分かたれる道—勇者候補の焦り
鬱蒼とした森の空気は湿り、肺をじわじわと重くしていた。
疲労の色を隠せない生徒たちの中で、アルトの歩調だけが速かった。
「……少し早すぎます、殿下」
カイルが眼鏡を押し上げ、慎重に声をかける。
「この先は魔物の出没率が高い区域です。隊列を乱せば――」
「構わない」
アルトの声は硬い。
「勇者候補が前に立たねば、誰が導くというのだ」
強い響きの奥に、焦燥が混じっている。
――繰り返し浴びせられた「勇者の器」という言葉が、彼を押し、同時に縛っていた。
⸻
前方に二つの道が現れる。
一つは茨に覆われた鬱蒼とした獣道。
もう一つは開けてはいるが急斜面。
アルトは迷わず後者を指さした。
「斜面を越えれば近道だ。俺が先導する」
「危険すぎる」ジークが即座に首を振る。
「地盤が緩んでる。上から魔物が来たら逃げ場はねぇぞ」
「だが時間を稼げる」
アルトの瞳はただ前を射抜いていた。
「危険を承知で進む必要はありません!」
思わずアマネが声を上げる。だが彼は振り返らない。
⸻
「……私がついていきます」
静かな声が、場を割った。リュシアだ。
「殿下が選ばれるなら、聖女として支えるのが私の役目です」
義務で固められた迷いのない顔。
アルトは短く頷いた。
「助かる。リュシア、頼む」
⸻
「ちっ……じゃあ、残りは俺たちで行くしかねぇな」
ジークが舌打ちし、斧を担ぐ。
「カイル、ミナ、アマネ。俺と来い」
カイルは唇を噛みながらも冷静に頷く。
「人数のバランスを取るべきです」
「効率はこっちが勝つんだから!」
ミナは強がりを込めてゴーグルを直した。
アマネだけが足を止める。
「でも、アルト様を放っておけない……!」
伸ばしかけた手を、ジークが力強く掴んだ。
「お前は残れ。あいつにはリュシアがいる。今のお前の役目は、こっちを守ることだ」
真っ直ぐな眼差しに射抜かれ、アマネは唇を結んだ。
「……わかりました」
こうして一行は二手に分かれた。
⸻
アルトとリュシアは斜面を登り始める。
勇者候補と聖女――絵に描いたような並び。
だがその背はどこか脆く、リュシアの指が袖に触れるたび、不安の色が滲んでいた。
一方、ジーク班の周囲には、低い唸り声が木々の奥から響いてくる。
「来るぞ!」ジークが叫んだ。
茂みを割って飛び出したのは、狼型の魔物。数が多い。
「囲まれた!?」カイルが詠唱を開始する。
「任せなさい!」ミナが仕掛けを投げ、火花が散る。
アマネは深く息を吸い、光球を生み出した。
(私が……守らなきゃ!)
⸻
その頃、演習を監督する教官席。
宰相派の教授ヘルマンが「勇者候補にふさわしい試練だ」と頷く横で、
老学園長エジルは眉を寄せた。
「……不自然だ。魔物の出現率が記録と乖離しすぎている」
その小さな不安は、まだ誰の耳にも届かないまま、森に潜んでいた。
二手に分岐。以降は連続更新で。ブクマ&感想うれしいです。




