光輪、四つの誓い
朝靄がほどけるたび、若い王都リュミエールは一段と息をする。神樹はなお“芽”と呼ぶには逞しく、白木の幹が淡金色に脈を打っていた。広場には円形の木舞台。ドワーフの槌音が軽く鳴っては止み、エルフの歌声が風に合わせて上がる。露店の甘い匂い、子どもの笑い。空には薄い羽のような雲、低く澄んだ鐘が一度だけ鳴った。
「はじまるよ」と、誰かが囁く。
四方から、四つの行列がゆっくりと進む。北より白と蒼の礼装――レオンとエリスティア。東より深緋と金——ジークとミナ。南より白藍と翡翠——カイルとリュシア。西より星紺と白——アルトとアマネ。花弁が舞い、光の粒が靴先で弾ける。
最前列にアルフォンス王とエリシア王妃、そしてルナリアから参列したフローラ女王。王座の威厳に、庵の気安さが柔らかに重なっていた。ブリューナは腕を組み、「こしらえた衣が泣いてるぜ、綺麗でよ」と鼻を鳴らし、ファエリアは微笑みながら光紋の止めを指先でなぞる。カグヤが尾を揺らし、ヴァルディアが一度だけ短く空へ吠えた。
「みな、よく来てくれた」
王ではなく、一人の兄として——レオンが一歩、輪の中心へ進む。だがその声に重なるよう、神樹から鈴のような音が降った。誰かが「樹が、祝詞を」と呟く。儀式の司は一人ではない。この街を育てた手々と、ここに立つ四人四様の“約束”が司だった。
Ⅰ. 星の娘と、橋を掲げる王
先に進み出たのはアマネとアルトだ。アマネの礼装は星砂を散らしたように白く、動くたびに夜明け前の微光を纏う。アルトの胸には黎明の紋、盾と剣の意匠が控えめに輝いた。
「アルト」
アマネは彼の手を取る。小指のあたりで、戦場の震えがふっと思い出になった。
「私ね、怖い時ほど思い浮かべるの。『帰る場所』って言葉。あなたが“橋”になりたいと言った日から、ずっと」
アルトは笑う。少し照れ、少し誇らしげに。
「橋は架けただけじゃ意味がない。渡ってくれる人がいて、初めて橋になる。だから—」
彼は手の甲にキスを落とした。
「君が渡る限り、何度でも架ける。……アマネ、結婚しよう。君の“ただいま”を、この街で永遠に受け取りたい」
「うん。行ってきますも、ただいまも、何度でも」
ふたりが指輪を交換する。指輪は星映水晶の双環、内側に「星」と「橋」の小さな刻印。拍手が、波のように広がった。
Ⅱ. 祈りの聖女と、風を抱く神官
入れ替わるように、リュシアとカイルが中央へ。リュシアの白衣は羽衣のように軽く、彼女が息を吸うたび、裾が月の波のように揺れた。カイルは正装の上衣に祈りの文を刺繍した細帯を結び、胸にはフェンリルの小さな銀章。
「……最初に出会った時から、あなたはずっと『支える』って言ってくれた」
リュシアが微笑む。時折、緊張の癖で杖先の見えない位置を整える仕草も、もう彼の前では恥ずかしくない。
「でもね、気づいたの。支えられてばかりじゃない。私が進む勇気の源は、カイル、あなたが前を見てくれること」
カイルは目を細め、頷いた。
「僕は祈る。君が歩む道が、光で満ちるように。……そして約束する。どんな時でも、君が『行ってくる』と言えば、僕は『待っている』と言うよ」
「帰ったら、『ただいま』って言うわ」
指輪に光が宿る。風鈴のような音色が広場に走り、ヴァルディアが低く、優しい遠吠えで祝福した。
Ⅲ. 水の王と、神樹の姫
レオンが片膝をつき、エリスティアの手を取った。彼女の礼装は森の雫を織ったような薄緑と白、髪には神樹の花から落ちた小さな光の冠。頬にわずかな紅、胸に凛とした矢の線。
「ずっと、あなたを尊敬していた。強さも、静けさも。……そして気づけば、守りたいと思っていた。私情だと戸惑ったけれど、今はそれが私を人にしてくれる」
