勇者の名は誰に—偽りの謙譲
学院の広場。昼の鐘が鳴り終わったばかりだというのに、人垣は途切れなかった。
「ラインハルト様!」
「今日の演習も見事でした!」
「殿下に匹敵する実力です!」
次々と称賛の声が飛ぶ。
アルトの名が出るたびに、わざと比較するように「だが、実際に導いていたのはラインハルト様だ」と囁かれる。
アルトはその輪の外から光景を見ていた。
胸に刺さるのは嫉妬ではない。
――違和感。
あの笑顔は、本当に「自由」だろうか。
石段に腰を下ろしたラインハルトは、歓声に囲まれていた。
その顔には、浮かんでは消える影がある。
「……俺は勇者じゃない」
静かな声が、人垣を震わせた。
「勇者の名は、アルト殿下のものだ」
一瞬の沈黙。
その後、まるで合図を受けたかのように場内は喝采で満ちた。
「なんと謙虚なお言葉だ!」
「やはり本物だ……!」
「殿下を立てたうえで、自らは導く存在として立つのか!」
「それこそ真の強さだ!」と拍手が広がる。
賛辞は止まらない。
ラインハルトの胸奥に響くのは、確かに誇らしさだった。
――けれど、その誇らしさは彼自身のものではない。
冷たい囁きが心の隙間に入り込む。
(そうだ……勇者は表に立て。だが王国を動かすのは導く力を持つ者――お前なのだ)
瞳に淡い光が揺れた。
それは希望のきらめきに似て、しかしどこか冷たすぎるもの。
輪の外でその様子を見ていたアマネは、隣のアルトに小声で言った。
「……今の、聞いた?」
「……ああ」
アルトは唇を噛む。
勇者の名を譲られて、なぜ心が軽くならないのか。
周囲の視線が、ますます冷たく自分を突き刺すのはなぜか。
リュシアが腕を組み、わずかに首を振った。
「……“譲る”と言いながら、彼は別の力を手にしようとしています」
「別の力?」カイルが眼鏡を押し上げる。
「はい。勇者という名より深く、人を縛り従わせる……そんな危うい力を」
その言葉に、アルトの胸はさらにざわめいた。
夕刻。
ラインハルトの背後に並ぶ生徒たちの列は、昨日より長くなっていた。
その光景を見ながら、ジークが肩を竦める。
「まったく、祭り上げられるのが早えな」
「……でも、目が」ミナがぽつりと呟いた。
「なんか、みんな似たような目をしてる」
アルトは黙っていた。
――勇者の名は、自分に押し付けられた。
だがその影で、もっと深い何かが生まれようとしている。
そしてラインハルトは、月光を受けた瞳で囁いた。
「俺は勇者じゃない。けれど……人を導く存在になる」
その言葉は、もはや周囲の拍手のためではなかった。
彼自身の奥底に潜む、冷たい声と響き合う呟きだった。
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