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四至の楔

瘴気の海が、ふた呼吸ぶんだけ静まった。玉座圏――魔王の間を囲う黒の同心円が、見えない脈動で波紋する。

アマネは刃を半身に添えたまま、視線だけを横へ滑らせる。レオンとアルトが短く頷き合い、ジークが斧柄を握り直す。ミナは唇を結び、掌の上で小さな水晶板を回した。カイルが祈りの言葉を心の奥で区切り、エリスティアは《アウロラ》に指をすべらせる。

――行くわ。

内輪だけに届く柔らかな念話。エリスティアの声は、水面に落ちる露のように静かだ。

(神樹の糸を増やす。結界の“ほつれ”を縫い直す。合図は私から)

アマネが目だけで「任せた」と告げ、リュシアが一瞬だけ彼女と光を重ねて頷く。庵で育てた“呼吸”が、距離を越えてそろう。

レオンが槍を掲げ、足裏で床の“流れ”を読む。蒼い水脈が玉座圏の地下へ細く走り、波の向きと速さが彼の呼吸と同期した。

「――鎖になれ」

槍先で円を描いた瞬間、透明な輪が幾重にも立ち上がる。渦鎖うずくさり――水を鎖に換え、空間の“逃げ道”をひとつずつ潰していく。

間髪入れず、アルトが盾剣を地へ。大地の低い鼓動が呼応し、石柱が音もなく伸びる。地柱ちちゅうは真っ直ぐではない。わずかに傾き、絡み合い、見えない柱廊を組み上げた。

「固定する。兄上、潮目は任せた」

「受けた。――行け、ジーク!」

呼ばれて、ジークが一歩。轟斧ヴァルガルムに炎が走り、刃は槌のように重くなる。

「楔は、ぶち込むもんだろ!」

吼えるや、彼は柱と鎖の“継ぎ目”を狙い、叩き込む。火花のような焔が散り、音が底へ抜ける。重さは“留める力”に変わり、くさびが舞台の四隅へ沈んでいった。

魔王は動かない。黒い長剣の脈動が、ただ静かに深くなる。視線は、観測者のそれ。言葉はないが、確かに“見ている”。

エリスティアは一歩下がり、弦のない弓を引いた。見えない弦に触れた指先から、細い光糸がほとばしる。神樹の糸――森羅をつなぐ繊毛のような線が、空中に薄い刺繍を描いてゆく。

(縫うわ。穴は三つ――北東、南、そして中央の下層)

念話に、ミナが短く「了解」。ロゴスの気配が肩越しに寄り添い、彼女は銃口をそっと下げた。撃つのではない。置くのだ。見えない縫い目の上に、見えない“目印”を。

細やかな魔力弾が、音もなく落ちる。触れた瞬間に形を保たず、ただ“そこにあった”ことだけを残す微粒の印。

「……今」

ミナのひと言が落ちた拍で、レオンの渦鎖が締まる。アルトの地柱がさらに一段、芯を太くする。ジークの一撃が、底の底へ届く。

三つの抑えが、無言で嚙み合った。

魔王の領域が、わずかに鳴った。黒の同心円に皺が寄り、弾性が生まれる。アマネは息を詰め、刃の角度を一分だけ変える。リュシアは杖先で半拍の刻みを加え、カイルがその“半拍遅れ”に祈りを載せた。

「――迷うな。目の前だけ」

カイルの声は低い。風が袖を揺らし、氷が足場を滑らかに均す。痛みと恐怖と昂ぶり――人の心の“増えすぎたもの”を半歩だけ脇へ置き、呼吸を一本に戻す祈り。

「助かる」

アマネの肩がほんの少し軽くなる。リュシアの視界に、ひと筋の道が延びる。エリスティアの糸がぶれずに刺さり、ミナの微粒が正確に沈む。

「ほう」

低い音。魔王が、初めて感情の“温度”を滲ませた。

圏の空気が、急に固くなる。黒い長剣がわずかに傾き、縁に沿って“吸引”の起伏が走った。吸う。奪う。その本性が、輪郭を帯びる。

だが、三重の抑えが先に立つ。

レオンの渦鎖は“流れ”を内へ引き込み、外からの流入を鈍らせる。アルトの地柱は“揺れ”を殺し、座標を固定する。ジークの楔は“逃げ道”を封じ、力の行き場を限定する。

縫い目の上で、エリスティアの指先が止まる。最後の一針――中央下層のほころびへ、きわめて細い糸を渡す。

(いま)

ミナが頷き、小さく息を吸った。銃口から零れた光が、糸の上でほどけ、微細な幾何に分解されて“見えない蓋”になった。

「……閉じた」

彼女の囁きと同時に、圏の空気の“吸い”が半歩だけ鈍る。完全ではない。けれど、確かに“遅く”なった。

アマネが刃先で合図し、リュシアが目だけで応じる。遠くで二人の気配がふっと重なり、金の獅子と銀の竜の影が、一瞬だけ床に滲んだ。

「まだだよ」

アマネは自身へ言うように小さく笑う。終唱の扉は、いま開けない。これは“準備”。決めるのは、もう一拍、先。

魔王の視線が、レオンへ、アルトへ、そしてエリスティアへ移った。黒い長剣の縁が淡く光り、脈動が一段深くなる。

「見ているわね」

エリスティアは弦を引き、一本の矢を高く掲げる。矢羽はない。代わりに、神樹の糸が尾を引いて揺れた。

(姫としての役目――ここで果たす。誰にも知られず、ここだけで)

内輪念話。彼女の頬に、凛とした気配が灯る。

「レオン殿下、潮を保って」

「任せろ」

「アルト殿下、柱をもう半手、内へ」

「了解」

「ジーク、あと一槌。……お願い」

「ああ、任せとけ!」

三人の息が重なる拍に、エリスティアは矢を放った。矢は空を裂かず、静かに“ほどけて”糸に戻り、縫い目そのものを強くする。

その瞬間、ミナが視線だけで全員を撫で、ぽつりと告げた。

「――今」

言葉はそれだけ。だが、それで充分だった。ジークの斧が、レオンの潮の“凪”へ落ち、アルトの柱が受け、カイルの祈りが衝撃の刃を摘む。アマネの刃が空の皺を縫い、リュシアの杖先が“空白の半拍”を拡げる。

黒の同心円が、初めてわずかに“ひび”を飲み込めず、表面で痙攣した。

魔王が、初めて足を半歩、動かした。長剣が低く唸り、圏全体の温度がひとしずく、落ちる。

「来る」

アマネが言い、レオンが頷く。アルトが盾を掲げ、カイルが祈りを重ねた。ジークは肩を回し、斧を肩に担ぐ。ミナは銃身を胸に預け、ロゴスと短く視線を交わす。エリスティアは弦に指を沿えたまま、目を閉じる。

(抑えは効いてる。長くは持たない。――でも、その“長くは”が今は十分)

リュシアが半拍、呼吸をゆるめた。

「前奏は整ったわ。アマネ」

「うん。――ここから、獅子の道」

二人の声は遠く、しかし固く。玉座圏の中心で、八人の呼吸がひとつの円環になった。

三重の楔は煌めき、舞台は固定された。吸い上げる“窓”は狭まり、魔王は初めて、わずかに姿勢を変える。

静寂が、短く訪れる。


お読みいただきありがとうございます。いけるところまで連続投稿!(不定期ですが毎日目標)。

面白かったらブクマ&感想で応援いただけると嬉しいです。


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