幕間:揺らぎから決意へ
昼下がりの学園中庭。
ユリウスは父からの使いで渡された文を懐に入れ、憂鬱な気持ちで歩いていた。
――「アマネという娘の動向を探れ」
父の命は冷酷だった。
ただの庶民を気にかける必要などないと、自分でも思い込もうとしていた。
だが、そのとき。
「大丈夫、アマネ? ほら、もう少し姿勢を正して」
「はい、クラリス先輩!」
視線の先で、アマネが仲間たちと模擬戦の稽古をしていた。
重い木剣に腕を震わせながらも、必死に踏ん張っている。
クラリスが後ろから背に手を添え、優雅な仕草で支えていた。
――その光景は、奇妙な調和を帯びていた。
庶民の娘と、公爵令嬢。
本来なら相容れない立場。
だが、互いの眼差しに上下はなかった。
アマネは汗だくのまま、照れくさそうに笑った。
「……私、まだまだですけど。ちゃんと強くなりたいんです。みんなと並んで、守れるくらいに」
その言葉に、クラリスの表情が和らぐ。
「ええ。あなたならきっとできるわ。だから私は信じて、隣に立つの」
――隣に立つ。
その一言が、ユリウスの胸を深く刺した。
クラリスの声は、かつて自分に向けられたものと同じ。
「矜持を見せて」と告げたあの時と同じ輝きがあった。
アマネは、下を向かない。
庶民であろうと、自分の言葉で立ち上がっている。
そしてクラリスは、そんな彼女を誇りを持って支えている。
(……負けた)
ユリウスは拳を握った。
庶民を嘲る自分よりも、己の弱さを晒しながら前に出る少女のほうが、ずっと強い。
そして、その姿を支えるクラリスのほうが、ずっと気高い。
気づけば視線は二人に釘付けになっていた。
胸が熱く、呼吸が速まる。
それは嫉妬でも憤りでもない――恋と尊敬が混ざった、抗いがたい衝動だった。
「……俺も、あの隣に立ちたい」
呟きが漏れた瞬間。 すぐ傍らから声が返ってきた。
「なら、立てばいいのよ」
ユリウスは驚いて振り返る。 いつの間にかクラリスが背後にいて、柔らかく微笑んでいた。
「……せ、先輩……聞いて……」
「ええ、全部聞いたわ」 そう言いながら、クラリスは彼の肩にそっと手を置いた。 重さはなく、ただ温もりだけが伝わる。
「あなたは誇り高い。でもそれは、家の名に縛られた鎖じゃなくていいの。 ――ユリウス自身の矜持であってほしい」
碧い瞳が真っ直ぐに射抜く。 逃げ場のないその視線に、ユリウスの喉がひりついた。
「……俺の、矜持……」
震える声を、クラリスは静かに受け止める。 そして、何気ない仕草のように彼の襟元を直した。 風で乱れていた小さな皺を整えただけ。 だがユリウスには、胸に触れられたように感じられた。
「大丈夫。あなたならきっと見つけられるわ」
耳元で囁かれたその声は、優雅で、甘い。 ほんの一瞬、距離が近いだけで――心臓が跳ね上がる。
クラリスは手を離し、何事もなかったように微笑んだ。 「そのときは、私も誇って隣に立つ。だから……焦らないで」
ユリウスは息を呑み、言葉を失った。 頬が熱く、胸は苦しい。 けれど、不快ではない。むしろ――胸の奥からあふれる。
(俺は……この人に、認められたい)
その瞬間、ユリウスの心は決まっていた。 アマネを監視する役ではなく。 「クラリス先輩と共に、アマネを支える者になる」、と。
その呟きは風に消えたが、確かな決意として胸に残った。
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