玉座、開戦
瘴気に沈む王城・玉座の間は、もはや闇そのものだった。壁画は煤に埋もれ、天蓋は黒い膜に覆われて星を拒む。足を踏み入れた瞬間、喉の奥に冷たい砂が流れ込むような圧が全員の肺を縛った。
最奥、階段上――長剣を地に突き刺し、無言でこちらを見下ろす影。
魔王アトラ・ザルク。
言葉はない。あるのは、脈打つ黒の鼓動。ひとつ鳴るたびに、床の文様が歪み、城全体が静かに軋んだ。
「ここで終わらせる」
レオンが一歩進み、蒼の槍を掲げる。槍の刃縁に水の紋が走り、背にアクア・レグルスの尾光が揺れる。
「戦域、展開――」
アルトが盾を突き出すと、光の六角格子が床へ走った。セラ・ガーディアンの守護が重なり、足場が確かな“舞台”へと変わる。
アマネとリュシアは左右に散る。互いの視線が触れ、短く頷く――太陽と月、暁衣と宵衣が同時に揺れた。
ミナは後列中央で《アルキメイア》を素早く点検し、腕輪型端末をひと撫で。「解析網、起動。瘴気の流向可視化、同期するよ!」薄い環状の魔法陣が味方の足元に浮かび、色の流れで“安全な呼吸線”が示される。
「治癒と風障壁、交互に載せる」
カイルが杖と書を開き、ヴェント・スピリトの符を空へ切る。澄んだ風が肺を洗い、続いてヴァルディア・フェンリル由来の冷気が瘴気の熱を奪った。
エリスティアは弓を引き絞り、静かに息を吐く。指先にシルヴァ・ユグドの葉脈が滲み、見えない根が床下に張って仲間の立脚点を強める。
「前、取る」
ジークが一歩で距離を詰め、轟斧ヴァルガルムに炎を走らせる。イグ・ヴァナルの猛火が鳴り、闇に赤の裂け目が穿たれた。
――その瞬間、玉座の影が『見た』。
長剣が微かに角度を変える。振り下ろされたわけではない。だが、空気の層が丸ごと押し潰され、先頭のジークが足裏で石を鳴らす。
「重っ……だが、燃やす!」
甲高い火花。斧の回転が重圧を拮抗させ、火柱が闇の膜に穴を空ける。だが穴はすぐ塞がった。瘴気が、まるで“意志”を持って吸い寄るように形を復元する。
「吸ってる……!」
ミナの虹彩に走る演算径。「攻撃の『型』ごと吸収して再配置……吸われ過ぎると、向こうの“型データ”が肥える!」
「なら、同じ拍子は踏まない」
リュシアが杖を立てる。光律聖陣の重ね書き――二重三重の“半拍ずらし”が床に編まれ、炎氷の交差が静かに生まれる。白い閃きが瘴気の縁だけを断ち、吸収の“口”を狭めていく。
アマネは前へ出た。刃を低く据え、肩と腰を一本に束ねる。
「流星斬」
星の尾が地を走り、斜めに刻んだ光路が瘴気の膜を横一文字に裂く。続けて星護結界を床に打ち、味方の侵攻路だけを硬くする。
玉座の影が、ようやく低く鳴った。声ではない。心臓を直接撫でるような振動――“承認”。
(動く)
「来るぞ!」
レオンが槍を捻り、円形の水障壁を前面に展開。アクア・レグルスが低く唸り、叩きつける奔流を薄膜で受け流す。アルトの六角格子がその下から衝撃を散らし、テラ・ドミヌスの重みが土台を沈めない。
黒の圧が前面を押し潰す。同時に、天井近くに四つの“虚孔”が開いた。そこから垂れた黒糸が、床の文様を探るように蠢く。
「分散して封じる!」
エリスティアの矢が四射。矢身は光に融け、床下の“根”として絡み付く。神樹の紋が虚孔の周囲を締め上げ、黒糸の動きが鈍った。
「今!」
ミナが短く叫び、回復弾と衝衝弾を交互に撃ち込む。味方に触れた弾は活力を満たし、闇に触れた弾は“拍子”を乱して吸収の舌を噛ませる。
魔王はなお動かない。だが“世界”が動いている。圧の拍が一つずつ速くなり、闇がこちらの手数を覚え始めているのが分かる。
(覚えられる前に、形を変える)
