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双竜、頁を焚く

瘴気の城の奥底に、遠い鐘のような響きが三度、小さく連なった。

――同時。

城下の三線で仕掛けられた“刻合わせ”が、寸分違わず決まったのだ。

黒い残滓は、吸い上げられる直前で“遅れ”、細く痙攣してほどけてゆく。神樹の姫が編んだ結界線、ミナの遅延術、アルトの戦域のふち――幾重もの手で“黒糸”は裂かれ、魔王への流入は今だけは細い。

(――今が、最大の好機)

アマネは息を詰め、足を半歩だけ送った。目の前、剣帝ヴォルク・エクシスの黒紋が、無機質に点滅している。

「終いに――」

「――しないよ」

言葉が重なる。刃はまだ交わらない。二人の間にあるのは、わずかな拍の揺れだけだ。

(リュシア)

見えないところにある、もうひとつの決戦へ意識を投げる。返るのは、きっぱりと澄んだ気配。

――任せて。そっちを終わらせる。

黒い書架が、空間の縁から縁へと円環を描いていた。頁は風もないのにめくれ、白と黒とが幾度も裏返る。

術帝サレ・アナテマは、黒書コデックスを片手に微笑している。

「終楽章を知らない楽士の、なんと勇ましいこと」

「――じゃあ、教えてあげる。貴方の楽譜にない音で」

リュシアは継杖ルミナリアを立て、すう、と吐息を整える。衣に編み込まれた“宵衣”の糸が微かに震え、胸の奥の月が満ちていく。足元に敷いた光律聖陣は二重、三重に薄く重ね、触れれば散るほど繊細な“楔”を浮かべた。

――反転の拍は、一つじゃない。

――頁が返る、半拍前と四分の一拍前、そのさらに“迷い”の瞬間。

「星炎氷閃」

呼吸とともに、炎と氷の光条が水平に走る。真向からぶつけず、半拍ずらして重ねる。二つは殺し合わず、干渉の“静けさ”だけを残した。そこへ杖先で“刻み”を落とす。

ぱしん、と乾いた音が、禁域の表皮に皹を入れた。

サレの微笑は崩れない。だが、黒書の頁が一枚、鈍く鳴る。

「……正面から来ない、と言ったね。ならばこちらも」

指が二度、弾かれた。白が黒に、黑が白に。反転の位相がずらされ、リュシアの“楔”を避けてくる。

(読まれている――けど、追いつける)

彼女は視線を落とした。最初に習った祈りの形、アマネと並んで研いだ“合わせ”の感覚。

――遠く離れていても、拍は合わせられる。

(太陽の気配、今は届かない。それでも“道”は重ねられる)

「光律聖陣、第三層」

足元の幾何が深く沈み、胸郭の奥にあった“音”が輪郭を持った。杖が軽くなる。身体の振動が杖へ、杖の震えが空間へと伝播していく。

「――ルナ・セレーネ、見ていて。エレメンタリア、手を貸して」

月の精霊と、全属性の統合を象る精霊。二つの気配が、ひどく穏やかに揺れた。

サレの黒書がぱたりと閉じる。笑みの角度だけがわずかに変わった。

「では、君の“合奏”を聴こう」

アマネは、ヴォルクの足首のわずかな角度の変化を見た。

(右)

黒紋が点滅し、断界の線が“檻”ではなく“弧”へと変わる。輪の内側で全てを削ぎ落とし、最後の一点を刺し貫く型――王手チェックメイト

(来る)

刃を下段に沈め、呼吸をひとつ。

「星護結界」

薄く編んだ守りを、あえて正面に置く。破らせる。弾ける拍に、流星斬の尾を重ねる。細い尾がいくつも、王手の軌道へ噛みつき、速度をわずかに削ぐ。

「――甘い」

静謐な声とともに、ヴォルクの刃が“音”の芯を突いた。世界が縦に割られる。

(割らせない。私は“ひとつ”で切る)

アマネは体の隅々を一本の線に束ねていく。恐怖も、帰りたい気持ちも、愛おしさも――全部、刃の背に載せる。

「星閃一刀!」

弧が弧を縫い、裂け目の縁を“縛る”。金と銀のふたつの弧が、背へ薄く浮かび、獅子の横顔の影を作った。

ヴォルクの視線が、紙一枚ぶん沈む。

「見せてみろ。君の“終い”を」

(まだだよ。そっちは、彼女が先に行く)

アマネは、遠くの“拍”に耳を澄ました。

サレの禁域が、渦のように濃くなった。

禁域葬送タブー・レクイエム

黒書の頁が無数に開き、白と黒の雨が降る。属性は混ざり、回転は反転し、座標は溶ける。立っているだけで心の輪郭が剥がされていくような圧。

(ここで、切り替える)

