建国前夜(分岐)/両親への挨拶
夜明け前、王都の空はまだ群青の名残を抱いていた。
地図と報告書で埋まる政務室に、レオンとエリスティアは向かい合う。窓辺では灯が一つ、風に震えた。
「輸送線、東の峡谷は土砂が残っています。橋桁の仮設案、今朝には承認が下りるはずです」
「助かる。庶務院へ連絡。仮設のあと、常設の設計はリュミエール側と共有しよう」
肩書きの言葉は端的だが、目の奥には同じものが灯る。守るべき人々の顔。その列が、いつも二人の背を押す。
エリスティアは羊皮紙を束ね、そっと両手で差し出した。
「殿下──いえ、レオン。これは守り人からの連絡線図です。森の“道”は人の言葉で通いがよくなる。書き置いた言葉は、橋と同じです」
レオンは受け取り、指先で紙の縁をなぞった。
「言葉で架ける橋、か。いい比喩だ。……彼らが渡る橋を、今度は私たちが守ろう」
まばらに登庁してくる役人、書記官、タウンギルドの代表、施療院の弟子。入室しては短く言葉を交わし、ひとりひとりと握手して送り出す。
握手は儀礼であり、誓いでもある。紙の承認よりも確かに、掌の温度が“約束”を定着させていく。
扉が閉まるたび、静けさが戻る。そのたび、二人は顔を見合わせ小さく笑った。
「終わったら、向かいましょう。私も行きます」
「……ありがとう。君がそばにいてくれるなら、どの道も怖くない」
◇
同じ朝。
アルトとアマネは王都の門をくぐり、封印地へ続く街道へ馬を進めていた。霜を踏む音が二頭ぶん、規則正しく続く。遠くで、目覚めたばかりの屋台が湯気を上げる。
「寒い?」
「平気。ね、あそこの村に寄っていこう。昨日の戦で、柵が壊れたって聞いた」
予定表にはない寄り道。それでもアルトは頷いた。
「寄ろう。今日の“手”を増やすために」
村に着くと、まだ若い獣人の夫婦が柵の柱を抱えていた。アマネは外套を脱ぎ、柱の片側を肩に乗せる。アルトは釘を打つ位置を測り、手際よく補強してゆく。
「王子さまなのに、手を汚して……」
「城も柵も、同じ“暮らし”の一部です。大切にしましょう」
仕上げの釘を打ち終え、手を握る。ぎこちない掌は冷たく、けれど力があった。握手の輪の外で、子どもが小さく跳ねる。
「ありがと、アマネお姉ちゃん!」
「こちらこそ。君がこの村の“見張り番”ね。頼りにしてる」
道を戻る途中、風が橋を渡った。古い木橋はきしみ、真ん中に小さな欠け目がある。アマネは足を止め、欠けた木口に手を当てた。
(――封印地を、橋に)
胸の内でゆっくり反芻する。
壊れた橋をただ渡すためではなく、人と人を、国と国を、昔とこれからを結ぶための橋。自分たちの国が──**誰かの“渡る一歩目”**であれ、と。
◇(回想:王城、玉座の間)
アルフォンスは玉座から降りてきた。王ではなく、父の歩幅で。
「アルト」
「はい、父上」
言葉の前に、抱擁があった。短く、強い。
「封印地を橋に──いい。“王冠”より先に、人の手を取れ。お前の背を押す風は、私がつくる」
「ありがとうございます」
「アマネ、頼んだ。あいつは真っすぐすぎて、時々まぶしい」
アマネは笑って頷いた。「まぶしいの、いいじゃないですか。道しるべになります」
その隣で、エリシアが外套を広げる。柔らかな手が、旅仕度の襟を直した。
「寒さは敵。食べること、眠ること、笑うことを怠らないように」
「はい、王妃殿下」
「ここでは“エリシア”でいいの。……あなたたちは帰ってくる場所を、いちばんよく知っているもの」
◇(回想:王都迎賓館・静室)
フローラは小さなテーブルに花を活けていた。白い小花。
「お二人にね、伝えたかったの。──“神樹は、結ばれた手をよく覚える”って」
「結ばれた、手……」アマネが手元の指を見つめる。
「ええ。あなたたちが握った手のぶんだけ、新しい芽は強くなる。だから、たくさんの手を取りなさい。王も民も、亜人も。ぜんぶ、あなた方の国の“家族”にしてしまえばいいのよ」
その言葉を、アルトは何度も頷きながら飲み込んだ。
「女王陛下。必ず、橋にします。人が渡り、根が伸びる橋に」
◇
現に戻れば、昼の光は高かった。
街道の曲がりで、行商人とすれ違う。立ち止まって安堵の報せを互いに交わし、握手をひとつ。峠の手前で石工たちが休む輪に混じり、パンをちぎって分け合い、「明日、ここの勾配を少し緩く」と言葉を結ぶ。
言葉は図面にはならない。しかし、顔と顔を合わせた者どうしの仕事の速度は、それだけでひとつ上がる。
やがて、封印地の外縁へ。
荒れ地の風の匂いは、かつてより柔らいでいた。遠くに張られた白い幕屋、仮設の井戸、焚き火の煙。見慣れない土地が、すこしずつ“暮らし”の色を帯びている。
案内の少年が走ってきた。
「王子さま、アマネさま! 昨日の杭、抜けてません!」
「よく見ていてくれたね。君が最初の“監督官”だ」
杭の列を見回し、アルトは帽子を軽く上げた。目は嬉しさを隠せない。
アマネは風上へ立ち、見えない境の先──荒れた丘の向こうへ目を細める。
(ここに、光が通う道を)
彼女の右手に、ふっと掌の感触が重なる。アルトがそっと握った。
「橋にしよう。戻る道じゃなく、進む道として」
「うん。たくさんの“ただいま”と“いってきます”が交差する道に」
指を離す前に、二人は小さく笑いあった。笑いの余韻に、遠い王都の政務室の灯が重なる。きっと今も、彼らは同じように忙しく、同じように笑って働いている。
◇(王都・政務室)
最後の書面に署名し、封蝋を落とす。
レオンが息をつき、エリスティアが茶器に湯を注いだ。
「ひと息、どうぞ」
「ありがたい。……ねえ、エリスティア」
「はい」
「君が差し出した“橋の言葉”、私も結び目を増やすよ。王としての言葉で。だから──」
レオンは一拍置き、掌を差し出した。
エリスティアは微笑み、そっと重ねる。
「はい。私も、森の言葉で、結び目を増やします」
掌が離れる時、二人の視線は同じ地平を見ていた。
封印地、そしてその先に立つ「リュミエール」という名の灯。
そこへ通う橋は、もう確かに、かかり始めている。
──会い、手を握り、言葉で結ぶ。
たったそれだけのことが、国の骨になる。
その夜、四人は別々の寝床で、同じ夢の端を見た。
明日、最初の杭を打つ音が、きっと朝の空気を少し震わせる。
それは合図──建国前夜の、静かな合図だった。
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