぐに別のものを用意しますが」
「いや、そうじゃなくて! 見られながらだと、食べにくいの!」
一瞬、言葉の意味を測りかねたように、月成はきょとんとした可愛らしい表情を浮かべる。
こんな顔をするとは思わず、吹き出してしまいそうになった。
「……そうですか。しかし、お嬢様の身に何があるか分からないので、目を離すわけにはいきません」
そんなに、私は小さな子供に見えているのだろうか。
目を離すわけにはいきません、その一言で、なぜか喉の奥が詰まった。
微かに、月成の瞳の奥に影が差したようにも見える。
これでも自分のことは真面目で、優秀な人間だと思ってるんですけど。
私は大きくため息をつき、食事を再開する。
そういえば、今までもこんな風に、見られながら食べていたのか。
気付かなければ、美味しいままだった月成の料理も、意識してしまったせいか、今はほとんど味を感じなかった。
なんとか朝食を食べ終えると、歯を磨いて部屋に戻る。通学鞄を持つと、玄関へ向かう。
広い玄関に着くと、すでに月成が待っていた。
私と同じ制服に身を包んでいる。
「お待ちしておりました。それでは、学校に行きましょう」
「学校では敬語辞めてよ? みんなにバレたくないし」
「善処します」
しないやつだ……
私が家から出ると、その数歩後ろをついてくる。
この何とも言えない距離感が、すごく気まずい。
月成を居ないものとし、心を無にして歩く。
そんな時、スマホに一件の通知が届いた。
ポケットから取り出し、見てみれば。
『お嬢様、前方二十メートル先に水たまりが』
というメールが映し出された。
私は、なんで口で言わないの? とメッセージを送る。
すると、主従関係がバレてはいけないので、と返信が来た。
絶対、この方が怪しまれるんですけど?
と思ったが、月成がズレているのはいつものことなので、心に留めておく。
月成が言っていた通り、水たまりがあったのでそれを避けると、月成が安堵したようにため息を漏らす。
その様子が、ただ安心したように見えもする。しかし、私には違って見えた。
額にうっすらと汗を浮かべ、呼吸も少し荒くなっている。
追い詰められた人間が、それでも選択を誤らなかった。正しい道を選んだ。私の目にはそう映った。
もうすぐで、学校に着きそうになると、メッセージが送られてきた。
昼食はサンドイッチでいいか? というものだ。
月成のサンドイッチは、私の好きな食べ物の一つなので、快く了承する。
校門の付近に来たので、スマホをしまい先生に挨拶を済ませた。
教室に入るまで、月成は一定の距離を保っていた。
みんなには主従関係をバレたくないが、それも時間の問題だろうと、半ば諦めている。
一応、月成も努力はしていた。その証拠に。
「雛乃様。今日の小テストのことで、質問してもいいですか?」
名前で呼んでくれている。多少の努力は感じる。それでも、様をつけてくる。
私は周りに聞こえないよう、月成の耳元に囁く。
「様ってつけないでくれる? みんなにバレるでしょ」
「雛乃さん。耳がくすぐったいです」
「それはごめん」
いろいろと疲れてしまい、椅子に座る。
「だけど、本当に様ってつけるのは辞めてね……」
そう呟くと、月成は顔を青ざめさせた。
ビクリと肩を震わせた。さらに、顔を見せないようにするためか、俯いたまま言う。
「申し訳……ありませんでした」
まさか、ここまでショックを受けるとは思っていなかったからだ。
……やってしまった
どうするべきか、あたふたしてしまう。
咄嗟に、月成の頭に手を置いた。
髪を崩さないよう、そっと。
月成は拒まず、撫でられる感触に身を任せるように、頭を差し出してくる。
慰めるつもりだった。
ただ、それだけだったはずなのに。
月成は、救われた人間の顔をしていた。
「取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」
「私も言い過ぎたよ、ごめんね」
月成が分からない問題を教えていると、肩がどっと重くなる。
精神的な疲労のせいだろう。
学校では、令嬢として気品のある態度を心がけているので、机に突っ伏すこともできない。
今まで見たことのない月成の動揺ぶり。
あの救われたような表情。思い出すだけでも、胸がざわつく。
どうして、そんな顔をするのか。
私はただ、頭を撫でただけなのに。
まるで、命でも救われかのような。
その理由を、この時の私は知らなかった。