リュシアは杖を軽く掲げた。

「――黎明翔光」

その名を口にすると、遠い太陽の記憶が、胸の奥でやわらかく灯る。二人で重ねたあの光――“ひとりでも、遠隔で届く”合唱。

「双竜終唱」

杖先から、金と銀の細い粒が舞い上がった。一粒ずつが小さな“音”。金はあたたかく、銀は澄んで冷たい。二つは瞬く間に数を増やし、尾を引いて空へ昇っていく。

(焦らない、焦らない)

炎と氷、風と雷、水と土――全属性の“旋律”を、半拍ずらして重ね合わせる。直接ぶつけない。干渉項だけを残し、静けさを膨らませる。

「……そこにあるのは、無音」

サレの声が低くなった。黒書の頁が戦慄く。

「音のない音で、譜面を焚くの」

一瞬、沈黙。

次の瞬間――

天井のない天が、裂けた。

金の竜と、銀の竜。

一本の月光から“胚”のように生まれ、金は右へ、銀は左へ。互いを包むように螺旋を描いて昇る。ひと巻き、ふた巻き――三巻き目で、ふいに二体は“入れ替わる”。金が冷を、銀が熱を纏い、反転の位相に“楔”を打ち込んだ。

「行きなさい」

リュシアが囁くと、双竜は頁の雨を“食む”ように駆けた。黒書の禁域は反転の位相で支えられている。その位相の継ぎ目――たった一瞬生まれる“無音”の谷間へ、竜の牙が沈む。

ぱきん、と硬い音。

見えない壁が、目に見えないまま“割れた”。

サレの笑みが薄れる。黒書の頁がばらばらに舞い、指が一瞬、中空を探った。

「……なるほど」

それは、ほんの少しの感嘆だった。

「終いです」

リュシアは杖を大きく振り下ろした。双竜が重なり、巨大なひとつの輪となる。輪は光の槍に変わり、禁域の核へ突き刺さった。

「黎明翔光――双竜終唱!」

黒書が爆ぜた。頁が灰になり、術帝の肩口を白い閃光が裂く。サレの体が半歩、沈む。

「まだ、終楽章が――」

「書き換えたわ」

彼女は静かに告げ、杖先で最後の“留めの刻み”を落とした。

光が引く。

残ったのは、崩れ落ちる黒い粒――吸収へ向かう“残滓”。

だが、今は遅い。エリスティアの結界線の端が、ここまで伸びている。残滓は結界に触れ、質量を落として“薄い影”になり、流れを鈍らせる。

(あと少しだけ、稼げる)

「……ありがとう、皆」

息を吐き、リュシアは目を閉じた。ほんの、ほんの一瞬だけ。

そして――彼女は顔を上げる。

(アマネ、次は、あなたの番)

回廊。

ヴォルクの黒紋が明滅し、質量のない風が、質量のある刃のように頬を掠めた。

「終わりにしよう、勇者」

「うん。終わらせに、来た」

継星刀アストレイドを、両手で握る。

背に薄く、金と銀の弧。

太陽の精霊ソル・イグニスが、熱を背骨へ縫い付ける。

森羅万象の精霊オムニアが、足裏へ道を示す。

――届いている。

遠いところから、月の拍が、確かに重なっている。

「黎明翔光――」

アマネは、刃を胸元の高さで止める。

「双獅――」

息が、ひとつ。

心が、ひとつ。

刃と体と願いが、ひとつ。

「――終唱!」

金の獅子と、銀の獅子。

片や咆哮で空間を押し、片や息吹で線の連鎖を“鈍らせる”。ふたつは互いの尾をくわえ、円環になって駆けた。断界の輪に、獅子の輪。円と円がぶつかり、重なり、ひとつがもうひとつを“食む”。

ヴォルクの刃が鳴る。

黒紋が、明滅を止めた。

「――良い」

剣帝の目に、初めて温度が宿る。

「それが、君の終いか」

「ううん。これは“始まり”」

アマネは踏み込む。

獅子が吠え、星が閃く。

二つの輪が重なる一点――王手の貫入点へ、継星刀が差し込まれた。

光が、回廊を満たす。

(アルト。みんな。――見てて)

――一閃。

薄まりながらも、黒い残滓が天井のない天へ昇ろうとする。

だが、その流れにはまだ鈍い“重り”が噛んでいた。

同時討伐で裂かれた経路、遅延と結界で“減衰”した吸収。

――今のうちに、決め切る。

光が消える頃、回廊には二つの影が向き合っていた。

片方は、刃を下げた少女。

もう片方は――

剣帝の影が、静かに揺らぐ。

(終いまで、あと半歩)

アマネは呼吸を整え、刃を握り直した。

その横顔に、迷いはない。


お読みいただきありがとうございます。いけるところまで連続投稿!(不定期ですが毎日目標)。

面白かったらブクマ&感想で応援いただけると嬉しいです。


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