双獅・双竜・起動
玉座の間を満たす瘴気が、音もなく“撥ねた”。
四至に打ち込まれた楔――地・水・風・樹の灯が同時に脈打ち、黒の海を細かな層に分解する。床石に走る亀裂は、もはや崩壊ではない。封じの筋だ。吸収と同化に長けた魔王の理を、微細な段差で引っ掛け、遅らせ、散らすための刻み。
「……通る」
ミナが短く告げ、アルキメイアの側面を操作した。白い光弾が弧を描き、空中に“目印”を点灯させていく。位相遅延、そして吸収反転。工房で眠れぬ夜に仕込んだ術式は、今、仲間の呼吸にぴたりと噛み合っていた。
反対側では、ジークが轟斧で黒の触手を叩き斬り、レオンとアルトが水脈と地脈を重ねて城の骨格を支える。アクア・レグルスの蒼が奔り、テラ・ドミヌスの褐が沈む。結界の前縁で、エリスティアの《アウロラ》が点の矢を連打し、瘴気の渦に“空気孔”を穿った。
「風が通りました!」
カイルが祈りとともに頷き、ヴェント・スピリトの息吹を解き放つ。回廊の空気が一度だけ澄み、呑み込まれていた音が戻ってきた――
鼓動。
それは魔王のもの。だが、負けじと強く脈打つ別の鼓動が二つ。
アマネとリュシアの、胸の奥に。
◇
魔王アトラ・ザルクは、言葉を持たない。ただ、理だけがある。奪い、取り込み、均し、静止へ帰す理。四至の楔がその理に“段差”をつくったことで、玉座の間の闇は初めて流れを持った。
「今……!」
ミナの号令に、二つの影が前へ出る。アマネとリュシア――暁衣と宵衣に新たな防具を重ね、刻みの道を踏みしめる。
アマネが刀を半身に寝かせた。ソル・イグニスが背で息をし、オムニアのささやきが足下の石を均す。
「……借りるよ、太陽。
それから――月」
リュシアが一歩、横に並ぶ。ルナ・セレーネの薄銀が髪に宿り、エレメンタリアの多彩が杖の周りに微粒の光を撒いた。
「届いているわ、アマネ。今のあなたに、私の月はちゃんと触れられる」
互いの視線が、半拍だけ重なる。何も合図はいらない。息が揃ったとき――大気そのものの色調が変わった。
◇
起動。
刹那、アマネの背に金の獅子が半身を現す。鬣は流星、牙は暁。踏み下ろした足跡が白く燃え、刀身に揺らめく日輪紋がひときわ明るく脈打った。
対して、リュシアの背に銀の双竜がうねり出す。片方は冷気、片方は灼熱。だが相克は生まれない。光律が二つの極を和し、杖冠に浮かぶ月環が滑らかに回転を始める。
双獅――双竜。
まだ“召喚”ではない。姿の端だけを立ち上げる、前段の共鳴起動。吸収の糸に触れれば呑まれる危険があるため、ミナの示す位相点に合わせ、あえて半身だけを世界へ露出させる。
「アマネ、前は任せて」
「うん――リュシア、後ろ、お願い」
アマネが踏み込み、流星雨が斜めに降る。降り注ぐ光粒の一つひとつが“食われる軌道”をわずかに外れ、刻みの筋へと自動的に逃げていく。ミナの指が銃身上で踊り、ロゴスの光点が次の安全経路を先回りで描き換える。
リュシアは光律聖陣・二層を展開し、無属性の薄膜を前縁に重ねた。竜の尾のような光が背に揺れ、炎氷の粒を“逆相”で混ぜて、黒の海に白い空隙を穿つ。
闇が呻き、玉座が震える。魔王の胸奥から、形のない咢が突き出され、二人に向けて閉じられた。
「――下がらない」
アマネは囁き、星閃一刀を斜めに振り上げる。金の獅子の鬣が刀身に移り、斬線は吸収の曲面を“滑る”。斬らず、止めず、撥ねる――吸収の理を逆用する“獅子の歩法”。
「なら、ここで“伸ばす”」
