宣明の朝、姫の名
鐘は一度だけ鳴った。
三日の喪が明ける朝、城前広場は黒の布を少しだけ解き、代わりに白い花束が並んだ。泣きはらした目で笑う人、手を取り合う夫婦、肩を貸し合う兵。大きな歓声はない。けれど、息づかいは確かに軽い。
壇上にはアルフォンス王とエリシア王妃、隣にフローラ女王。
その少し後ろ、八人が肩を並べる。風がそっと、エリスティアの銀髪を撫でた。
王が一歩前へ。
「喪を共にしてくれた皆に、まず礼を。――そして、今から話すことは、この国の“これから”に関わることだ」
王が合図を送ると、壇の中央に一本の若枝が運び込まれた。水晶の器に根をおろした、小さな神樹の芽。光を受けて、葉脈が生き物のように脈打つ。
ざわめきが走る。次の瞬間、広場全体をやわらかな風が包んだ。
葉がふるえ、音にならない音が、胸の奥に直接落ちてくる。
――聞コエルカ、人よ。
誰かが息を呑んだ。子どもが空を見上げる。
――ワレ、森ノ理。名ハ、シルヴァ・ユグド。
――長キ夜ノノチ、待チ続ケタ姫、今ココニ在リ。
エリスティアが一歩、前へ。
膝を折り、掌を若枝へ。彼女の瞳に、光がやさしく映る。
「……エリスティア。わたしはここにいます」
声は震えていない。けれど、聞く者の胸を震わせる温度がある。
――汝ヲ、神樹ノ姫ト認ム。
――風ト葉、根ト水脈、ヒトノ誓イ、共ニ守ラント。
その言葉は、広場の隅々まで同時に届いた。
誰かが手を合わせ、誰かが涙をこぼす。拍手は小さく、長く、波紋のように広がった。
アルフォンス王が深く頭を垂れる。
「シルヴァ・ユグドよ、この国は貴殿の姫を尊び、神樹を守る盾とならん。――民よ、これが“神樹の姫”だ。名は、エリスティア。今この時より、我らの守りの柱のひとつとして、共に歩む」
エリスティアは立ち上がり、広場へ向き直る。
「秘密にしてきたこと、どうか赦してください。恐れを煽るのではなく、守るために力を育てる必要がありました。けれど、もう隠しません。……共に、守らせてください」
「頼むぞ、姫さま」
どこからともなく、くぐもった声。それは次第に輪となり、やがて静かな合唱に変わった。
王はひと息置き、次の言葉を運ぶ。
「そして――今日もうひとつ、皆に伝えたいことがある。戦いの夜を越え、共に生き抜く誓いを、ここに結ぶ若者たちがいる」
後ろに並ぶ八人に視線が集まる。
大仰な扇も、金銀の火花もいらない。ただ、互いを見る目と、握られた手がある。
「まず、我が子――王太子レオンと、神樹の姫エリスティア。
二人は国と森、人と理を結ぶ柱として、婚約を結ぶ。ソレイユは両手で祝福し、彼らの歩みを支える」
レオンが一歩進み、短く、はっきりと言う。
「彼女を守ることは、この国を守ることです。――いえ、彼女がいるから、私はこの国を守れる。皆さん、どうか見ていてください」
エリスティアが小さく笑い、微かに頬を染める。
「……よろしくお願いいたします」
拍手。穏やかで、温かい。
王は続ける。
「次に、王子アルトと――勇者アマネ。
戦の只中で互いを支え、救い合った二人の婚約を、ここに認める。立場を超えて、人として、人を選んだ誓いである」
アルトはアマネを見てから、民へ向き直る。
「私は勇者にはなれない。けれど、勇者が帰る場所を何度でも作り直す。そのために、これからも剣を取ります」
アマネは微笑むだけで、長い言葉を選ばない。
「……ただいまと、何度でも言える国を、一緒に」
人々の目元がやわらぐ。
勇者は昂然と叫ぶのではなく、暮らしの言葉で未来を語った。
「聖女リュシアと神官カイル。
互いの祈りを合わせ、包む力を民へ返す誓いを、ここに」
カイルが一歩出て、珍しく胸を張った。
「僕らは奇跡を起こす人間ではありません。けれど、奇跡が起きるまで隣にいる人間にはなれます」
リュシアが小さく笑って肩を並べる。
「だから、どうか頼ってください。今日も、明日も」
「戦士ジークと技師ミナ。
力と智が背を預け合う、この国の“手”としての婚約を、ここに」
ジークは照れ隠しに鼻を鳴らし、ミナが胸を張る。
「任せて! 丈夫で、あったかくて、ちょっとだけ格好いい未来にするから!」
笑いがこぼれ、拍手が重なる。
王は八人を見渡し、結びの言葉を置く。
「これは、王家の都合だけで決まるものではない。皆の目の前で、皆の祝福を受けて初めて“国の約束”になる。
どうか、見届けてほしい。友として、家族として、同じ町に暮らす者として」
フローラ女王が一歩進み、ソレイユの民へ深く頭を下げた。
「ルナリアもまた、この誓いを祝福します。私たちは隣人であり、同じ明日を望む者です。どうか、これからも手を取り合って」
エリシア王妃が白い布を掲げる。そこには神樹の芽と太陽の紋、そして月の紋が織り込まれている。
「これは“守りの布”。喪の黒と同じように、皆で纏う印です。――悲しみは分け合って軽く、喜びは分け合って大きく」
布が風に揺れる。
その瞬間、若枝の葉が小さく鳴り、朝光が一段と強くなる。
――誓イ、聞イタ。
――ヒトノ手デ、守レ。ワレラノ手デ、支エヨウ。
言葉が終わると、広場のあちこちで静かに手が取り合われた。
抱き合う者、肩を叩き合う者、空を見上げて涙を拭う者。誰もが大声で叫ばない。けれど、誰もが確かに笑っていた。
アマネがアルトの手を握り、リュシアがカイルの袖をつまむ。
エリスティアはレオンと視線を合わせ、ほんの少しだけ深く頷いた。
ミナはジークの腕に自分の腕をかけ、胸を張る。
王は最後に、短く宣した。
「ここに、神樹の姫の名と、八人の婚約を記す。――さあ、歩こう。今日からの“いつも”へ」
鐘が二度、柔らかく鳴った。
朝の光はもう、完全に夜を追い払っている。
人々の影は短く、けれど長く続く道の前に、まっすぐ伸びていた。
ここで魔王編が終了です。
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