表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

35/471

聖女と学者—揺れる頁

学園の図書棟は、昼間でもひんやりと薄暗い。

高い窓から差し込む光が、埃を帯びて細い筋を作っていた。紙とインクの匂いが重なり合い、ここだけ時間がゆっくりと流れているようだ。

机の上に分厚い書物を並べ、カイルが眼鏡を押し上げる。

リュシアはその隣に座り、静かに頁を覗き込んだ。

「……これが、“聖女史”ですか」

淡々とした声。けれどわずかに、響きが硬い。

「ええ。王国の記録に残る聖女たちの系譜です」

カイルは指先で文字をなぞる。「ですが――どの記録も“勇者を導く伴侶”という役割に終始している。個人としての思想や行動は、ほとんど省かれています」

リュシアの長い睫毛が一度だけ揺れた。

「……伴侶。それが、聖女の本質、ということですね」

「制度上は、そうでしょう」

カイルの答えは冷静だった。声色に温度を込めず、ただ事実だけを差し出す。

数行先を読み進めたところで、リュシアが小さく呟いた。

「私は……聖女である前に、一人の人間なのでしょうか」

カイルの手が止まる。ペン先が紙を擦り、かすかな音を立てた。

「……どういう意味ですか」

「いつも“聖女”と呼ばれ、勇者の伴侶として育てられてきました。けれど……自分が何を望んでいるのか、考えたことがなくて」

言葉は淡々としている。それでも、その奥には触れれば砕けそうな脆さが潜んでいた。

カイルは短く息を整えると、眼鏡を外し、机に置いた。

「――制度や役割は外から与えられます。ですが、“心”は与えられません。自分で決めなければ、空白のままです」

「……空白」

リュシアの瞳が、ほんのわずかに揺れた。

沈黙が落ちる。

やがてリュシアは、どこか確かめるように問いを重ねた。

「……私は、選んでもいいのでしょうか」

「選ぶべきです」

カイルは迷わず答える。その声音は相変わらず冷静だったが、わずかに芯が強かった。

「聖女としての役割以前に、一人の人として。望むものも、恐れるものも。決めるのは他者ではなく、あなた自身です」

リュシアは瞬きをした。

その頬に浮かんだ色は淡く、本人すら気づいていないかもしれない。

だが確かに――人形の仮面に、髪の毛一本ほどの“揺らぎ”が走った。

図書棟を出ると、夕陽が赤く校舎を染めていた。

長い廊下を二人並んで歩く。

リュシアは窓の外を見つめたまま、囁くように言った。

「……少し、考えてみます。自分のことを」

「それが最も理にかなっています」

カイルは淡々と頷いた。

一瞬、彼女の横顔が柔らかさを帯びたように見えたが――カイルはそれを“光の加減”としか思わなかった。

彼女の心に芽生えた小さな変化を、まだ誰も知らない。

けれど確かに、“芽”は植えられたのだった。


リュシアの内面に小さな変化。不定期・毎日目標で更新します。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