地鎮のつづき—庵のかたち
――荒れ地に、朝の音が戻ってきた。
草を刈る鎌の音、木槌の乾いた響き、子どもの笑い声。元・封印地の中央に据えた杭を起点に、放射状の道がのびていく。そこに、最初の三つ――
広場、施療、学び――が立ち上がりつつあった。
1. 広場──循環の真ん中
「よし、看板いくよー!」
ミナが脚立の上で木札を掲げる。薄い灰色の板に、焦げ茶の墨で三行。
① だれでも来ていい
② さしいれは みんなで回す(恩送り)
③ 話をさえぎらない
「……うん、これでいい」
アマネが少し離れて眺め、頷いた。隣でアルトが支柱を支え、ジークが杭を打つ。
「循環棚はこっちだな」
ジークが太い腕で木箱を運び、ミナが札を付ける。
〈入れた/持っていった〉 木札をひとつ動かしてね(記名いらず)
「“できます掲示”はここ」
ミナは小さな黒板を立て、白いチョークで書き出す。
荷運び1hできます/文字教えられます/楽器なら少し
「……楽器?」
「うん、ユウマがね」
少し離れたところで、若いギルド員のユウマとミオ、ロイク、レナが荷車を押しながら笑っている。
「庵の名物、循環棚。いい響きだ」アルトがつぶやく。
「名物は“人”だよ」アマネが笑った。「ここにいる人が、それぞれの得意で回してくれる」
広場の中心には、丸い石壇を据えた。座って話せる高さ。横には大鍋が載るかまど。誰かが置いていったパンと干し果実が、すでに共同の皿に盛られている。
「置いたら、止めずに回す。持っていくほうも、遠慮なし」
ミナが声を張ると、子どもたちが「はーい!」と返した。
2. 施療──息をつける場所
布張りの簡易小屋。風が通る向きに窓。リュシアが白衣の袖をまくり、簡易寝台の位置をカイルと合わせている。
「入口からまっすぐは、ため息の導線」
カイルが笑って、入り口脇に“座っていい椅子”を三脚置く。
「ここは、すぐに手当てが要らない人の椅子。座れば、誰かが水を持って声をかける。『ここに来てくれてありがとう』ってね」
「診る前に、聴く」
リュシアが頷く。「話を遮らない――三則の三つ目を、ここで一番、大事にしましょう」
施療の壁には、簡単な絵入りの案内が貼られた。読むのが苦手な人にも伝わるように――
熱/傷/心配ごと の三つの絵と、並ぶ三色の紐。来た人が自分で紐を選べば、手当ての優先が自然に決まる。
「祈りの言葉は?」
「暮らしの中にあればいい」
リュシアは微笑み、手を合わせた。「『よく来たね。ここで息をして』」
窓越しに、風が甘い土の匂いを運ぶ。遠くで槌の音。彼女は一度だけ空を見上げ、胸の奥で月が静かに満ちる気配に、そっと頷いた。
3. 学び──明日のための机
学びの小屋は、広場の並木の陰。大きなテーブルを二つ合わせ、端には小さな本箱。ファエリアが木口をなで、指先で魔力の導路を描いていく。
「角は丸く。ぶつけても痛くない」
「ここ、光が跳ねるからカーテンを」
ミナが布を測りながら、子どもの背丈に合わせて椅子の足を切る。ロイクは木屑を掃き、ミオが字札を並べた。
「あ、これも」
ユウマが古い笛を取り出す。音を鳴らすと、広場で作業していた大人たちが一斉にこちらを見る。少し照れて、ユウマが笑った。
「午後は歌の時間、ってのもいいかも」
「学びは文字と計算だけじゃないものね」
リュシアが言うと、ミナがすぐに板に書き足した。
夕暮れの一曲:誰でも参加
神樹の気配
小高い丘の斜面、若木を囲う柵の向こうが薄く光っている。エリスティアが膝をつき、萌え出た葉を指でそっと支えた。
「……風、行ってらっしゃい」
微かなささやきに、葉が震え、光が街の上へ薄く降りる。気づいた子が手を伸ばし、アマネが見上げる。
「神樹の姫、今日はここにいるんだね」
「はい。けれど――」
エリスティアは穏やかに微笑む。「私が守るより、皆で守るほうが、きっと強い」
アルトがうなずく。「だから“広場・施療・学び”を最初に置く。ここが守りの核になる」
支援の線、王都より
昼下がり、土埃を巻き上げて荷車の列がやってきた。旗の紋は二つ。ソレイユ王家の太陽と、ルナリアの月。
「王都より、木材と穀、薬草!」
先頭で声を張るのは、クラリスに仕える従者ユリウス。後続の荷車からは、ソレイユの職人組と、ルナリアの織り子たちが手を振る。
「よう来た!」
ジークが荷を受け、ミナが台帳に“受け”の木札を滑らせる。循環棚へパンが並び、薬包は施療へ。織り子たちは学び小屋のカーテンを手早く縫い始めた。
「水の支線は今日から使える」
レオンの書簡が読み上げられる。河川を使った小舟の便が整い、王都からの補給が周期的に届く仕組みだ。続いて、エリシアの印璽が捺された通行証――復興に携わる者の往来は通行税を免除――が配られた。
「ルナリアからは、森の苗と精霊の守りの札を」
フローラの書付けには、柔らかな文字で“よく食べ、よく眠って”と添えられていた。読み上げる声に、広場が少し沸く。
