吸収の糸—刻の策
城塞内外にわたる三つの戦線は、拮抗のまま火花を散らしていた。だが均衡はいつか傾く。先に“音”を立てたのは、焔の回廊で爆ぜる剣戟と砲火だ。
1)焔の回廊――ジーク&ミナ vs 焔の使徒
灼熱の廊下を、炎の巨影が唸りながら突進してくる。ザガンの残滓から生まれた焔の使徒は、腕を振るうたびに火柱を咲かせ、壁の魔法障壁さえガラスのように割った。
「来い!」
轟斧が弧を描き、ジークの周囲で火花が散る。イグ・ヴァナルの加護が斧刃に走り、熱が熱を呑み込むように焔を裂いた。
背後でミナが短く息を吸い、「解析射撃、装填。ロゴス、パターンB!」
――了解。熱束の偏向、右肘関節と胸郭部、脈動の位相微弱化。
魔導銃が淡光を刻み、連射された魔力弾が焔の使徒の装甲めいた炎殻の“緩む瞬間”へ的確に突き刺さる。爆ぜた火塊が乱れ、巨影の歩みがほんの僅かに鈍った。
「今だ、叩き込め!」
「任せろォ!」
ジークの大上段――炎纏いの一撃が、轟音とともに直撃。焔の使徒の胸が割れ、黒い核のようなものが露出した。
その刹那、ミナの視界の端で“黒糸”が揺れた。どこか遠く、もっと深い闇へと伸びる、見えない回線のような糸。
「……っ、吸われる!」
黒い核が崩れ、墨のような残滓が浮かびあがる。同時に、糸がそれを絡め取り、外へと引こうとした。
「ロゴス、遅延ギア展開! シーケンスC、三十カウント稼ぐ!」
――実行。位相撹乱幕〈ラグ・ネット〉展開。
ミナが投げ出した小型筒から、透明の光網が広がり残滓を包む。黒糸がバチリと火花を散らし、流れが鈍った。
「三十数えるまでに落とし切る! ジーク、もう一発!」
「おうよ!」
焔の使徒が咆哮し、残った炎躯で暴れ狂う。だがジークは怯まない。ミナの罠が床に走り、青白い結界杭がパチパチと音を立てて立ち上がる。突進の角度が誘導され、巨影の動きが一瞬空回りした。
「十、十一、十二――!」
ミナは叫びながらも、支援射撃で関節を縫い止める。ジークが踏み込み、斧を捻り込む。炎殻が剥がれ、巨影ががくりと膝をついた。
「二十六、二十七――まだ!」
汗がこめかみを伝う。残滓はなお、黒糸に引かれ続けている。時間は短い。ミナは下唇を噛み、最後の切り札を抜いた。
「投影式シールド、二重展開! ――今!」
二重の光壁が黒糸に干渉し、震動が一瞬途切れる。そこへ、全力の渾身――。
「貫けェッ!」
轟斧が唸り、焔の使徒の核を粉砕した。残滓が四散する。だが――完全には、切れない。黒糸が細く細く、なお残滓をさらっていく。
「……間に合わない。三十まで伸ばしても、吸われる……!」
ミナの顔に悔しさが過る。そこで、耳を打つ別線の声。
『こちらエリスティア――神樹の結界、いま張るわ。あなたたちの座標、固定できる?』
「できる! 座標送信、同期!」
光網の外縁に、淡い緑金の輪が重なる。神樹の気配――シルヴァ・ユグドの樹脈が、残滓の流れを半分にまで鈍らせた。
「……助かった! これなら――」
「落とし切れる!」
最後の一撃。焔の使徒の残骸が崩れ、黒い霧が天井へと散っていく。糸は伸びたが、奪える量は明らかに減った。ミナは拳を握り、短く息を吐く。
「学習完了。次からは“結界同期→遅延→確殺”でいく!」
ジークがにかっと笑い、拳を突き出した。「上出来だ、相棒!」
2)氷の庭――レオン&エリスティア vs 氷の使徒
城の北翼、中庭は一面の氷庭と化していた。モラクスの残滓が産んだ氷の使徒が、塔の影に立ち、白い息を世界に塗り込める。肌を刺す冷気。踏みしめるたびに凍る石畳。
レオンの王槍が低く唸る。〈アクア・レグルス〉の水勢が穂先で波紋を生み、〈テラ・ドミヌス〉の地勢が足場を固める。
「殿下、右へ。冷気の流れが変わります」
「受け取った」
エリスティアが弓を引き、風の導きを矢に乗せる。一本、二本、三本――透明な軌跡が氷殻の継ぎ目だけを穿ち、白い亀裂が雪花のように広がっていく。
「今だ!」
レオンが踏み込み、水の穂先がしぶきを散らす。地脈の突き上げが氷床を割り、使徒の脚をすくった。その瞬間、エリスティアの一矢が核の縁をかすめ、黒い霧が漏れる。
