炎に呑まれる賢者
◇
灼熱の咆哮が荒野を揺るがした。ザガンの全身を覆う炎はもはや理性を失い、ただ破壊と燃焼を欲する生き物そのもののように膨張していく。赤黒い火柱が天を裂き、大地を這い、空気そのものが煮えたぎる。
「ぐっ……はぁ……!」
リュシアは杖を突き立て、必死に結界を張る。だが、その結界は衝突のたびに軋み、ガラスが砕けるような音を立ててひび割れていく。額を流れる汗が蒸気となり、頬を伝うより先に気化した。呼吸をすれば肺を焼かれ、立つだけで脚が震える。
「守りばかりか、聖女!」
ザガンが狂気の笑みを浮かべ、炎を操り槍と化す。十を超える炎槍が一斉に放たれ、空を裂く轟音と共にリュシアへと殺到する。
「——はああっ!」
杖を振るい、氷の壁を幾重にも重ねる。炎と氷が正面から衝突し、爆ぜる轟音と閃光が荒野を覆う。衝撃で大地が抉れ、破片が雨のように降り注ぐ。だが防御は追いつかず、炎の一撃が彼女の結界を突き破り、肩を打ち抜いた。
「……っ!」
焼け付く痛みに膝が沈む。視界が赤く染まり、意識が飛びそうになる。
◇
「燃えろ、もっと燃えろ!」
ザガンの狂笑と共に、大地から炎の獣が這い出した。狼、蛇、獅子……炎で象られた魔獣たちが咆哮を上げ、一斉にリュシアへと襲い掛かる。
「くっ……来なさい!」
リュシアは震える腕を掲げ、杖に魔力を込める。氷刃と炎槍を同時に放ち、迫る炎獣を切り裂く。だが、倒しても倒しても炎は蘇り、形を変えては再び襲ってくる。
魔力の消耗が激しく、呼吸は荒れ、胸が上下する。結界の光は揺らぎ、杖を握る手は汗と血で滑りそうになる。
「はぁっ……はぁっ……まだ……!」
しかし次の瞬間、炎の蛇が彼女の背後から襲いかかり、結界を貫いた。熱が背を走り、焼ける匂いが立ち込める。
「ぐあっ……!」
声にならぬ悲鳴が漏れ、意識が白く弾ける。
◇
(……守れない。押し返せない。この炎に呑まれて……私は……)
リュシアの脳裏に、仲間たちの顔が次々と浮かぶ。
アルトの真っ直ぐな瞳。
ジークの豪胆な笑み。
ミナの不器用な優しさ。
カイルの静かな祈り。
そして、エリスティアの涙を堪えた横顔。
——そして、アマネ。太陽と交わした光の糸。
(私が……ここで倒れたら……)
胸が軋む。熱と痛みに押し潰されそうになりながら、必死に意識をつなぎ止める。
「立て、聖女!」
ザガンが炎の拳を振り上げ、空を灼きながら振り下ろす。その軌跡だけで岩が融け、大地が赤く染まる。
リュシアは杖を交差させ、最後の結界を張る。だが、その結界は一撃で粉砕され、爆風が全身を吹き飛ばした。
「——っあぁぁぁっ!」
荒野に叩きつけられ、砂塵と炎に呑まれる。耳鳴りが響き、意識が遠のいていく。
◇
「はぁ……っ……まだ……」
血に濡れた唇が震え、それでも彼女は立ち上がった。脚は震え、視界は霞み、衣は焼けただれている。だが、杖だけは手放さなかった。
「皆が……待っている。必ず……帰らなきゃ……」
その声は掠れて小さく、荒野の轟音にかき消されそうだった。だが確かに、リュシアの心に燃えるものがあった。
「ふははははっ! いいぞ……その目だ! だが立ち上がるたびに……燃え尽きるまで叩き潰してやる!」
ザガンの狂笑が荒野を揺るがす。炎の嵐が再び迫り、戦場はさらなる地獄へと沈んでいった。
◇
リュシアは再び杖を構えた。
その瞳は涙で滲みながらも、決して折れてはいなかった。
「……負けない……!」
夜空の下、炎と氷が交錯し、賢者と狂気の炎王の戦いは、なおも続いていく——。
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