炎に試される賢者
大地を割る咆哮と共に、ザガンの炎が荒野を覆った。赤黒い業火は息をするだけで肺を焦がすような熱を放ち、空気そのものが灼熱の刃と化してリュシアの全身を削っていく。
「っ……はぁっ……!」
継杖を振るい、結界を張って炎を押し返す。しかし、ザガンの炎は狂気に満ち、次々と形を変えて襲いかかる。炎槍が飛び、炎の獣が地を駆け、炎の雨が空から降り注ぐ。そのすべてが彼女を焼き尽くそうと迫ってきた。
「どうした聖女! その程度で世界を守るつもりか! 燃え尽きろ、全てを抱えて共に灰となれ!」
ザガンの叫びは歓喜に満ちていた。狂気の炎は膨れ上がり、まるで大地そのものが燃え上がっているかのように見えた。
リュシアは結界を張り直しながら必死に耐える。しかし、炎が幾度も衝突するうちに結界は軋み、衣の裾が焼け、髪先が焦げていく。聖女の白衣は裂け、布が剥がれ落ち、露わになった肌を炎の熱が容赦なく苛んだ。
「くっ……まだ……倒れるわけには……!」
汗と煤で頬を濡らし、視界が揺らぐ。だがリュシアは杖を握る手を緩めなかった。だが、ザガンの炎はさらに勢いを増していく。次の瞬間、巨大な炎の腕が伸び、彼女を掴み取ろうと迫った。
「しまっ……!」
杖を構えた刹那、防御の結界が破られ、熱風が全身を叩きつける。衣服がさらに裂け、肩口が剥き出しになる。焦げた布が風に舞い、リュシアの心を鋭く抉った。
◇
巨大な炎の腕が地を裂き、荒野に焼け爛れた溝を刻む。熱気に包まれながらも、リュシアは杖を突き立てて立ち止まった。心臓が早鐘を打ち、肺が焼けるように痛む。だが、その瞳はまだ折れていなかった。
「……こんなところで……終われるものですか……!」
ルミナリアの先端が淡く輝き、彼女の足元に幾重もの魔法陣が広がっていく。氷の華が地面を這い、蒼白い光が炎を押し返そうと広がった。だがザガンの炎はその上を覆い尽くし、氷華を次々と蒸発させる。
「良い! もっと抗え! その命を削り、希望を燃やし尽くせ!」
ザガンの狂気は炎そのものを増幅させ、炎槍が空から雨のように降り注ぐ。リュシアは結界を展開しながらも、ひとつ、ふたつ、攻撃を受け止めきれずに衝撃に膝を折りかける。荒野の土が焼け焦げ、煙が立ち上る。
(……負けられない。アマネも、皆も戦っている……!)
脳裏に仲間たちの顔が次々と浮かぶ。ジークの力強い背中、ミナの笑顔、カイルの真剣な眼差し、アルトの真摯な声、そしてエリスティアの矢が夜空を駆ける姿。彼らを守るために、ここで倒れることは許されない。
リュシアは息を吸い、震える腕をもう一度掲げた。炎と氷を同時に展開し、巨大な結界を組み上げる。炎を喰らう氷の柱、氷を裂く炎の槍——相反する二つの力が彼女の内で一つに溶け合い、渦を巻き始めた。
「……私の結界は……守るためだけのものじゃない……!」
ザガンが目を細め、嘲るように吠える。「守りの聖女が攻めに出るか! だが、その程度で俺を——」
言葉の途中、轟音が戦場を揺るがした。リュシアが解き放ったのは、氷槍と炎槍が絡み合った奔流。紅蓮の光と蒼白の閃きが混ざり合い、龍のごとく大地を疾走してザガンを呑み込んだ。
「……っ!」
炎の王たるザガンでさえ、その一撃に押し返され、周囲の炎が一瞬だけ後退する。焦げついた荒野に白い霜が走り、爆ぜる音と共に蒸気が立ち上る。
「な、に……これは……」
リュシアの唇は震え、膝も崩れそうになる。だが、彼女の目は揺らいでいなかった。全身の魔力を絞り尽くしながらも、杖を支えにして立ち上がる。
「私は……守る。皆を、未来を……あなたの炎に焼かせはしない!」
ザガンの狂気の炎が再び荒れ狂う。だが、リュシアの結界もまた、その炎を迎え撃つように輝きを増していた。互いの力が激突し、大地は震え、空は紅蓮と蒼氷の光に裂かれる。
それはまさに——炎に試される賢者の姿であった。
◇
戦場に轟く爆音の中、彼女はひとり立ち続けていた。倒れても、立ち上がる。削られても、光を失わない。その姿は、荒野に揺らめく唯一の希望の炎であった。
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