三隊、刻を揃える
氷と炎と瘴気が渦巻く城下の内郭。瓦礫と亀裂のあいだを、黒糸のような気配がときおり走った――使徒が斃れたとき、魔王へ流れ込む“吸収”の征兆。
「……見えた。流れてる」
ミナが《アルキメイア》の側面に触れ、銃身の水晶窓へ薄い陣形図を浮かべた。ロゴスの淡い声が内耳に響く。
〈観測:吸収線、目標方向は玉座下。最低30カウントで到達〉
「じゃ、こっちで30カウント伸ばす」
彼女は腰のカートリッジから極小の符片を抜き取り、空に散らす。符は連なって六角格子を描き、見えない“遅延膜”を結んだ。
「合図は霧笛。レオン殿下の潮を二度――その五拍後」
「了解。根で支える」
エリスティアが頷き、指を胸に添える。シルヴァ・ユグドの気配が、風とともに木霊した。
◇
1|焔の輪舞、鎖す
煉獄輪舞――炎の輪が幾重にも重なり、路地を炎の渦に変えていた。焔の使徒アドラ・ヴェルマの鎧殻が軋むたび、炎は甲殻から芽吹くように湧き上がる。
「燃え尽きろ!」
「やだっ!」
ミナの足元に炎蛇が噛みつく寸前、轟斧が地面を叩いた。ジークの一撃が路面に断層を走らせ、炎の流れを割る。
「道は開けた、ミナ!」
「任せて!」
ミナは跳ねて路地の壁に掌を押し当て、符片を連射する。壁・地面・瓦礫へ、淡い紋が次々と“縫い付け”られた。ロゴスが即座に繋ぐ。
〈遅延膜、第一層展開。散布角良好〉
「さらに――鎖鎌、展開っ!」
銃口が短く変形し、射出されたワイヤーが炎輪の縁に絡みつく。ワイヤーの節々が白く点滅し、炎を“鈍く”変質させた。
「ちょこまかと!」
アドラが踏み込む。甲殻の縫い目から新たな火柱が噴き上がり、ジークを呑みこまんと迫る。ジークは臆せず前へ出た。
「臆すかよ!」
炎を逆巻かせ、自身の斧に“炎纏い”を重ねる。炎と炎が噛み合い、火花は白く音を失った。衝突の中心で、ミナの声が跳ねる。
「右脚関節、二番膜――今!」
ジークの斧が一寸だけ角度を変え、甲殻の目地を叩き割る。アドラの姿勢が崩れ、炎輪が一瞬ほどけた。
「決めるか!」
「……まだ」
ミナは首を振る。視界の端で、黒糸がちらりと揺れた。今、斃せば流れる。 彼女は銃をたたんで左手を突き出す。
「遅延、第二層――リボン留め」
薄桃の糸が空に結ばれ、見えない“取っ手”が生まれる。アドラの炎がそこへ引っかかり、渦の回転がわずかに遅くなる。
「焦らすの、うめぇな」
「うん。最悪の瞬間に最高の一撃、だよ」
ジークが笑い、斧を肩に担いだ。ふたりの息が揃う。
◇
2|凍土、潮と根で割る
外郭北面――氷の使徒グレイシャ・モルドが息を吐くたび、空気は白く硬質になった。広域鈍化の気配が兵の動きを鈍らせる。
「下がれ! ここは俺たちが押さえる!」
レオンの声が響き、左手の槍が静かに回る。アクア・レグルスの紋が水面のように彼の周囲に広がった。
「――潮を上げる」
地中から水音が生まれる。凍土の下、眠っていた水脈が呼ばれ、薄い膜となって地表へ息を吹き返す。氷の膜は水に浮く――その一瞬の浮力を、エリスティアは逃さない。
「根、走れ」
彼女の矢が地へ落ちる前に、根が芽吹いた。凍てた地を縫うように走った根は、水脈の道筋に絡み、氷板を下から押し上げて割る。
「チッ……!」
亀裂から冷気が噴き、氷の柱が樹のように突き上がる。グレイシャの棺詩が周辺一帯を閉ざそうとした。
「殿下、右斜め上!」
「見えている」
レオンは槍を逆手に持ち替え、一息で三突きを放つ。水紋が空中に残り、柱の成長を“濡らして”鈍らせた。そこへエリスティアの矢が通る。矢は風を纏い、氷の接合部だけを正確に砕いた。
「……ここで、結界を」
エリスティアが深く息を吸い、ゆっくりと吐く。指先から薄緑の光が輪となって地に降り、神樹結界が展開された。結界内、黒糸の“流れ”が目に見えて痩せる。
レオンが横目で頷いた。「よくやった。そのまま維持を」
「はい」
グレイシャが咆哮し、冷気が濃度を増す。レオンは槍を構え直し、足を一歩前へ送る。
「ここは割り切る。倒し切る一手は、後だ」
