半年後、いつもの朝
東の稜線へ朝の一刷毛。白い靄がほどけると、若い王都リュミエールは、今日もよく息をしていた。庵ひろばでは、湯気の立つスープと焼きたての薄パン、露店の並ぶ影を縫って子どもたちが駆ける。輪の中心には三つの柱——施療の小屋、学びの檀、語らいの長椅子。入口に掲げられた板には、簡潔な三則が彫り込まれている。
庵の三則
1.だれでも来られる。
2.もらった善意は次へ回す。
3.話している人の言葉を最後まで聞く。
読み上げた少年に、年寄りのドワーフが親指を立てた。「覚えがいいな、ロイ。板の角もお前が削ったのか?」「はい! 角が丸いと、痛くないから」
白狐のカグヤがひらりと石畳を飛び、尾で子らの頭をぽんと撫でる。彼らは嬉しそうに「おはよう、カグヤ!」と声をそろえた。
1. 王と妃の朝は、街の朝
城と呼ぶにはまだ小ぶりな館のバルコニーから、アルトとアマネが街を見渡す。二人の朝は、街の朝と重なるように始まる。
「井戸の水位、昨日より安定してる」
アルトが測定棒を引き上げて頷く。土の匂いに混ざって、遠くから水気の澄んだ風が届いた。
「レオン殿下が整えてくれた上流の水門、うまく働いてるね」
アマネは目を細め、日の光の具合を確かめるように空を見る。「今日も晴れ。——畑の整地、午前中に手を付けちゃおう」
「うん。橋も一本、仮設から常設へ替えたい」
二人がうなずくと、館の壁に新しい小窓がひとつ、音もなく生まれた。街の誰もが知っている——“誰かの『よし』が、街をひとつ進める”合図だ。
2. 芽は三つ、風は一つ
庵ひろばの奥、神樹の“芽”は、半年前よりふた回り逞しくなっている。枝先に灯の粒をいくつも温め、触れれば微かな鈴の音を返す。その瞬きに、遠い二つの場所が呼応した。
ひとつはソレイユ王都、《ルーメナス施療院》の裏庭。もうひとつはルナリア王都のギルド本部の中庭。——その両方にも、姉妹の“芽”が静かに根を張り、朝ごとに薄い光を立てているのだ。
その日も、三つの芽は同じ拍で脈を打った。見上げたアマネが、そっと胸に手を当てる。
「……ちゃんと、繋がってる」
3. 遠くの仲間、近くの気配
午前の仕事を切り上げる頃、通信水晶がわずかに温かくなった。アマネが掌で包むと、水面のような光が輪を描き、声が届く。
レオン『上流の水門、二基目が完成した。流量は季節変動に耐えるはずだ。夕刻に資料を送る』
エリスティア『神樹の姫より報告。芽の歌は安定。リュミエールの苗と和音が合っているわ。——みんなに“やさしい昼を”』
続いて、さらさらと紙をめくる音。
カイル『本日から施療院に夜間の窓をひとつ開ける。声をかければ灯る、小さな窓だ。迷ったらそこへおいで、が合言葉』
リュシア『教材の初版が刷り上がったわ。読み書きの手習いと“話の聞き方”。一部、庵ひろばへ送るね』
さらに、にぎやかな足音。
ミナ『新しい襟芯! 汗を吸っても型崩れしないよ! ——っていうかカグヤ、前の試作噛み切ったでしょ!』
ジーク『明後日、木組み職の見習いを三人連れて行く。橋換装の手がいるんだろ?』
アマネとアルトは顔を見合わせ、笑った。遠くの仲間の息遣いが、近くの風と混ざる。
4. 小さな“事件”、街の解き方
昼下がり。庵ひろばに駆け足が響いた。「王子! 舞台の梁が鳴きます!」ドワーフの少年が額に汗を光らせる。見に行くと、木舞台の下の一本が湿気を含んで弛んでいた。
「大丈夫。声を出してくれて、ありがとう」
アルトは少年の肩に手を置き、周囲を見回す。「道具の手配、頼む。——三歩、譲ってくれ」
アマネが膝を着いて、木目を指でたどった。「ここ、力の流れが詰まってる。梁一本の問題じゃないな。重さが集中してるから……舞台の使い方を変えよう」
「使い方を?」
「中央一点に立たず、輪で立つ。歌い手は半円、子どもは回廊へ。——“重さ”は、分け合える」
言葉の通りに皆が動くと、梁の鳴きはぴたりと止んだ。ジグを組み直すまでの、街の“暫定解”。
「最適解は、いつも“いまできること”から」
アマネの言葉に、周囲の肩が一斉に軽くなる。カグヤがくるりと輪の中を駆け、尾でひとりひとりの手を触れていった。
5. 夕餉前、手紙と小包
作業を終えた手を洗い、庵ひろばに戻ると、配達の少年が封書と小包を掲げていた。封は蒼と白。小包は堅牢な布巻き。
蒼の封はレオンとエリスティアから。「水路の歌」が書かれた簡潔な図と短い挨拶。白の封はカイルとリュシアから。施療院の裏庭で芽が揺れた瞬間のスケッチに、「今日は三つ、同じ拍でした」の一行。
布巻きを解くと、細い歯車のついた首飾りが転がり出た。ミナの走り書きが付く。
『カグヤ用・噛んでも壊れない仕様(ジーク実験済)』
カグヤが鼻先で押すと、歯車は軽やかにくるりと回った。ひろばの子どもたちが歓声を上げる。
6. 夜は、明日のために閉じる
日が落ちる。庵ひろばの灯が一つ、また一つとともり、語らいの長椅子に人が増える。今日の出来事を話す声、明日の段取りを整える声。だれかが「歌おう」と言い、歌詞のない合唱が自然に生まれる。
アマネは火の端へ小さく手をかざした。ソル・イグニスの温が掌をあたため、オムニアが周りのざわめきをやさしく拾って返す。耳の奥で、三つの“芽”がまた同じ拍で鳴った気がした。
「おつかれさま」
アルトの声。彼は皆の輪の端に座り、今日の帳面を閉じる。「明日は……」
「橋の換装と、畑の用水。あとは“学び”の時間を増やそう。文字を覚える子が増えてきた」
「いいね」
二人が軽く拳を合わせると、館の壁にまた小さな窓が一枚、音もなく灯る。誰かが「見た?」と囁き、別の誰かが頷く。街は今日も、少しだけ育った。
7. いつもの朝へ
やがて夜は深く、風は涼しさを増す。アマネは空に囁く。
「おやすみ、世界」
そして笑って付け加える。
「——おはよう、リュミエール」
答えるように、神樹の幼木がひとすじ光った。遠いふたつの庭でも、同じ光が立つ。三つの街に、同じ拍で眠気が降りる。
*
翌朝。鶏の声、パンの匂い、遠い水門の低い唸り。庵ひろばの板に、子どもの背丈の線がまたひとつ刻まれる。今日も誰かが来て、誰かが去り、誰かが「ただいま」と言うだろう。
——物語はいったんここで筆を置く。けれど街は続く。橋は渡られ、窓は増え、芽は育つ。いつもの朝は、明日の約束だ。
ひとまずここで一区切りです。
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