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宰相の影—仕組まれる英雄譚

王都の夜は深く、燭台の炎だけが長い影を壁に揺らしていた。

政庁の最奥――マクシミリアン・フォン・ヴァレンティス宰相の私室。

重厚な扉の前で護衛が控え、呼ばれた者だけが通される。

「……入れ」

低く鋭い声に応じ、黒衣を纏った少年が姿を現した。

ラインハルト・フォン・グランツ。侯爵家の嫡子にして、宰相派が次代を託す存在。

「宰相閣下のお呼びとあらば」

恭しく頭を下げるが、その声音には焦りが混じっていた。

模擬演習で光を浴びたのはアルト殿下。自分はただ観客で終わった。

ヴァレンティスの鷹のような眼が、彼の胸の隙を射抜いた。

「学園では、アルト殿下ばかりが称えられていると聞く」

「……っ」

「だがな、少年。英雄とは舞台の中央に立つ者だけではない。

その舞台を“描き換える者”がいてこそ、本当の力が動くのだ」

蛇の毒のような声。

ラインハルトの瞳に、かすかな渇望が灯る。

「私が……描き換える者に?」

「いずれは導く者となろう。王家とて、永遠ではない」

一瞬、息を呑む。

王族さえ利用できる――その甘美な囁きが胸に染み込んでいく。

机の引き出しから、ヴァレンティスは一本の短剣を取り出した。

鈍い銀に刻まれた古代の紋様が、燭火を受けて妖しく光る。

「力が欲しいか」

「……!」

躊躇のあと、ラインハルトは頷いた。

「ならば、その刃に己の血を捧げよ」

命じる声は冷徹にして揺るぎない。

少年は掌を切り、赤い滴を短剣に落とす。

瞬間――

空気が震え、床に黒い紋様が浮かび上がった。

燭台の炎がねじれ、影が生き物のように絡みつく。

「ぐ……あああっ!」

焼印のような痛みが胸に刻まれ、身体が震える。

恐怖と陶酔が交じり合い、彼の瞳に暗い輝きが宿った。

ヴァレンティスは細い笑みを浮かべる。

「よい。お前はもう、凡百の少年ではない」

少年は荒い息のまま呟いた。

「……これが……力……」

その言葉に、宰相の目が細く光った。

(そうだ、“依代”は育つ……)

だがその囁きは、決して声には出されなかった。

同じ夜。

学園の地下書庫。普段は誰も近づけない“禁書の間”。

厚い扉を開け、灯りを持ち込む老人の姿――学園長エジル・カーネル。

王国でも数少ない「閲覧権」を持つ者のひとりだ。

机の上に広げた羊皮紙には、消し去られたはずの記録。

――“魔王の依代”

「……やはり、この語が残っていたか」

かすれた文字を指でなぞる。

歴史書からは消されても、断片は地下に封じられ、誰にも語られぬまま眠っている。

勇者と聖女の物語の裏で、必ず現れる存在。

その記録は、不吉な影のように並んでいた。

「……嫌な符合だ。だが、まだ確証はない」

眼鏡を外し、額に手を当てる。

老学者の瞳は、疲労よりも強い覚悟に燃えていた。

「同じ悲劇を繰り返すわけにはいかん……」

燭火の明かりが揺れ、地下の壁に彼の影が長く伸びた。

その頃、遠い王都の片隅。

庵で火を囲むルシアンとアサヒは、言葉少なに湯気の立つ茶をすする。

互いに口にはしない。

けれど胸の奥で――都で何かが動き始めたことを、確かに感じ取っていた。


読了感謝!ここから“影”が動き始めます。更新は不定期ですが毎日目標。ブクマ&感想が励みになります。

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