「支援は道で、心は人で繋ぐ」
アルトが短くまとめ、荷の振り分けを指示する。
“庵”が動き出す
夕方。広場の石壇には、自然と輪ができていた。疲れた肩を休めている人、初めて顔を合わせた者同士が水筒を回し飲みして笑っている。
「今日の“恩送り”を紹介しまーす」
ミナが立ち上がる。黒板には木札がいくつも掛かっている。
「午前のパンを置いてくれた人から、午後の読み聞かせが返ってきました。読み聞かせをした人から、今度は荷運び一時間。荷運びをした人から、夜の警邏に一名。……こんなふうに回っていきまーす」
拍手。子どもたちが面白がって木札を数える。
「数字は要らないわ」
リュシアが微笑した。「“ありがとう”が回っているなら、それで十分」
「それでも、回っていることを見せるのは大事だ」
アルトが頷く。「目に見えない善意は、見える場所がひとつあるだけで、続きやすくなる」
アマネは輪の外から皆を眺め、そっと息を吐いた。
「……ねぇ」
ふとかけられた声に振り向くと、エリスティアが立っていた。神樹から流れた光が、彼女の髪に淡く宿っている。
「今日だけでも、いくつの『守り』が生まれたでしょう」
「数えきれないね」
「ええ。神樹は一本ですけれど、守りは幾千にも増やせる」
アマネは笑ってうなずいた。「私が特別なら、あなたも特別。ここにいる全員が、ね」
「……はい」
エリスティアが小さく笑う。
夜の入口――王都との結び目
日が傾き、焚き火が点々と灯る。支援隊の隊長が地図を広げ、アルトとエリスティア、カイルが囲む。
「河の便は三日に一度。雨期は二日に一度に切り替え。街道はこの二か所に見張り台。巡回はギルドと交代で」
「施療の薬草は王都で乾燥加工して戻します」
「学び小屋の本は寄贈箱を王都に。読み終えたら次の人へ回す」
細かい取り決めは短く、肝心なところだけ。紙より顔で、印璽より握手で固める。
「……よし」
アルトが地図をたたみ、皆を見渡した。「ここは橋だ。ソレイユとルナリアの橋で、人と亜人の橋で、過去と未来の橋だ」
アマネが頷く。「その真ん中に“庵”がある。誰でも来られて、話を遮られず、善意が回る場所」
「気負いすぎないで」
リュシアが柔らかく笑う。「橋は、人が渡るためにある。渡る人がいる限り、橋は橋でいられるわ」
「渡る人を増やすのが、俺たちの役目だ」
ジークが肩を鳴らし、ミナが拳を握る。
「じゃ、明日は“学び”の初回。午前は読み書き、午後は道具の手入れ講座!」
「夜は歌」ユウマが笛を振る。
「歌の前に、パン焼き手伝って」ミオが笑った。
焚き火がぱちぱちと弾け、星の出が早い。丘の上では、若木が静かに風を送り出している。
アマネは火の光に照らされた皆の顔を見渡し、心の奥でそっと誓いを重ねた。
――ここを、帰る場所にする。誰にとっても。
そしてこの場所から、またどこへでも、何度でも出発できるように。
夜がやさしく降りてきた。広場の石壇では、誰かが絵本を読み、遠くの見張り台では、交代の足音が砂を踏む。施療の灯りが遅くまでともり、学びの机には、明日の字札がきちんと並べられていた。
地鎮の日・夕刻/広場の看板の前
焚き火が小さくはぜ、掲げた板の「庵の三則」が夕焼けに浮かぶ。人足が一段落したところで、アルトが看板の柱に手を置き、皆へ向き直った。
「――城よりも先に、人が集まれる場所が作りたかったんだ」
静かな声だったが、広場の隅々まで届いた。「国は石や城壁だけで出来るわけじゃない。話して、食べて、眠って、笑える場所が先にあるべきだと思う。ここを、その始まりにしたい」
アマネが頷く。「うん。帰ってこられる“最初の灯”にしよう」
ミナが看板を指さして笑う。「名前、どうする? とりあえず“庵”でもいいけど」
アルトは肩の力を抜いて、周りを見渡した。「仮の名は庵で。だけどいつか、ここで暮らすみんなが自分たちの言葉で決めてくれたら嬉しい」
エリスティアは耳を澄ませるように目を細めた。「……この場所の守りは、神樹の加護と風の道が護っています。姿は薄く秘匿されますが、必要な人には“導きの印”が見えるように」
カイルが地面を示す。「地理は――神樹の麓から半里ほど下った“湧水の丘”の段丘。洪水にも強く、街道の線も引きやすい。水が生きている」
レオンが笑みを浮かべる。「王都からの補給路は俺たちが繋ぐ。ここをひらくのは、君たちの役目だ」
アルトはもう一度、看板を押さえた。「ここは街の中心じゃない。だからこそ、最初の心を置ける。――庵、はじまるよ」
薄い霧が広場を撫で、風に混じって葉擦れの音が応えた。見えない結界の薄紗がふわりと揺れ、遠目にはただの丘にしか見えない。けれど、ここに来るべき人には、灯りが道を描いていた。
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