帰還の星、八つの誓い
夕闇が、戦の匂いをようやく洗い流していた。
王都へ続く街道から少し外れた丘に、簡素な野営が組まれる。焚き火は控えめに、火花は夜空の星と混ざり合う。外套――暁衣と宵衣――は丁寧に畳まれ、濡らした布で拭われた新調の防具が、火のぬくもりでわずかに呼吸しているように見えた。
「……帰れるね」
アマネが小さく言うと、皆の肩から同じ安堵が落ちた。
「帰るさ。帰って、報せて、また歩く」
ジークが笑い、ミナが「うん!」と拳を握る。
リュシアは焚き火の炎を見つめ、カイルはそっと祈りの言葉を胸中に沈めた。
レオンは星図を測るように夜空を仰ぎ、エリスティアは風の向きを確かめるように目を細める。アルトは盾を膝に、磨き上げた縁へ指先をそっと滑らせた。
しばしの沈黙ののち、レオンが立ち上がった。
「皆、少し時間を……借りてもいいだろうか」
視線が集まる。彼は焚き火の向こう側――エリスティアの前で立ち止まると、槍を地に立て、礼を取った。
「エリスティア。私は君に、守られ、導かれた。戦場でも、言葉の選び方ひとつでも。だから――これからは、私の生涯をもって、君を守りたい」
凪いだ夜気に、言葉が澄んで響く。
エリスティアは一瞬だけ目を伏せ、それからまっすぐに見上げた。
「レオン殿下……いえ、レオン。私は、あなたの背で覚えた熱を忘れません。世界を護る務めと、あなたを想う気持ち――どちらも偽りではありません」
彼女は掌を胸に当て、静かに頭を垂れる。
「……お受けいたします。どうか、共に」
焚き火がぱちりと弾ける。ミナが思わず小声で「わー……!」と漏らし、ジークが咳払いで照れ隠しをする。アマネとリュシアは目を合わせ、同時に笑った。アルトは嬉しさを隠しきれず、しっかり頷いた。
場に温かな波が立つ。その波に乗るように、アルトが立つ。
「……アマネ」
呼ばれて、アマネは「ん」と首を傾げる。
アルトは盾の中央を軽く叩き、言葉を探すみたいに息を吸った。
「僕は、誰かの前に立つために選んだ盾だけど……気がつけば、君の隣に立つのが当たり前になってた。これからも、隣で笑っていてほしい。僕は、その笑顔を守るために、何度でも剣を取る」
アマネは黙ってアルトの手を取り、指先で“これまで”を数えるように一つひとつ握り返した。
「……うん。帰る場所を、これからも一緒に作ろう。私が迷ったら、隣で名前を呼んで。私も、あなたの迷いを照らすから」
「――ああ、約束だ」
二人の手が結ばれる。焚き火の明かりが星の粒みたいに踊った。
「じゃ、次は――」
ミナが手を挙げた。
「設計順でいくと、はい、神官さん!」
「え、えっ、順番?」
カイルが慌てて眼鏡を押し上げる。リュシアは肩を揺らして笑い、杖をそっと足元へ寝かせた。
「カイル」
リュシアが呼ぶ声は、祈りに似て優しい。
「あなたは、私の魔法の“余白”にいつも息をしてくれる。足りない拍、行き過ぎた熱、すべてを静かに整えてくれた。もしよかったら……これからも、ページを一緒に綴ってくれる?」
カイルは目を丸くして、それから噛みしめるように頷いた。
「もちろん。僕は……君の明日に栞を挟む役でいたい。いつでも戻って来られる目印を、君と一緒に置いていきたい」
「それ、素敵」
リュシアは微笑むと、そっと彼の額に指を触れて小さく祝詞を結ぶ。二人の間に、柔らかな光が灯った。
「はい、トリは私たち!」
ミナが高らかに宣言する。
「……って言うと、また目立ちたがりって言われそうだけどさ」
口を尖らせながらも、目は笑っている。ジークは頬を掻き、少しだけ視線を逸らした。
「ジーク。あなたの背中、でっかくて、ずるいくらい安心する。作業台が揺れるくらい豪快に笑って、でも繊細なところは誰より気づく。――ねぇ、これからも、一緒に作って、一緒に壊して、一緒に直していこうよ。街も、未来も、私たちの毎日も」
ジークは照れた笑いを一度こぼし、次の瞬間には、不器用なほど真っ直ぐに頷いた。
「おう。お前が正面から言うから、俺も正面から返す。……ミナ、俺と一緒に来い。どんな現場でも、どんな戦場でも。最後に振り向いたら、お前がいる――そんな人生がいい」
ミナは「了解!」と敬礼してから、笑って彼の胸を拳で軽く小突いた。「はい、今ので契約成立ね!」
笑いが広がる。焚き火の輪の外で、風がひとつ鳴った。
エリスティアがその音に顔を向けると、レオンが隣に立つ。
「……ありがとう、皆。君たちが見守ってくれるなら、私たちはどこへでも行ける」
「当たり前だよ」
アマネが言い、アルトが続ける。
「仲間だ。家族みたいなものだ」
「ふむ、家族ね」
リュシアが小さく笑って肩を寄せ、カイルが頷く。
「じゃ、婚約届の設計は私が――」
「それは文官に任せろ」
ミナの悪戯に、レオンが苦笑し、皆で笑い合う。
笑いが静まると、夜は一段と深く澄んでいた。
星が近い。手を伸ばせば掬えるほどに。
「明日、王都だ」
アルトが呟く。
「報告をして……相談して……次の一歩を、決めよう」
「姫のことも」
エリスティアが囁く。誰もがその言葉の重みを知っていた。
「時と場を選んで、公にしよう。国で、共に守るものとして」
「うん。隠すためじゃなく、護るために選ぶ」
アマネの言葉に、皆が頷く。
レオンが焚き火へ小枝を落とした。乾いた音とともに、炎が一段高く伸びる。
「それじゃあ――最後に私から、もうひとつだけ」
彼は一歩下がり、皆をゆっくりと見渡す。王族としての眼差しではなく、ひとりの青年のまなざしで。
「君たちの誓いを、この目で見た。私は王としてそれを祝福したい。明日、王へも、そして親たちへも正式に申そう。だが――まずは仲間として、今ここで言わせてほしい。おめでとう」
焚き火の向こう側で、星が瞬いた。
やがて各々が寝具を広げ、短い休息の支度に入る。外套は枕元へ、武器は手の届く範囲に。誰もが、互いの気配を確かめられる距離で眠る。
消えかけの火に、アマネがそっと息を吹きかける。
「ねえ、アルト」
「ん?」
「帰ったら――ちゃんと皆に、言おうね。私たちのことも、全部」
アルトは微笑み、彼女の髪へ指を通す。
「ああ。胸を張って、言おう」
少し離れたところで、リュシアが星を指差す。
「見て。あの並び、明日の空路に似ているわ」
「……ほんとだ」
カイルは目を細め、そっと彼女の肩に外套を掛けた。
さらに少し離れて、エリスティアは夜風に衣を揺らし、そっと囁く。
「レオン。……ありがとう」
「こちらこそ。――行こう、明日を迎えに」
ジークが大きくあくびをして、ミナが「はい消灯!」と小声で仕切る。
笑いながら、静けさが戻る。夜は皆の上を、やわらかく渡っていった。
星々は見守っている。
帰還の夜、八つの誓いは、静かに、確かに結ばれた。
そして夜明けは、もうすぐそこだ。
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