灯を持って来ました—大聖堂にて
ソレイユ王都の大聖堂は、戦の跡を抱えたまま静かに息をしていた。
焼けた梁は磨かれ、ひびの入った彩色ガラスには補修の鉛が走る。祈りの椅子には新しい木の香り。
入口の聖水盤に手を添えたカイルは、しばし目を伏せてから小さく十字を切った。
隣でリュシアが笑む。「緊張してる?」
「うん。少しだけ。でも、怖くはないよ」
「じゃあ、行きましょう。——灯を、持ってきたのだから」
ふたりは身を正し、内陣へ続く廊へ。
迎えに出た修道女に案内され、半円形の会議室へ通される。石壁には古い聖画。長卓の向こうに、白髭の大司教と数名の司祭・修道長。彼らもまた、戦いを生き延びた人々の顔だった。
「ようこそ、聖女殿下、そして——カイル。あなたの働きは耳に届いています」
大司教の声は掠れながらも柔らかい。
椅子を勧められ、カイルは深く頭を下げた。
「本日は、お願いに来ました。
王都と、これから生まれる街……荒廃地に開く“集いの場”で、施療と学びを続けたい。
それをこの教会のもとで行わせてください」
「“もとで”?」と、若い司祭が繰り返す。「新しい教えを立てるのではなく?」
カイルは即座に首を振った。
「いえ。分けません。奪いません。
——私たちがやりたいのは、灯を分け合うことだけです」
リュシアが言葉を継ぐ。
「“庵”という場所を作っています。名札は小さく、扉は広く。
誰でも来られること。
受けた助けは次の誰かへ回すこと。
誰かの話を遮らないこと。
たった三つの約束で、心が折れる前に腰掛けられる椅子を用意したいのです」
年嵩の修道長が、目尻の皺を深くした。「それは……祈りに似ているね」
大司教は卓に組んだ手を緩め、静かに息を吐いた。
「私たちは、教えが道具にされる怖さを見てきた。
だからこそ——名のためでなく、人のために行うと、あなた方が言うならば、耳を傾ける価値がある」
若い司祭がためらいがちに口を開く。
「ですが、秩序は要ります。施療や教育を行うなら、責任の所在を明らかにする必要がある。
あなたが“司祭”として任に当たるのか、あるいは“信徒の奉仕団”として並び立つのか……」
カイルは迷わず答えた。
「与えられる呼び名のもとで仕えます。求めたいのは権威ではなく、祝福の連帯です」
沈黙。ステンドグラスの青が床に揺れる。
リュシアが立ち上がり、卓の端に歩み出た。
「——少しだけ、祈ってもいいですか?」
席の一同が頷く。彼女は杖を持たず、両の掌を胸の前で重ねた。
「祈り
見えない痛みを、言葉にできますように。
言葉にならない痛みには、ただ隣で座れますように。
差し出された手が、誰かの顔を照らしますように。
そして——**『私が特別なら、あなたも特別』**と、
互いに思い出せますように」
祈りが終わる。部屋の空気が、ほんの少しだけ軽くなった。
沈黙を破ったのは、古参の司祭だった。
「……わたしは賛成だ。回復のための言葉を、教会は持ち続けたい」
若い司祭も続く。「条件を。会計は開かれた形で。政治から距離を置くこと。
教理に関わる講話は事前に共有してくれますね?」
「もちろんです」とカイル。「それは信頼の作法だと思っています」
大司教が頷いた。
「では——まずはここ王都から始めよう。
**“ルーメナス施療院”**の名を与える。学びと施療の場として、教会の庇護下に置く。
荒廃地の拠点にも同名の舎を設け、当面は“試み”として一年。
おまえを“旅務司祭”として任じ、現地の奉仕者(信徒)と共に運営せよ」
カイルは立ち上がり、胸に手を当てた。
「ありがとうございます。お預かりする灯を、消さぬように」
リュシアが横で微笑む。「ね、言ったでしょう。灯を持ってきたって」
会議が解ける頃、修道女が湯気の立つ茶を運んでくれた。
器を受け取りながら、カイルは思う。——ここからが始まりだ、と。
◇
大聖堂の回廊を抜けると、昼の陽が石畳を白く照らしていた。
アマネとアルト、エリスティア、ミナ、ジークが待っている。
エリスティアが一歩前へ。「どうでした?」
「一緒にやれるって」とリュシア。
アマネがぱっと笑う。「よかった! ね、アルト!」
アルトも頷く。「うん。居場所は最初からあった。あとは名前をつけて、手を動かすだけだ」
ミナが腕を組んで得意げに言う。「じゃ、私は机と棚を量産だね! 問診の小物入れに、子ども用のお絵描き板も!」
ジークが笑って肩をすくめる。「力仕事は任せろ。石積みも板も運ぶ」
エリスティアは安堵の息を吐き、空を見上げた。
「——ありがとう、皆さん。神樹の芽も、きっと喜びます」
風が一筋、彼女の髪を撫でた。聞き慣れた囁きが胸の奥で優しく鳴る。
(ここは、人が住める——そう言ってくれている)
「カイル」とアマネが向き直る。「あの祈り、すごく好きだよ」
カイルは照れくさそうに笑った。「うん。ぼくも、あれに助けられてる」
「じゃあ決まりだ」とアルトが手を叩く。「王都にも、荒廃地にも、座れる椅子と聞いてくれる人を増やしていこう」
◇
その夕刻、王都の古い街区に“ルーメナス施療院”の小さな札が掲げられた。
扉は重くない。鐘は大きくない。けれど、そこをくぐる人の歩幅は少しだけ軽かった。
同じ頃——
ギルド本部の仮事務所で、ダリオが図面を広げる。
「三つの街を一本の線で結ぶ。物資と人の往来、全部“人の顔”でやる。——それが俺たちのやり方だ」
「うん、わかった!」とロイク。
「やってやろう!」とユウマ。
「任せて!」レナとミオも続く。
扉が開き、アマネたちがひょっこり顔を出した。
「ただいま。——灯、分けてもらえたよ」
ダリオが親指を立てる。「上等」
誰かが笑い、誰かが頷く。
戦の終わりと、暮らしの始まりが、同じ場に並んで座っていた。
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