労いの広間
戦場の喧騒が遠ざかり、王城の奥、エリシアの私室にアマネとリュシアは導かれた。白亜の壁に囲まれたその部屋は、戦場の焦げた匂いも、血のざわめきも届かない。静謐で清らかな空気が漂っていた。
「さあ、まずは着替えてちょうだい」
エリシアは柔らかな微笑みを浮かべ、二人を椅子に座らせると、衣装棚を開けた。そこには、王妃としての装いだけでなく、簡素で着心地の良い部屋着や礼服が揃えられていた。
リュシアは破れた袖をそっと撫で、少し恥ずかしそうに笑う。「やっぱり、防具で守るのも大事ね……。戦いの最中は気にしてる余裕もなかったけれど」
アマネも頷き、焦げ跡の残る裾を摘んだ。「ほんと。布切れ一つで、どれだけ戦いの激しさが伝わるか、実感しちゃった」
すると、ミナが部屋に駆け込んできた。両手に布や針道具を抱えている。
「ほら、やっぱりボロボロじゃない! ね、次は私がちゃんとした防具作るから!」
アマネがくすりと笑い、「ありがと、ミナ。でも今は……まず着替えさせて」と軽く肩を竦める。
「分かってるって! でも本当に心配したんだから!」
ミナは口を尖らせながらも、すぐに破れを覆うように手を添えて手伝った。その必死さに、リュシアは思わず目を細める。「……優しいのね、ミナ」
「優しいとかじゃなくて! 仲間だから当然でしょ!」
ミナは照れ隠しのようにそっぽを向きつつも、器用に布を合わせ直した。彼女の真剣な横顔に、アマネとリュシアは胸の奥が温かくなるのを感じた。
◇
着替えを終えると、エリシアが香り高いハーブティーを差し出してきた。薄い琥珀色の液体から立ち昇る湯気に、二人の張り詰めた心がゆるりとほどけていく。
「本当に……よく無事で帰ってきてくれました」
エリシアの声は深い慈愛に満ちていた。彼女は二人をそっと抱き寄せる。「あなたたちがいてくれるから、皆も戦えるのです」
リュシアは胸に手を当て、真剣な表情で小さく頷く。「……でも、それは私たちも同じです。皆がいたから戦えた。だから今こうして戻れたんです」
アマネも笑みを浮かべ、肩の力を抜いた。「そうだね。戻る場所があるって、本当に心強いんだ」
三人はしばし、戦場を忘れたように温かな空気を共有した。疲労に沈んだ身体と心に、ようやく安らぎが訪れる。その穏やかなひとときが、次の嵐に備えるための大切な休息となっていった。
◇
戦火の煙がようやく晴れ、ソレイユの王城にはひとときの安堵が流れていた。広間には大きな卓が並び、温かい食事と果実酒が運び込まれている。戦士も魔導師も、従者も、皆が肩を寄せ合い、互いの健闘を労い合っていた。
「はぁーっ、生き返る! 戦場で飲む水もいいけど、やっぱりこういう甘い果実酒は別格だね!」
ミナが椅子に深く腰を下ろし、カップを掲げて笑った。その顔には疲労が色濃く残っていたが、どこか晴れやかでもあった。隣でジークが「おい、飲みすぎるなよ」と釘を刺すが、自分も杯を手にしていて説得力はない。
「ふふっ、皆、無事で本当に良かったわ」
リュシアが穏やかに笑む。その白衣は既に新調されたものだが、戦いの激しさを知る者たちの目には、彼女の微笑がどれほどの覚悟の末にあるものか理解できていた。
アマネもまた、卓を囲む仲間たちを見渡しながら頷いた。
「……ここに、みんなが揃っている。それだけで十分だよ」
◇
和やかな雰囲気の中、ひときわ静かな視線を集めたのはエリスティアだった。戦場では弓を振るい続けた彼女だが、今は静かに盃を手にしている。その姿に自然と「神樹の姫」としての気配が漂っていた。
「……皆のおかげで、神樹も守られました」
そう口にした瞬間、広間の空気が少しだけ引き締まる。エリスティアは一人ひとりの顔を見回し、静かに続けた。
「けれど神樹は、小さな芽です。私はその姫として、この戦いの先にある未来を見つめなければなりません」
凛とした言葉に、場の空気が変わる。だが、それを柔らかく解きほぐしたのはレオンだった。
「……ならば私が守ろう。君の未来も、神樹の未来も」
短く、だが重みのある言葉に、エリスティアの頬が赤く染まった。杯を少し傾けて俯く姿は、姫であると同時に、まだ年若い少女でもあった。
「レオン殿下……ありがとうございます」
照れ混じりの返答に、すぐさま仲間たちの茶々が飛ぶ。
「おーおー、殿下、ずいぶん頼もしいじゃないか!」ジークが笑い、
「まったく、戦場でも広間でも隙がないな」アルトが肩をすくめる。
カイルは微笑を浮かべつつ、杯を持ち直した。「けれど……こうして共に笑える今を、まずは大切にしましょう」
「そうね」リュシアが頷く。「闇に呑まれぬためには、人として笑うことを忘れない。それが一番の力になるから」
◇
笑い声が広間を満たしていく。アマネとアルトが互いの無事を確かめ合う視線を交わし、リュシアとカイルは小さく盃を合わせた。ミナはジークと軽口を叩き合いながら、戦いの余韻を笑いに変えていく。
「……やっぱり、こういう時間があるから、また頑張れるんだよね」
アマネの呟きに、仲間たちは静かに頷いた。誰もが同じ想いを胸に抱いている。戦いは終わっていない。だが、今この瞬間だけは——仲間と共に笑っていたい。
「私たちは、負けない。どんな闇が来ても」
エリスティアが杯を高く掲げる。その声は、姫としての宣言であり、一人の仲間としての誓いでもあった。
「おう!」
「もちろんだ!」
広間に歓声が響き渡る。光の杯がぶつかり合い、笑い声が重なっていった。胸の奥に不穏な影はある。だが、今はそれを追い払うように、仲間たちは人としての温もりを分かち合っていた。
◇
こうして、ソレイユの夜は更けていった。英雄たちの誓いと共に——。
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