「アルト、フィールド制御を斜め上に。カイル、風の流路を重ねて」
アマネの一声で陣が揺れる。アルトが戦域の傾斜を微妙に変え、カイルの風が肺と筋肉のリズムを整える。
「レオン殿下、右から回ります」
「任せろ。左の圧は私が受ける」
ジークの炎が左壁を舐め、レオンの水が炎の熱波を軟らげ、蒸気が白い幕となって視界を一瞬だけ遮る。
――その白に、黒い刃が現れた。
空間から抜かれた“無音の斬撃”。アマネは本能だけで肩を落とし、星閃の払で“線”の角を殺す。頬を掠める冷気。刹那ののち、白幕は裂け、黒の残滓だけが床に落ちて消えた。
「……試してきてる」
「こちらの“型”を、ね」
リュシアが杖先で空をなぞり、聖陣の一層を畳んで別の位相に差し替える。エリスティアの根が追随して足場を補正。味方の呼吸線は守られている――今のところは。
魔王の長剣が、わずかに持ち上がる。
「ッ!」
次の瞬間、玉座の間全体が“沈んだ”。
床の六角格子が波打ち、重力の向きが一瞬だけ斜めへ傾く。転びかけた兵は誰もいない――アルトの制御が先に傾きを“借りていた”からだ。
「いいぞ、保て!」
レオンの声。槍の穂から噴き上がる水柱が天井の虚孔に突き上がり、いくつかを圧力で潰す。ミナの封印弾が追い、ジークの焔が溶接のように孔縁を焼き固める。
アマネは最前に出た。刀を胸元で返し、静かに呼気を整える。背でソル・イグニスが熱を、オムニアが森羅の囁きを積む。
(ここで――合図)
「リュシア!」
「ええ」
二人の声が重なり、光が一瞬だけ“朝”の色を帯びた。黎明翔光――本式ではない。だが、拍の合わせだけで闇の膜が薄くなる。
「今のは浅い共鳴……本式は、決める時に」
リュシアが息短く告げる。アマネは頷き、一歩進んだ。
魔王の眼窩に“光”はない。だが、確かに此方を見ている。
(来い――ここで、受ける)
長剣が、ほんの少しだけ横に滑った。
音はなかった。次いで世界がひとつ、欠けた。
◇
視界の端で、天蓋の黒膜が“裂けて”また繋がる。欠けた分だけ、瘴気の圧が濃くなる。
ミナが歯噛みした。「空間ごと切り取って、圧を増やしてきてる……! 型の収集じゃない、“空間の素材”を増やしてる感じ!」
「なら、こちらも素材を増やすのみ」
エリスティアが静かに目を閉じた。シルヴァ・ユグドの葉脈が床全面に走り、目に見えない“年輪”が玉座の間へ刻まれていく。根が増えるたび、味方の立脚は強く、闇の滑りは鈍る。
「押し返す!」
ジークの一喝。焔が獣の喉のように唸り、ヴァルガルムが床を割って火の尾を引く。カイルの加護が火傷を封じ、レオンの水が爆ぜる寸前の熱を奪って威力だけを残す。
前後左右――拍子が合ってきた。
アマネは刀を立て、額に指先の汗を感じた。恐怖はある。だが、前に出る足は軽い。
(帰る。必ず、みんなで)
「星閃一刀――ッ!」
光が走る。黒がきしむ。玉座の影が初めて“半歩”退いた。
その退き際、階段脇の闇に八つの灯がぽつ、と灯る。影の蕾。四つは既に萎れ、四つが今、開こうとしていた。
「……見える?」
アマネの問いに、リュシアが頷く。「ええ。八影図――残り四つが、起動を始めた」
レオンが後ろを見ずに言った。「ここで食い止める。殿下ではなく――レオンとして誓う」
アルトが盾を前に。「任せて。戦域、さらに狭める。ここを“決戦場”にする」
ミナが頬を叩いた。「よし、全員――第二パターンへ移行!」
光が、音が、拍子が、ひとつに束ね直される。
魔王はなお言葉を発さない。だが、確かに“興”を覚えた気配が、闇の底に揺れた。
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