夜風に溶ける想い
クラリスと別れたのは、灯籠が一つ、二つと消え始める頃だった。噴水広場を後にする前、彼女は優雅に裾を翻し、軽やかな仕草でアマネとアルトに頭を下げる。
「今夜はありがとう。久しぶりに心から笑えたわ。……アマネ、殿下。また近いうちに」
微笑みを残し、クラリスは夜道へと消えていく。その後ろ姿を見送りながら、アマネは胸に温かな余韻を抱き、静かに言葉を漏らした。
「……クラリス様、やっぱり強い人だな」
アルトは返事をしなかった。彼の胸の奥では、安堵と苛立ちがせめぎ合っていた。クラリスが去ったことでようやく二人きりになれた安心感と、アマネが彼女に向けていた柔らかな笑顔を思い返してしまう苦い思い。その両方が混じり合い、言葉にできない感情が喉に詰まる。
◇
二人は並んで王都の街を歩いた。石畳を照らす街灯の下、子供たちのはしゃぐ声も、遠くから聞こえる楽団の演奏も、少しずつ夜の深みに吸い込まれていく。アマネは歩みを緩め、横を向いてアルトを見上げた。
「アルト。……さっきから黙ってるけど、どうしたの?」
「……別に」
短い返事。だが声には僅かな棘があった。アマネは目を瞬かせ、微笑を浮かべたまま問いかける。
「もしかして、クラリス様のこと?」
アルトは足を止め、夜風に髪を揺らしながら小さく息を吐いた。星明かりに照らされた横顔は、普段の冷静さを失い、どこか不器用に揺れていた。
「……俺は、王子として多くの人と関わってきた。でも、アマネがお前が、誰かに向ける笑顔を見ると……どうしても、胸がざわつくんだ」
アマネの心臓が跳ねた。アルトの声は低く震えていて、偽りのない嫉妬と不安が滲んでいた。
「アマネは皆に好かれる。勇者として、仲間として。それは誇らしいことだ。でも……そのぶん、俺の隣にいる理由を、見失いそうになる」
彼の拳が強く握られる。抑え込んできた感情が、今まさに溢れ出していた。
◇
アマネは足を止め、真っ直ぐにアルトを見つめた。胸が痛むほどに、彼の言葉は自分を想ってのものだと伝わってくる。だからこそ、迷いなく答えを返した。
「アルト。私……皆に好かれるのは嬉しい。けど、一番大事なのは、アルトだよ」
彼女の声は澄んでいて、揺らぎがなかった。驚いたように目を見開くアルトに、アマネは一歩近づき、その手に自分の手を重ねた。
「私は、アルトが好き。だからここにいる。誰かに笑顔を向けても、それは仲間としてのもの。でも、恋人として好きなのは……アルトだけ」
夜風が二人の間を抜け、街のざわめきが遠のいていく。アルトは言葉を失い、ただアマネを見つめた。心の奥で絡まっていた棘が、ゆっくりと解けていく感覚に包まれる。
「……アマネ」
震える声で彼女の名を呼ぶと、次の瞬間、アルトは衝動のままにアマネを抱きしめた。力強く、けれど乱暴ではなく、大切な宝物を抱きしめるように。アマネは驚きながらも、静かに彼の背に手を回した。
「本当に……俺なんだな」
耳元で囁かれる声は、少年のように弱くて、切実だった。アマネは微笑み、彼の胸に顔を寄せた。
「そうだよ。アルトだから、なんだよ」
◇
二人の影が夜道に重なり合う。星々は静かに瞬き、遠くで夜警の鐘が鳴る。街は眠りにつこうとしていたが、二人の心はようやく落ち着きを取り戻していた。
互いの鼓動を確かめ合いながら、二人はもう離れまいと強く誓う。その想いは、これから訪れる闇に立ち向かうための光となって、確かに胸の奥で燃えていた。
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