聖女候補の支度—庵へ向かう決意
学院の鐘が午後を告げるころ、リュシアは自室の机に向かっていた。
小さな旅行鞄の中に、淡い布のワンピースとリボンをそっと並べる。
指先は震えていた。
「……本当は、着てみたい。けれど……」
胸に浮かぶのは、庵で過ごした日々。
穏やかに語るルシアンの声、アサヒの優しい笑み。
そして――庵にいるときだけ、心から笑えていた自分。
「……もう一度、お会いしたい」
思わずこぼれた言葉に、心臓が跳ねた。
だがすぐに、冷たい声が脳裏をよぎる。
――伯母のマリアならこう言うだろう。
「聖女候補が“庶民の遊び”に興じるなど、恥を知りなさい」
服を畳む手が止まる。
「……私は、聖女候補。勝手な願いで動くわけには……」
◇
「迷っているのですね、リュシア」
静かな声が扉の向こうから響いた。
入ってきたのは修道院総長――マザー・アメリア・ラウレンティア。
深い皺をたたえた顔は、叱責ではなく温かな眼差しを向けていた。
「夏休みに庵へ行くのでしょう?」
「……はい。でも、私は聖女候補で……伯母に知られたら」
アメリアは鞄の中を覗き込み、そっとワンピースに触れた。
「可愛らしい服ですね。あなたが選んだのですか?」
「……はい」
小さな声で答えると、アメリアはふわりと微笑んだ。
「いいのです。あなたが“会いたい”と願うのなら、その気持ちは尊い。
聖女はただ祈りを捧げる人形ではありません。人と共に笑い、涙を流す者であってほしい」
リュシアの瞳が揺れる。
「でも……私は……」
「形式を守ることは大切です。けれど、自分の声を消してはいけません」
アメリアは彼女の肩に手を置いた。
「ルシアンに、アサヒに、もう一度会いたいのでしょう? ならば胸を張りなさい」
◇
リュシアは目を伏せ、そしてゆっくりと顔を上げた。
「……はい。私、行きます。庵へ」
その決意に、アメリアは満足げに頷く。
「良い夏を。いずれ来る嵐に備えるためにも」
夕陽が窓を照らし、リュシアの影を伸ばす。
彼女は鞄を抱えた。
――もう人形ではない。会いたいと願った自分の声を、ようやく選び取ったのだから。
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