幕間:庵の夜—湯気に咲く微笑み
庵の裏手にある小さな浴室。
焚き火の熱で湯を沸かす木の浴槽に、月光が窓から差し込み、湯気を銀色に染めていた。
外の森は静まり、虫の声だけが遠くに響いている。
「……あの、やっぱり緊張しますね」
浴衣を抱えたまま立ちすくむリュシア。頬に宿る赤みは羞恥だけではなく、慣れない心許なさからくるものだった。
学園の大浴場で、仲間と共に湯を囲んだことはある。けれど、それはあくまで「行事」の一環で、肩を寄せても心は張り詰めていた。
「もちろん、入っていいのよ。ここでは聖女じゃなくて、一人の女の子でいいんだから」
先に湯に浸かっていたのはエリシア――庵では“セレス”と名乗る王妃。濡れた髪を後ろでまとめ、頬にかかる水滴を指で払う仕草は、気品と艶やかさを同時に纏っていた。
「それにね、湯気を分け合うとね、不思議と肩の飾りが外れていくのよ」
「そうそう」
隣で桶を沈めていたアサヒが、くすりと笑う。紫苑色の瞳が湯気の中で柔らかく揺れ、母のような温度を纏っていた。
「大浴場の時は、皆と賑やかでごまかせたでしょう? でも、こうして少人数で静かに浸かると、もっと素直になれるものなの」
「……なるほど」
リュシアは視線を泳がせ、ぎこちなく浴衣を脱いだ。白い肩、細い腰。十五歳の輪郭が湯気に包まれる。
恐る恐る足を湯へ浸す。
「っ……あ、熱い……」
「すぐ慣れるわ。ほら」
セレスが手を取り、そっと導く。指先のぬくもりに背を押されるようにして、肩まで沈んだ瞬間、緊張が少しずつ溶け、吐息がこぼれる。
「……はぁ……」
「ね、気持ちいいでしょう?」
アサヒが桶をかぶり、水しぶきがぱしゃりと弾けた。
「ほら、“聖女”よりも、今のリュシアの顔の方が、よっぽど人を癒すわ」
「……ふふ」
リュシアの口元に、自然な笑みが浮かんだ。
◇
しばしの静けさのあと、リュシアは胸の布をきゅっと押さえた。二人の大人の女性と並ぶと、自分の身体がまだ子どもじみて見える気がして。
「……気にしてる?」
アサヒがふっと笑う。
「えっ! い、いえっ……!」
「顔に出てるの。大丈夫よ、誰だって通る道だから」
「そうね」セレスが湯面をなぞりながら微笑んだ。
「私だって若い頃は比べてばかりだったわ。でもね、女の子は形じゃなくて、心の方が人を惹きつけるの」
「……心の方……」
リュシアは小さく繰り返し、赤い頬を湯に隠した。二人の言葉はからかいではなく、未来へ伸びていく糸のように響いた。
◇
湯気の中で、セレスが少し真面目な声に変える。
「リュシア。あなたは、聖女である前に一人の人なの。悩んで、恥ずかしがって、笑って……その全部が、人を癒やす力になるの」
「……全部が、力に……」
胸に手を当てる。昨夜、アマネを治したいと願ったときの感触が甦る。あの祈りは“役目”ではなく“願い”だった。
「少しずつでいいのよ」アサヒが頷く。「役目に縛られた祈りよりも、自分の願いから出る祈りの方が、ずっと温かい」
「ここでは聖女じゃなくて、ただのリュシアでいなさい」
セレスが静かに続ける。
「そして、その姿を好きだと思ってくれる人は、きっと現れるわ」
リュシアの胸がかすかに熱を帯びた。湯気のせいか、それとも――。
◇
「さて、そろそろのぼせるわよ」セレスが髪をざばりと撫で上げる。
「ふふ、ですね」アサヒも肩にタオルを掛けた。
「湯上がりは冷たい水を飲んで、甘いものをつまむといいわ」
縁側に出ると、夜風が火照った頬を撫でた。
湯上がりの胸の奥には、ほんのり残る温かさ。
(……聖女じゃなくても、私の笑顔は、誰かを癒せるのかな)
その微笑みは、湯気の中で咲いた“ただのリュシア”のものだった。
リュシアの内面に小さな変化。不定期・毎日目標で更新します。