リュシアは杖を軽く突き、月環の回転数を上げた。双竜の片翼が薄く延び、冷灼の尾がアマネの背に折り返す。金と銀――二つの光の縫い目が、勇者と聖女の背骨の上でひとつになる。
遠隔共鳴・結紋。
楔の灯が強く輝き、レオンとアルトが同時に低く声を落とす。「保つ」――水と大地の柱が天井を支え、カイルが祈りで呼吸の拍を全員に配る。ジークの咆哮が突進してくる瘴気の塊を砕き、エリスティアの矢が闇の眼だけを正確に潰した。
玉座の闇が、初めて退いた。
◇
魔王は沈黙のまま、理を増す。壁面に走る黒の筋が複層化し、摂理の格子が厚みを持つ。吸収の“逆流”が狙いを変え、アマネたちの背後――支える仲間へと回り込もうとした。
「通すかよ!」
ジークが踏み砕き、ミナの防壁弾が砂のように降る。レオンが水脈を湾曲させ、アルトの結界が背面の抜けを塞いだ。
一瞬の均衡。その“薄い静寂”に――アマネとリュシアが、同時に息を吸う。
「双獅、前推――」
「双竜、後援――」
言葉は短く、拍だけが合う。金の獅子が半歩、銀の双竜が半翼。まだ呼ばない。だが、呼ぶ前にしか作れない道がある。
アマネは刃を床面に軽く当てて、星護結界を薄く敷いた。歩幅ぶんの帯が前へ伸びる。リュシアはその帯の縁に癒しの細線を添えて、吸収に触れた瞬間だけ再生が追いかけるよう調律する。
――奪われる前に、奪われたぶんだけ“先に”返す。
吸収の理が、わずかに“迷った”。
その躊躇は、勇者と聖女にとっては永遠に等しい。
「今だ!」
ミナの声と同時、印が灯る。ロゴスが示した安全域の終端――そこが、二人の“起動”の跳び板だった。
◇
アマネは刃を天へ。
「――双獅起動」
金の鬣が噴き上がる。ソル・イグニスの奔流が刃から空へ昇り、同時にオムニアが床石・柱・鎧・息・祈り――この場の一切の在り様を一筆に束ね、獅子の骨格に“世界の線”を通す。
リュシアは杖を低く。
「――双竜起動」
銀の環が開く。ルナ・セレーネの静謐が竜の背を描き、エレメンタリアが炎氷雷水土風を八分の一拍ずつずらして重ねる。相克は和へ、攪拌は律へ――双竜の喉が、白い息を吐いた。
双獅が前へ、双竜が後ろへ。
二つの大座標が、玉座の間の吸収軸を“跨いで”固定する。まるで巨大なハサミが理そのものをはさみ込むように、魔王の中心がわずかに膨れ、動きが止まった。
玉座の闇に、亀裂。
◇
「まだ――終唱じゃない**」
アマネは自分に言い聞かせるように囁き、汗を拭う暇もなく踏み出した。足下の帯はリュシアの癒しで延命し、背の縫い目は二人の呼吸で締まる。
「もう一枚、道を増やす」
リュシアが宣言し、光律聖陣・三層を立ち上げた。三層目は分配――仲間の出力を“一滴も漏らさず”二人の軸へ送り込むための、流路。
レオンの水が冷静を、アルトの大地が不動を。カイルの風が拍を、ジークの炎が勢を。エリスティアの樹が緑の回路を、ミナの知恵が安全係数を。
すべてが、双獅と双竜に集められていく。
魔王の胸奥で、名もなき咢が二度、三度と噛み鳴らされた。瘴気の海が反転し、全吸収の前ぶれ――
「来る!」
ミナの叫びが合図になった。全員が一斉に膝を抜き、負荷を床へ逃がす。結界が“しなり”、城の梁が悲鳴を上げ――それでも、耐えた。
耐えた瞬間、アマネとリュシアの声が重なる。
「――次で、終わらせる」
双獅の鬣が一段濃く、双竜の瞳が一段深く。まだ刃も杖も振り下ろさない。だが、玉座の間の空気はもう“終わり”の拍を待っていた。
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