王家双柱—水脈と地脈
玉座圏の空気は、薄い硝子のように張り詰めていた。
黒の王――アトラ・ザルクは長剣を膝に横たえ、言葉少なくこちらを測っている。沈黙のうちに、重力の向きがひそやかに揺れ、闇の粒子が潮のように満ち引きした。
「――始める」
レオンが一歩、前へ出る。槍を立てた瞬間、足下の石が“湿る”気配を帯びた。見えない水脈が縫い上がり、床の亀裂は細い川筋に変わる。
「流れを読む。……右、早い」
「受けるよ」
アルトが盾剣《黎剣セラフィード》を半身に傾け、地の響きで“揺れ”を殺す。彼の足裏から低い拍動がひろがり、水脈の蛇行が鎮まっていく。
二人の動きは、いつの間にか呼吸で合っていた。
レオンの槍先が円を描けば、そこに渦が生まれ、敵影の進路が僅かに逸れる。
アルトの刃が床を擦れば、土塊の柱が立ち上がり、逸れた力を受け止める。
――水が道を描き、土が道を固定する。王家の双柱が、「戦える舞台」を刻んでいく。
◇
「半歩、遅らせて」
カイルが短く告げる。祈聖書に指先を滑らせ、息を一拍だけ“溜める”。祈りが急がない。それだけで、全員の肩にまとわりつく硬さがふっと抜けた。
「……うん、楽になる」ミナが頷き、銃の側面に指を添える。銃口はまだ上げない。彼女は足場の影に“薄い印”を置いていく――色も音もない、けれど踏めば分かる合図。
「前、開ける!」
轟音。ジークの大斧が火を噴き、歯欠けの壁に隠れていた眷属をまとめて弾き飛ばす。炎は長く伸びず、前衛の穴を埋める幅だけに留まる。
「助かる!」アルトがその隙に柱をもう一本――地が鳴り、舞台の枠がさらに曖昧さを失う。
アトラ・ザルクはなおも座したまま、長剣の柄に指を置いた。
闇がわずかに呼吸し、玉座圏がきり、と鳴る。
◇
「合わせる」
レオンが槍を返す。刃が床を撫で、立ち上がった水の螺旋が、アルトの盾に絡みついた。
「反転、今」
アルトが頷き、盾の面を返す。水は盾の刻紋を伝って扇状に広がり、砂塵のような瘴気をまとめて“洗う”。
槍と盾剣――異なる武が、ひとつの楽器みたいに響き合った。
「いい連携です」
エリスティアの声が短く落ちる。弓を引く所作で空をはじくと、見えない糸が裂け目の縁へ縫い込まれた。玉座圏のほころびが、すうっと細くなる。
ミナがその糸の上に、そっと印を一つ。
「……これで迷わない」
黒い王の面が、ほんの僅かにこちらを向く。
視線に体温はない。ただ、興味だけがある。
◇
その時だった。
音も光も伴わない“圧”が、世界の底からせり上がった。床の紋様が一瞬だけ融け、壁が遠ざかり、空が近づく。
「来る――!」
レオンが槍を強く握り、アルトが盾の角度を斜め下に切り替える。
領域波。
空間そのものを薄く延ばしては縮める、目に見えない踏みつけ。
遅れて、鼓膜の内側で鈍い潮騒が沸いた。
「下げない!」
アルトが叫ぶ。地の柱が連続してせり上がり、波の“落ち”を受ける杭になる。
「流す!」
レオンが水螺旋で柱の間を繋ぐ。押された圧を、等高線に沿って脇へ滑らせる。
前衛が踏み堪える間、カイルは手を止めなかった。
「息はここ――吸って、いま吐く」
半拍だけ遅らせた祈りが胸郭を撫で、折れそうな膝にだけ確かな力を配る。
ジークは獣のように笑い、斧で波の“継ぎ目”を叩き割った。
ミナの指が軽く跳ね、床の印がひとつ光る。
「……見える」
アトラ・ザルクの長剣が、微かに脈打った。
闇が一層濃くなる。だが、飲み込まれはしない。
――流れは読める。揺れは殺せる。息は合っている。
◇
「ここだ!」
レオンが潮目を指差すように槍を突き出し、床から立ち上がった水柱を細く絞った。
「受けた――反転!」
アルトが戦域の内外を入れ替える。盾の裏側に刻まれた導路が淡く光り、水柱は一瞬で“固い柱”に変わった。
水と土が重なり、一本の支柱となる。領域波の再圧が襲うが、支柱は軋みはすれど折れない。
「いまのうちに」
エリスティアが糸を二本、さらに継ぎ足す。
ミナは銃口をわずかに上げ、短く告げた。「次、右三歩」
ジークが炎で右三歩を空にし、カイルの氷が床を冷やして滑りを消す。
視界の端で、アマネの暁衣が淡く揺れ、リュシアのルミナリアが静かに輝く。二人はまだ“切り札”を抜かない。抜かずとも、ここを支える光になっていた。
◇
闇が、ふと笑ったように見えた。
アトラ・ザルクの首が細く傾ぎ、玉座の脚がほんの少し、床から浮く。
次の脈動は、いままでより深い。
目に見えない“重さ”が、胸の内側を押し込んでくる。
「耐えるんだ!」
アルトが声を張る。
「流せ!」
レオンが水を走らせる。
「半歩、遅らせて」
カイルの息が揃える。
「前を開ける!」
ジークの斧が道を穿つ。
「ここ、縫います」
エリスティアの糸が裂け目を塞ぐ。
「――ズレなし」
ミナの合図が、全員の視線を一点に束ねた。
闇の一押しを、八人がそれぞれの形で受けて、流し、帳消しにする。
玉座圏の床は砕け散りそうで、しかし砕けない。
王家の双柱が、「場」を保ち続けているからだ。
アトラ・ザルクの口が、初めてわずかに開いた。
「……見せる」
長剣が斜めに起ち、闇の文様が刃に落ちる。
領域の深度がひと段上がる――そう告げる、無言の合図。
レオンは槍を構え直し、アルトは盾剣を少し下ろして膝を緩める。
「もう一段、下で受ける」
「うん。――いける」
二人の声は短く、確かだった。
水脈がまた、静かに位置を変える。地脈がそれを受け、揺れを飲み込む。
王家の双柱は、さらに深く噛み合う。
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