世界樹の悲鳴—炎と影
世界樹の森は、これまでにない静けさに包まれていた。鳥も鳴かず、風すら止まったかのように、空気は重く淀んでいる。だが、その中心――大樹の根元では、激しい戦いが繰り広げられていた。
「押し返せ! 一歩でも退けば、精霊の根源が――!」
守り人たちの声が飛ぶ。弓を放つ者、精霊術を唱える者、そのすべてが必死だった。だが敵はそれ以上の執念を持って迫っていた。
「ハァ……ハァ……くっ!」
若き守り人が血に濡れた腕を押さえ、仲間の背に庇われながら倒れ込む。
「下がれ! もう持たん!」
地を割って噴き出す炎の柱。その中心に立つのは、狂気に満ちた紅の鎧を纏う男――四天王ザガン・ルシフェル。
「燃やせ、燃やせぇ! この愚かなる大樹を灰に変えろ! 精霊ごと焼き尽くしてやる!」
炎は枝葉を舐め、青々とした大樹を赤々と照らす。その狂笑は、夜を昼に変えるほどの熱を孕んでいた。
そして、その背後。影のように佇むのはネビロス・ヴェイル。闇に溶ける衣をまとい、眼窩の奥が妖しく光る。
「影は形を呑む……この大樹も例外ではない。抗う者よ、幻に惑い、絶望に沈め……」
囁きと同時に、闇が波紋のように広がった。矢を放つ守り人たちの視界が揺らぎ、敵と味方の姿が入り乱れる。混乱の声が飛び交い、同士討ちの悲鳴が上がった。
「ぐっ……また幻影か! 怯むな、心を繋げ!」
守り人の長老格が杖を叩きつけ、浄化の光を広げる。それでも、押し寄せる炎と闇の勢いを止めることはできなかった。
◇
「……ここまでか」
長老は膝をつき、血に濡れた手で地を掴んだ。世界樹の根が震え、まるで痛みに耐えるように軋んでいる。
彼は最後の力を振り絞り、念話の術式を編んだ。
(――エリスティア、聞こえるか……)
◇
ソレイユの戦場。仲間たちがバロル、モラクスと刃を交えているその最中。
「っ……!」
エリスティアの胸が強く締めつけられ、矢を放とうとしていた指先が震えた。アウロラの光が一瞬揺らぐ。
「エリスティア?」アマネが鋭く気づく。
「……念話が……守り人から……!」
◇
(精霊の根源が……侵されている……我らは……もう長くは持たぬ。女王陛下と……姫に……託す……)
必死に絞り出す声が、彼女の頭の奥に響く。仲間たちにも共有されたその念話に、一瞬戦場の時間が止まった。
「世界樹が……!」リュシアが顔を上げる。
「そんな……」カイルが蒼白になる。
◇
「っははははは!」ザガンの笑い声が轟く。
「燃えろ燃えろ! これが終焉の業火だぁ!」
「影はすべてを覆う……いずれお前たちも抗えぬだろう」ネビロスの囁きが、森全体に広がっていく。
炎と影が絡み合い、世界樹の根を蝕み始めた。大樹の緑が黒く染まり、空へ伸びる枝葉が絶望の色を帯びていく。
◇
「……嫌ぁぁぁ!!」
エリスティアの叫びが、戦場に響いた。彼女の矢が夜空を裂き、光の奔流となって放たれる。しかしその矢は、遠く離れた世界樹には届かない。
「……必ず、守る。たとえこの身が裂けようとも!」
胸の奥に、かつてない熱が灯るのを彼女は感じた。仲間たちの瞳もまた、その決意を受け止めて強く光る。
ソレイユの戦場と、世界樹の森。離れた二つの戦場で、絶望と決意が同時に交錯していた。
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