「……ええ。合わせます」
ふたりの視線が重なる。薄い霧が合図の練習のように、二度、短く鳴った。
◇
3|獣の吼えを枷る
内郭の広場――獣の使徒ガルド・バロスが地を抉って突進した。角の先で石畳が砕け、土煙が遮二無二に舞い上がる。
「右前脚、くるぞ!」
アルトが叫び、黎剣の盾面を地に突き立てた。同時に戦域展開――目に見えぬ壁と路が整い、味方の退避線が“自然に”開く。
「助かる!」
兵が抜ける隙間へ、風が走った。カイルの祈りが軽く響き、ヴェント・スピリトの加護が味方の足を速める。続けて杖の一閃、ヴァルディア・フェンリルの冷気が獣の足首へ薄い氷鎖を噛ませた。
「ぐおおおっ!」
巨体が揺らぐ。アルトは機を逃さず踏み込む。盾を押し上げると見せて、剣側の縁で関節の“遊び”を断つ――共鳴刃が一瞬だけ伸び、獣のバランスを奪った。
「今のは効いた!」
「でも、まだだ。カイル、治癒線の維持を!」
「任せて!」
風の紋が地面に浮かび、負傷者へ道が“導かれる”。その上を運ばれた兵へ回復の光が降った。カイルは汗を拭い、短く息を継ぐ。
「……アルト、最後の一撃は合わせたい。吸収を遅らせる結節点、僕の印で作っておく」
「了解。俺の戦域に織り込む」
二人の呼吸が揃う。ガルドが再び咆哮を上げ、群れへの号令を飛ばすが、戦域の“壁”が雑兵の侵入角を鈍らせた。
「来い。ここは通さない」
アルトは静かに、しかし揺るぎなく言った。
◇
4|影、忍び寄る
――薄い、耳鳴りのような気配。
「……来る」
エリスティアが弦ない弓を上げ、目を細める。空間の“厚み”がわずかに変わり、影の回廊が街路の裏へ滲み出した。
「ノクス・ヴェールだ。殿下」
「潮で縁を濡らす。可視化する」
レオンが槍を突き、地表に水紋を広げる。亀裂の隙間――影の廊が輪郭を獲る。そこへエリスティアの矢が一本、二本。影は揺れ、回廊の出口が別方角へ“逸ら”された。
「……今は追わない。氷を落とすのが先」
「了解」
影は、待つ。こちらも、待つ。
◇
5|合図の稽古
伝声具に、ミナの声が入る。
『――こちら、ミナ。遅延は二層まで成立。あと一層、行ける』
『レオン、こちらも結界安定。吸収効率は半減できている』
『アルト、こっちは目印の“結び”を敷いた。合図次第で一斉に行ける』
短い報告が重なり、静かな間が流れた。誰もが理解している――“決める”のは一度きりだ。タイミングを誤れば、魔王はふたたび膨れ上がる。
「……よし」
ミナが小さく息を吸う。
「霧笛二度、五拍――本番の前に、試しで一度。レオン殿下、お願いします」
「承知」
レオンが霧を浅く鳴らす。二度。五拍。各隊が模擬の“決め”の動作だけをなぞり、寸でのところで止めた。
『……行ける』
ミナの声に、三隊の呼吸がほんの少し軽くなる。
◇
6|遠い二人の気配
北の空の向こう。誰にも見えない場所で、星と月の気配が高く澄んだ。刃が鳴り、書が軋み、互いの“王手”が重なり合う。
アルトは一度だけ、眉を上げた。彼には見えないが、確かに伝わる。
「……待ってる。タイミング、合わせる」
カイルが頷く。「僕たちの役目は、迷わせないことだ」
ジークは斧を握り直し、ミナは銃身の温度を指で確かめる。レオンは槍を立て、エリスティアは胸に手を当てた。
それぞれの場所で、同じ言葉が胸の底に灯る。
――人としての心を、捨てない。
◇
7|刻、鳴る
薄い霧笛が、今度は深く鳴った。二度。五拍。
ミナの指が軽く弾ける。ジークの足が地を蹴る。レオンの槍が潮を呼び、エリスティアの矢が風を割る。アルトの戦域が“開き”、カイルの祈りが光を束ねる。
「――合わせる!」
三方向から、決着の態勢が同時に組み上がった。
黒糸は、まだ流れない。遅延膜と神樹結界が、わずかながら“猶予”を保っている。
「ここからだ」
レオンが静かに告げ、前へ出た。八人の希望は、この刻を揃えることから始まる。
――次、一斉に斬り結ぶ。
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