翌朝の狼狽
庵の朝は、澄んだ空気と薪の香りで始まった。木漏れ日が障子越しに差し込み、食堂に並んだ食卓には湯気を立てる味噌汁や焼き魚が整えられている。
だが、その場に揃った八人の若者たちは、普段なら賑やかに話しながら箸を動かすはずなのに、妙な沈黙に包まれていた。
アマネとアルト。
リュシアとカイル。
ミナとジーク。
そしてエリスティアとレオン。
昨夜の余韻が、心の奥にまだ残っている。視線が合えば、互いに慌てて逸らす。ぎこちない仕草が、周囲に何より雄弁に伝わってしまっていた。
「……な、なんだか、空気が違うな」ジークがぼそりと呟いたが、その声さえも居心地悪い沈黙に吸い込まれていった。
◇
そんな若者たちを横目に、大人組は余裕の笑みを浮かべていた。
アサヒは頬杖をつきながらにやにやと皆を眺め、「ふふ、なんだか一晩で雰囲気が変わったわねぇ」と茶目っ気たっぷりに言う。
フローラは、少し遠巻きにエリスティアを見て、母のような目を細めた。「可愛らしいものね。きっと神樹も微笑んでいるわ」
セレスことエリシアは、酒の余韻を残したような艶やかな声で、「青春ってやつかしら? いいわねぇ。眩しくて羨ましいくらいよ」と笑い、わざと若者たちに視線を送る。
案の定、エリスティアは真っ赤になり、思わず湯気でも出そうな勢いで顔を伏せた。
◇
「……あの、エリシア様」カイルが恐る恐る口を開く。「あまりからかわれると……その、困ります」
「まあ、可愛いわねぇ。困ってる顔も」セレスはさらに追撃して笑みを深める。
リュシアは耐えかねたように手を振った。「や、やめてください! 私たちは別に——」
だが彼女の頬もほんのりと赤く、否定が追いついていない。
その隣でミナは、肩を張って強がるように言った。「ふ、ふん! 私は別に何ともないし! ほら、ジークだってそうでしょ!」
「えっ? あ、ああ……」ジークは不意に振られて狼狽し、耳まで赤くなった。「ま、まあ、俺とミナは……気づいたら、いつも隣にいるしな」
「じ、ジーク!」ミナは顔を真っ赤にして抗議したが、その様子に周囲から忍び笑いが漏れた。
◇
そして、昨夜最も大きな変化を迎えたのは、やはりエリスティアとレオンだった。
二人は席を挟んで座っているものの、まともに目を合わせられない。エリスティアはパンをちぎる指先をぎゅっと握りしめ、レオンは真っすぐ前を見たまま箸を動かしていた。
互いに心臓が跳ね上がるのを感じながらも、口には出せない。だが周囲から見れば、その不自然さは一目瞭然だった。
フローラがやわらかく微笑む。「エリスティア……あなたの瞳、昨日よりも綺麗に輝いているわ」
「えっ……そ、そんなことは……」エリスティアは動揺し、うつむく。その頬の赤みが全てを物語っていた。
レオンは拳を膝の上で握りしめる。昨夜、月明かりの下で吐露した想い。それがまだ胸の奥で熱を帯びたまま、言葉にならない。
◇
そんな若者たちの様子を見渡しながら、ルシアンが静かに笑った。
「……お前たち、精霊の加護を得ただけでなく、随分と大きく育ったものだな。色んな意味で、だが」
若者たちは一斉に顔を赤くし、俯く。アサヒとエリシアはくすくすと笑い、フローラは頷いて彼の言葉を肯定した。
ルシアンは続ける。「だが、ここからが本番だ。魔王の時代は、人を容易く呑み込む闇をもたらす。力だけでは抗えぬこともある」
その声は厳しくも、温もりを帯びていた。
「だからこそ、人としての心を忘れるな。恋をし、仲間を想い、笑い合える心。それこそが、闇に呑まれない力になる。——私はそう信じている」
アサヒが微笑んで言葉を添える。「ルシアンと私は、そのことを誰よりも痛感してきたわ。だからね、あなたたちにも——どんな時でも自分の心を信じて生きてほしいの」
◇
その言葉は、若者たちの胸にじんわりと染み渡った。昨夜の熱を冷ますどころか、むしろ静かな確信として残していく。
アマネはアルトと視線を交わし、互いに小さく微笑んだ。
リュシアはそっとカイルの袖を掴み、頬を染める。
ミナとジークは目を逸らし合いながらも、どこか楽しげだった。
エリスティアとレオンは、不器用ながらも互いの存在を強く意識していた。
その光景に、大人たちはまたしてもにやにやと笑い合った。
こうして、庵の朝は笑顔と赤面に包まれながら幕を開けた。
だがその裏で、確かに芽生えた絆と想いは、これから訪れる激動の時代において大きな力となるのだった。
お読みいただきありがとうございます。いけるところまで連続投稿!(不定期ですが毎日目標)。
面白かったらブクマ&感想で応援いただけると嬉しいです。