レオンの視界にも、黒い“糸”が見えた。遠く、闇の玉座へ伸びる細線。
「……これか。吸収の仕組み」
『レオン、こちらミナ。黒糸は残滓を魔王へ引く“回線”。わたしたち、遅延装置で三十カウント稼げる。エリスティアの結界と重ねれば、奪われる量は半分以下にできるはず!』
「了解。――エリスティア」
「神樹の輪、広げます」
緑金の光輪が中庭に花開く。冷気が緩み、凍てつく空気の粒子がわずかに溶けた。氷の使徒が苛立ったように周囲の水分を再凍結させる。
「焦っているわ」
「なら、押し切る」
レオンは槍を翻し、水勢を渦にして突き立てた。エリスティアの矢が渦心を貫く。白い爆ぜが上がり、氷の使徒が軋む。黒い残滓が立ちのぼり――だが、糸は遅い。輪がそれを鈍らせている。
「同期、成功。――次の一撃で仕留められる」
「殿下、どうかお怪我なく」
「君もだ、エリスティア」
視線が一瞬重なり、ふたりは同時に頷く。槍と矢が、同じ瞬間に閃いた。
3)獣の廊――アルト&カイル vs 獣の使徒
南翼の広廊では、黒鉄の獣が吠えていた。バロルの残滓を核にした獣の使徒は、壁を爪で抉り、柱を噛み砕く。衝撃だけで兵が吹き飛ぶほどの質量攻撃。
「戦域、展開!」
アルトが盾を地に叩きつけ、光の陣が床に走る。黎剣セラフィードの刃が薄い結界膜を張り、敵の突進角度を細く細く絞り込む。
「右足の腱、硬化甘い! 氷楔、落とします!」
カイルが杖を掲げ、ヴェント・スピリトの風が獣の足元の重心を滑らせ、ヴァルディアの冷気が楔となって打ち込まれた。巨体がよろめき、狙いすましたアルトの共鳴刃が肩口へ斜めに走る。
「効いてる!」
だが獣の使徒は倒れない。黒糸が既に肩口に絡み、崩れかけた組成を“仮修復”している。カイルが眉を寄せる。
「……まずい、この距離だと一気に持っていかれる。アルト、戦域をもう一段、奥へ」
「行ける!」
盾の縁が光を増し、戦域の壁が二重に展開する。獣の使徒の圧力が壁に食い込み、バチバチと火花が散った。
『こちらミナ。南翼にもラグ・ネット投下可能、合図を!』
「今だ、ミナ!」
天井の格子から光網が降り、黒糸に絡みつく。続けてエリスティアの神樹輪が滑り込む。吸収効率が落ち、糸がわずかに痙攣した。
「……これなら、押せる!」
アルトが一歩踏み出す。足裏に大地の脈動が伝わり、テラ・ドミヌスの加護が盾に重みを与える。カイルが祈りの韻を刻み、結界膜の再生速度が上がる。
「君がいるから、僕は前に出られる!」
「任せて――背中は、絶対に守る!」
獣が吠え、南翼が震えた。だが陣は動かない。光の廊が道を定め、氷の楔が足を縫い止める。アルトの共鳴刃が、核心へ――。
4)隊間同期――“三十”の戦術
各戦線の魔道通信に、ミナの声が重なる。短く、速く、しかし澄んだ声。
『みんな、聞こえる? 残滓吸収には“回線”がある。黒糸。わたしの遅延で三十カウント、エリスティアの神樹輪で吸収半減。――三十の間に落とし切る。できない時は、糸を切る方に集中して、決して無理に倒さないで』
『了解』とレオン。『同期する』とアルト。『風で加速、氷で拘束、支える』とカイル。『任せろ、叩きつける』とジーク。『索敵と誘導はわたしが』とエリスティア。
ミナは深呼吸して、最後に告げた。
『だから――同時に勝とう。誰か一人じゃなく、八人で』
5)魔王の玉座――揺らぐ気配
遠く、漆黒の玉座の間。アトラ・ザルクの周囲で、黒糸がわずかにざわめいた。薄く傾いだ頭部が、どこか楽しげに微かに震える。
言葉はない。だが、抑えた鼓動のような脈が、城全体に伝わった。
6)締め――刻は走り出す
焔の回廊で、ミナが指を三本立てる。「サン、ニ、イチ――次」
中庭で、エリスティアの矢が風を切る。「次波、誘導完了」
南翼で、アルトが低く声を放つ。「押すぞ!」カイルの祈りが重なる。「加速――今!」
三つの戦線の鼓動が、わずかに相似した。三十という短い刻が、同じ速さで進みだす。
――同時に勝つために。
そして、魔王に“吸わせない”ために。
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