レオンの声に、広場の時間が少しだけ遅くなる。
「エリスティア。国と人、どちらも選ぶ生き方を、あなたと一緒に選びたい」
彼女は小さく息を呑み、そして真っ直ぐに見返した。
「……はい。私も、あなたをお慕いしています。神樹に誓って。姫としてではなく、エリスティアとして」
指輪を交わす瞬間、神樹の葉脈がひと筋、強く光った。フローラ女王はそっと目元を拭い、エリシア王妃は微笑のまま頷く。アルフォンス王は静かに手を叩き、民の拍手の先頭をとった。
Ⅳ. ギルド創設者と、魔導の技師
最後に、ジークとミナ。彼の礼装は黒に深紅の縁取り、背の広さがやけに目立つ。ミナは白衣に銀のギミックを散らし、腰には《アルキメイア》の式架を外した飾り金具—今日だけは武器ではなく“作品”。
「なぁ、ミナ」
ジークが耳の後ろを掻き、照れた笑いを漏らす。「俺はうまく言えねぇけどよ。お前が『任せて』って言うと、どんな戦場でも前に出られる」
ミナは胸を張り、いつもの調子で親指を立てる。
「当然! 設計上、あなたの背中は私が最適解で守るって決めてるから!」
「ああ。前も横も、俺が守る。……だから、その。結婚、しようぜ」
「する! 決まってるじゃん!」
爆笑と歓声が湧き、ブリューナが「上等!」とハンマーを掲げ、ファエリアがひそかに小花火を弾かせた。
四組の指輪が揃って輝いた瞬間、神樹の上空に淡い光輪が四重に重なった。風が四方から集まり、花弁と鈴の音が渦を描く。誰かの「歌おう」という声から、自然に合唱が生まれた。歌詞はない。息と笑いと、名前の呼び声が混じり合って、街全体が一つの祝詞になっていく。
アルフォンス王が短く、しかし温かく告げる。
「ここに—四組の婚姻を、王として祝福する。……同時に、民の一人として言わせてほしい。ありがとう。君たちが、この時代の夜を越えてくれた」
エリシア王妃は花冠を手に、四組の頭上にそっと降ろしていった。母の仕草に、胸の奥がほどけていく。フローラ女王はエリスティアを抱き締め、「世界樹は、きっと笑っているわ」と耳元で囁く。
その時、神樹の枝先から小さな光の欠片が八つ、まっすぐに落ちた。八人の掌へ、花びらのように。指に触れた瞬間、光は温かさだけを残し、溶けて消える。
「恩環の、お返しだね」
アマネが小さく笑う。アルトが頷き、八人が視線を合わせる。ここまで来た日々、これから育てる朝。どちらも等しく、彼らのものだ。
「——誓いの矢を」
エリスティアが《アウロラ》を掲げ、夜空への礼として空へ一矢を放つ。矢は光の筋になり、広場の上に薄い天蓋を描いた。拍手が再び大きくなり、子どもたちが真似をして両手を空へ伸ばす。
ジークがミナをひょいと抱え上げ、ミナが「ぎゃっ」と笑い、カイルはリュシアの髪のほどけた一房を直し、レオンはエリスティアの指先に自分の指を軽く絡めて歩き出す。アマネとアルトは——ただ、手を繋いだ。強くはない、けれど離れない力で。
「行ってきます」
四人が同時に言い、四人が同時に返す。
「ただいま」
光輪は次第に薄れ、代わりに街の灯が点っていく。新しい“窓”が城の一角に一枚生まれ、庵ひろばの回廊が三歩ぶん延びた。誰もが見た。誰もが笑った。
この街は、育つ。
人の善意に、神樹が呼応し、祝福が形をとる。
その真ん中に、彼ら—八つの誓いがある。
今夜は踊ろう。明日は働こう。明後日はまた、誰かの手を取ろう。
そうしていつか、子どもたちが尋ねるだろう。「どうしてこの城は広いの?」と。
大人たちは答える。「みんなで“ただいま”を増やしたからだよ」と。
風が、笑った。
そしてリュミエールの夜が、優しく降りてきた。
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