逆転の兆し
◇
闇が濃くなる。息を吸うたびに肺の奥まで影が入り込み、喉を塞ぎ、心臓を掴み取られるような錯覚に陥る。アマネの全身は汗と血に塗れ、裂けた衣が肌を晒すたび、灼けるような痛みが走った。影の鎖が四肢を縛り、刃のような突きが肩や脇腹を抉り、立っていることすら難しい。膝は崩れかけ、視界は赤黒く滲んでいく。
「……っ、はぁ……はぁ……!」
継星刀を握る手が震える。柄を離してしまえば、その瞬間に全てが終わるとわかっていた。だが、力は尽きかけ、息は荒れ、膝からは絶えず血が流れ落ちていた。影は無数の囁きを生み出す。
「無駄だ……」「お前の光は闇を肥やすだけだ……」「希望は絶望を呼ぶ……」
ネビロスの声が混ざる。深淵の奥から、愉悦に歪んだ低い笑いが響く。
「見ろ、勇者。お前が光を掲げるほど、闇は深くなる。お前の存在そのものが、この世界に影を招くのだ!」
「……っ……」
胸を抉る言葉。心臓を握り潰すかのような錯覚。アマネは歯を食いしばり、足を踏み出そうとするが、影の鎖が絡みつき、動きを封じる。刃が頬を裂き、血が滴る。耳元で嘲笑が木霊する。視界に映るのは、押し寄せる暗黒の奔流。まるで全世界が彼女を拒絶しているかのようだった。
——もう立てないのか。
その問いが、脳裏を過った瞬間。
◇
胸の奥で、微かな鼓動が光となった。熱が広がり、耳に声が響く。
『アマネ……まだ終わってはいない』
『光はお前の中にある。我らはその刃を導こう』
それは精霊、ソル・イグニスとオムニアの声だった。二重に重なる響きが、影に蝕まれかけた意識を呼び戻す。身体の隅々に血が巡り、再び力が湧き上がってくる。
「……ソル……オムニア……」
アマネは呻くように名を呼んだ。影の鎖がさらに強く締め付け、骨が軋む。しかし、その痛みの奥で、確かな温もりが広がっていた。太陽の光。大地や風、水や炎。八百万の息吹。それらが彼女の血潮と混ざり、脈打っていた。
「私の光は……餌なんかじゃない!」
膝をついていたアマネが、震える脚に力を込めて立ち上がる。裂けた衣の隙間から、光が零れ出した。影を焼くようなまばゆい輝き。ネビロスの嗤い声が、一瞬だけ途切れた。
「なに……?」
「闇が深ければ深いほど……光は強く輝く! 私はその証になる!」
継星刀が震え、白熱する。太陽の炎が刃を包み、オムニアの祝福が大地や木々の声を呼び覚ます。足元から草が芽吹き、影を押し返すように葉が揺らめいた。折れかけた心に、仲間の姿が浮かぶ。アルトの笑顔。リュシアの真剣な瞳。エリスティアの矢が夜を切り裂いた瞬間。皆の声が重なり合い、力へと変わっていく。
◇
「……諦めるものか!」
影の波が牙を剥いて迫る。だがアマネは一歩を踏み出し、剣を振り抜いた。光が奔り、影を裂く。ネビロスの影が後退し、呻き声を漏らす。
「あり得ぬ……この闇を押し返すだと……!」
「私は……闇を斬る! 仲間の未来を、この手で切り拓く!」
声が荒野に響く。影に覆われた世界に、かすかながらも確かな光の道が拓かれていた。アマネの全身はまだ傷だらけで、衣も乱れたまま。それでも、瞳には決して揺るがぬ炎が燃えていた。
◇
「来い、ネビロス! ここからが……本当の戦いだ!」
闇と光が激突し、天地を揺らす轟音が荒野を震わせた。アマネの刃に宿った光は、確かに希望の兆しとなり、戦場に差し込んでいた。
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