囁きと隔たり—始まりの亀裂
冬の朝。鐘の音が冷え込んだ空気を震わせ、学院の一日が始まる。
吐く息は白く、食堂の窓は霜で曇っていた。普段なら活気に満ちる朝食の場も、この日は妙な静けさを孕んでいた。
視線の先――長いテーブルの中央に、ラインハルトの姿がある。
十数人の生徒が彼の周囲を囲み、整然と並んで座っていた。その様子は“隊列”のようで、自然な友人関係には見えなかった。
「昨日の演習、やっぱり凄かったよな」
「アルト殿下がいなければ、危なかったんじゃ……?」
「いや、殿下は守りに徹しただけさ。本当に前に立っていたのはラインハルト様だろう」
囁き声は、あえて聞かせるように響く。
アルトの背に、突き刺すような感覚が走った。
「……なんか、変だよね」
隣のアマネが小声で漏らす。
アルトは短く頷き、スープを口に運んだが――味はまるで感じられなかった。
教室に戻ると、その違和感はさらに強まった。
机を寄せ合って集まる者、肩を寄せ合って談笑する者。そこには、はっきりとした「中心」と「外側」が生まれている。
中心には――ラインハルト。
外側には――アルトたち。
「……まるで結界だな」
カイルが低く呟く。
「近づけば弾かれるような……そんな空気だ」
リュシアが胸に手を当て、瞳を細める。
「……魔力です。昨日より強くなっている。“心を縛る糸”のような……。悪魔の残滓を思わせます」
「悪魔……?」
ミナが顔をしかめる。
「断定はできません」リュシアは首を振った。「けれど、このまま広がれば……人の心そのものを呑み込んでしまうかもしれません」
アルトは机の角を握りしめ、爪が木目に食い込むほどに強く握った。
――勇者。
その名で呼ばれる自分に、人々は期待を寄せた。
だが今、皆の視線はラインハルトだけに向いている。
「アルト……無理、しないで」
アマネの小さな声が、かろうじて彼の心をつなぎ止めた。
だが、胸の奥の焦燥は炭火のようにじりじりと燃え広がっていく。
放課後。裏庭へと歩くラインハルトの後ろには、新たに数人の生徒が加わっていた。
昨日までアルトを称えていた者さえ、今は彼の影の中に吸い込まれていく。
「……見たか?」
遠くから見ていたジークが腕を組む。
「完全に潮目が変わったな」
「だが、自然じゃない」カイルが低く言う。
「急に人を引き寄せるなんて……理屈に合わない」
仲間の視線が集まる。
ミナが不安げに呟いた。
「ねえ……これって、本当に人の力だけなの?」
リュシアは苦しげに目を伏せた。
「……悪魔のような魔力が絡んでいます」
その沈黙を破ったのはカイルだった。
「待て。昔、文献で読んだ。“人の心を束ねる術”――あれは確か、悪魔との契約の断片だったはずだ」
「つまり……」ジークが眉をひそめる。「ラインハルトが……?」
「確証はない」カイルは首を振る。「俺たちだけじゃ判断できない。こういう時は、古株に頼むしかないだろ――エジル先生だ」
アルトは深く息を吸い込み、静かに頷いた。
「……明日、聞きに行こう」
その夜。
窓辺に座るラインハルトが、冬空の月を仰ぐ。
「俺は……導く者になる」
胸の奥で、冷たい囁きが響いた。
――そのために、お前は器となるのだ。
口元に浮かんだ笑みは、もはや彼自身のものではなかった。
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